ゲームのキット制作から世界のサッカーレジェンドのSNSへ、トルコ人デザイナーKitmaker Baranが3年で証明した「制約の中にこそ創造がある」という哲学

ゲームのキット制作から世界のサッカーレジェンドのSNSへ、トルコ人デザイナーKitmaker Baranが3年で証明した「制約の中にこそ創造がある」という哲学

制約が生む創造—ゲームから本物のクラブへ
トルコ人デザイナーKitmaker Baranが3年で示したのは、完全な自由よりも制約のある場所で人は最もよいものを作るという事実です。PES/FIFAの架空キット制作から出発し、世界のフットボール関係者に届くまでになった背景には、徹底した制約への向き合い方がありました。

ユニフォームの向こう側にあるもの

ピッチに立つ選手たちが袖を通す一枚の布には、クラブの歴史が縫い込まれている。

ストライプの幅、色の配置、胸に刻まれたエンブレム。

それらは単なる「デザイン」ではなく、支持者たちが何十年もかけて共有してきた記憶の蓄積だ。

では、そのユニフォームを「もう一度、ゼロから考え直す」としたら、どこから手をつければいいのだろうか。

トルコを拠点に活動するキットデザイナー、Kitmaker Baranはまさにその問いを自分の仕事の出発点に置いている人物だ。

もともとはPESやFIFAといったサッカーゲームのために架空ユニフォームを作り始めたことがきっかけだったという。

ゲームの画面の中に、まるで本物のクラブが着ているかのようなリアリティを持ったキットを描き続けるうちに、それはやがてゲームの世界を飛び出していった。

現在は実際のクラブやコンテンツクリエイターに向けたデザインを手掛け、Dries MertensやRoberto Carlosといった名だたるフットボール界の人物たちがその作品をSNSでシェアするまでになっている。

「美しいユニフォームを作る」だけでは足りなかった

Baranが語る創作の核心は、単に「見た目がいいユニフォームを作ること」ではない。

彼が目指したのは、ユニフォームを見た人が「そのクラブの空気」を感じ取れる瞬間を作り出すことだったと言う。

そのために彼がたどり着いたのが、現実の選手の体にデザインを纏わせ、スタジアムや都市の光の中に溶け込ませるという表現方法だった。

光の角度、カメラのアングル、選手のポーズ、背景の環境。

それらすべてを「デザインの一部」として捉えているという感覚は、ピッチ上の選手が「動き」や「関係性」を含めて考えることと、どこか似ている。

ボールを持った瞬間だけを切り取っても、プレーの意味は伝わらない。

前後の文脈、味方の位置、相手の重心、そういったものすべてを含めてひとつのプレーが完成するのと同じように、Baranにとってユニフォームは「それが存在する世界ごと」デザインするものだという。

