83歳のソシエダサポーターが教えてくれる、「サッカーを続ける理由」とは
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83歳のサポーターが問いかけてくる「続ける理由」

白と青のシャツ。 片手には旗、もう片手にはマフラー。 そして、頭には70個以上のバッジがついたキャップ。
スペイン・サンセバスチャンの街を、試合の日ごとにその姿で歩く一人の男性がいます。
パチ・イライソス、もうすぐ83歳。
彼は、約80年にわたってレアル・ソシエダを追いかけてきました。
77のスタジアム、23カ国。
お金が有り余っているわけではない。 それでも、食べる分を確保しながら、バスを乗り継ぎ、時には18時間かけてスペイン南部のカディスへ行き、試合を見て、また18時間かけて戻ってくる。
勝てば、1,000キロの帰り道も宝くじに当たったみたいに軽い。 負ければ、同じ距離が長く重く感じる。
その繰り返しを、ほぼ一生続けてきた人がいる。
サッカーをする側、教える側、支える側。 どの立場の人にとっても、この「続ける」という行為の重さは、他人事ではないはずです。
父に連れられて行った最初のスタジアムから
最初の「体験」が、その後の選択を決めていく
パチがレアル・ソシエダと出会ったのは、父親に連れられて初めて行ったアトーチャ(旧スタジアム)だったといいます。
スタジアムの匂い、歓声、芝生の色、選手たちの姿。 そのときの衝撃が、そのまま彼の人生を形づくっていきました。
選手も、最初にボールを蹴った感触や、初めてスタジアムでプロの試合を見た記憶が、うっすらと残っているはずです。
そのとき、何を感じたのか。
「楽しかった」だけで終わらせるのではなく、
- なぜ、その景色に心が動いたのか
- 誰のどんなプレーに目を奪われたのか
- どの瞬間に「自分もやりたい」と思ったのか
そんなことを、少し振り返ってみると、自分がどんな理由でサッカーを選んだのかが見えてきます。
パチの場合、その答えの一つは「父と一緒にスタジアムへ行く時間」だったかもしれません。
保護者の立場でサッカーを見ている人にとっても、これはどこか似た話です。
子どもを連れて行く最初の試合。 そこで大事なのは、豪華な試合かどうかよりも、
- スタジアムまでの道で何を話すか
- ゴールが決まったときに、どんなふうに一緒に喜ぶか
そうした「一緒に過ごした時間」なのかもしれません。
77スタジアム、23カ国という「選択の積み重ね」
| 状況 | 一般的な選択 | パチの選択 | 評価 |
|---|---|---|---|
| お金が限られているとき | 貯金や他の用途に使う | 食べる分を確保して試合へ行く | ◎ 優先順位の徹底 |
| 負けた18時間の帰り道 | もう行かないと思う | また次の試合に足を運ぶ | ◎ 継続の意志 |
| トップチーム以外の試合 | 観に行かない | 女子・B・第3チームにも通う | ○ 多様な関わり |
| アウェーの敵地 | 行くのをためらう | 23カ国77スタジアムを訪問 | ◎ 挑戦の積み重ね |
| タイトルが叶わなくても | 熱意が下がる | 「まだ楽しみが残っている」と続ける | ◎ 過程への愛 |
豊かさではなく、優先順位で動く
パチの話でもう一つ大事なのは、彼が決して裕福なわけではないという点です。
「食べる分は確保して、あとはスタジアムへ行く」
言葉にしてしまうと、無謀に聞こえる人もいるかもしれません。 でも、これは一つの「選び方」の形です。
同じお金と時間があったとき、
- 旅行に使う人
- 習い事に使う人
- 将来のために貯金する人
- サッカーを観に行く人
どれも間違いではありません。
パチは、その中で「レアル・ソシエダを観に行く」を選び、自分なりにやりくりして、バスを乗り継ぎ