ゲームの画面から始まった問い

PESやFIFAから出発したという事実には、思った以上に深い意味があるかもしれない。

サッカーゲームの中でユニフォームを作るという行為は、完全な自由の中にある創作だ。

クラブとの契約も、スポンサーの意向も、サポーターの感情的な反発も、何も気にせずにデザインできる空間がそこにはある。

しかしBaran はその自由な場所に長くいながら、やがて「制約の中でこそ見えてくるものがある」という感覚に向かっていった。

例えばガラタサライのユニフォームについて、彼はこう考えている。

あのクラブのアイデンティティは非常に強く、変えすぎれば「ガラタサライらしさ」が失われ、変えなさすぎれば新しいものを作ったとは言えない、と。

この緊張関係こそが、最も難しく、最もやりがいのある場所だとも語っている。

これはサッカーそのものの構造とも重なる。

戦術的な制約の中でどう自分を表現するか。

監督の指示を守りながら、その中でどう判断を下すか。

「言われた通りにやる」でも「自分勝手にやる」でもなく、その間にある細い道を見つけること。

その難しさを、Baranはデザインという形で毎回引き受けている。

サポーターの声を聞く、でも従わない

Baranはデザインをする際にサポーターの意見を参考にすると言う。

彼らが何を好み、何に不満を持ち、どんな要素を懐かしんでいるか。

そこから情報を集め、クラブのアイデンティティを理解しようとする。

しかし彼が明確に言っているのは、「サポーターが望むものをそのまま作るわけではない」ということだ。

デザイナーとして自分の視点と判断がある。

ときにはサポーターが予期しないものを、意図的に提示することもある。

なぜなら「良いデザインとは、人々が欲しいと気づいていなかったものを見せること」でもあると、彼は考えているからだ。

これを聞いたとき、指導者と選手の関係を思い浮かべた人もいるかもしれない。

選手はグラウンドの中から「こうしたい」「ここが嫌だ」という声を出す。

指導者はその声を聞きながらも、最終的には自分の判断で決断を下す。

その責任を引き受けることを、Baranは「自分がデザインを背負うということ」と表現していた。

フランス代表をアディダスで描く意味

Baranが時折行う「あえて既存の組み合わせを壊す」試みも面白い。

フランス代表といえばNikeという連想は、多くのサッカーファンにとって当然のものになっている。

その「当然」を崩したとき、人はどう反応するか。

Baranはその驚きそのものを、デザインの力として使おうとしている。

見慣れたものを少しずらしたとき、人は初めてそれを「見る」。

普段は目に入っているはずのものが、実は見えていなかったということに気づく。

フランス代表のユニフォームがAdidasになった瞬間、私たちはフランス代表のユニフォームというものを、初めてちゃんと観察し始めるかもしれない。

サッカーの試合でも似たことが起きる。

いつもと違うポジション、普段はしないパスの選択、見慣れないフォーメーション。

「なぜそうしたのか」という驚きが、観る者の思考を動かす。

Baranが意図的に行っているのは、その「思考を動かす瞬間」を作ることだと言えるかもしれない。

ゲームから始まり、現実へ。しかし目的地はまだ先にある

現在BaranはKappa Türkiyeでフルタイムの仕事を持ちながら、Kitmaker Baranとしての活動を続けている。

世界的なスポーツブランドの一員として実際のプロジェクトに関わることは、間違いなく大きな経験だろう。

しかし彼はそこを「ゴール」とは捉えていない。

「Kappa Türkiyeは通過点だ」と言い切り、さらに大きなブランドや国際的な舞台を見据えていると語っている。

この姿勢は、若い選手が地域リーグからJリーグを目指し、Jリーグからヨーロッパを目指すプロセスと構造的に似ている。

今いる場所で最善を尽くしながら、視線はもっと遠くに向けている。

現状に満足するのでも、焦って急ぐのでもなく、今ここでの経験を積み重ねることが次のステップの土台になると信じている。

PESのゲーム画面から始まったデザインが、世界のサッカー界のレジェンドたちのSNSに載るようになるまでに三年かかったという。

その三年間は、おそらく最初から「こういう場所に行き着く」と分かっていたわけではない。

ゲームのキット作りを続けながら、少しずつスタイルを磨き、試し、失敗し、また試して、今の場所にたどり着いた。

ユニフォームが問いかけてくること

Real Madrid x Nike x Travis Scottというコンセプトキットが81万以上のいいねを集めたとき、Baranは「自分のデザインが自分だけのものではなくなった」と感じたと言う。

それは作品が世界に開かれた瞬間であり、同時に「次は何を見せてくれるのか」という期待が生まれた瞬間でもあった。

その期待に応え続けることは、プレッシャーでもあり、創作の燃料でもある。

選手がシーズンを重ねるごとに「今年は何を見せてくれるのか」と問われるのと同じように、Baranも毎回「これまでを超えるものを作れるか」という場所に自分を置き続けている。

ユニフォームは試合が終わっても残る。

そのシーズンの記憶と一緒に、あのユニフォームを着た選手のゴールが思い浮かぶ。

ユニフォームはクラブのアイデンティティを布の上に表現したものだが、同時に、それを見る人が「自分にとってのそのクラブ」を重ねる場所でもある。

一枚のユニフォームに何を見るのかは、見る人によってまったく違う。

Baranはそこに、自分だけの「世界」を描き込もうとしている。

あなたは、そのユニフォームの中に何を見るだろうか。

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制約が創造を生む、は本当か

一つの反論を持っておきたいと思います。制約が創造を生む、という考え方は確かに正しい側面を持っています。けれども、それはあらゆる制約に当てはまるわけではありません。

制約が創造を引き出すのは、その制約を「乗り越えたい」という強い意志を持つ人のところに置かれたときだけです。同じ制約でも、動機を持たない人には単なる壁にしかなりません。Baranの場合は、ゲームの画面の中でも「本物のクラブが着ているように見えるリアリティ」を追い続けるという動機が最初からありました。制約が彼を育てたのではなく、先に「こういうものを作りたい」という意志があり、制約はそれを鍛える砥石として機能したのです。

この順序を間違えると、制約を与えれば創造が生まれるという誤解が生じます。ガラタサライのアイデンティティとの緊張関係を「最もやりがいのある場所」と語れるのは、Baran自身がその緊張を楽しむ準備をしていたからです。制約は道具であって、原因ではありません。

キットデザインをめぐる三つの問い

Q. ゲームのキット制作と実際のユニフォームデザインはどう違うか?
ゲームでのキット制作には現実の契約やスポンサーの制約がないため、デザインの論理だけを純粋に鍛えられます。実際のクラブのユニフォームには、製造会社の仕様、スポンサーロゴの配置、サポーターが感情的に守ってきた色の配置など、外部との調整が必ず発生します。ゲームはその制約を学ぶ前の基礎訓練に相当すると言えます。
Q. クラブのユニフォームをデザインするとき、何を変えてよくて何を変えてはいけないか?
明確な答えはクラブによって異なりますが、長年使ってきた基本配色やエンブレムの形状はサポーターの記憶に深く刻まれているため変えることが難しいとされます。逆にスリーブのデザインや細部のパターンは比較的自由度が高く、新しさを出しやすい部分です。どこが変えられるかを見極める判断がデザイナーの技量の一つです。
Q. デザイナーはサポーターの意見をどこまで取り入れるべきか?
サポーターは最も熱心なユニフォームの利用者であり、その意見は何が感情的に重要かを知る上で欠かせない情報源です。一方で、すべての意見を取り入れると平均的なものにしかなりません。Baranが示したのは、意見を「参考にする」と「従う」は違うという感覚です。情報として取り込みながら、最終的な判断は自分で下すことが創造に必要です。
CONVERSATION PARTNER / ある観戦者から、ひとつ視点を

スタジアムに足を運ぶとき、ピッチよりも先にユニフォームへ目がいくようになったのは、いつからだったか正確には思い出せません。毎シーズン変わるデザインに「今年は攻めてきた」とか「去年の方が良かった」とか、そんなことを考えながら席についていた時期があります。デザインにそれだけの記憶と感情が宿っているのだと、Baranの仕事の出発点を読んで改めて思いました。

ただ、ユニフォームに感情が込められると分かっているなら、それを変える側の重さも想像できます。支持者の記憶のどこに触れ、どこを変えていいのか。あなたが好きなクラブのユニフォームを思い浮かべたとき、そこにはどんな場面が縫い込まれていますか。

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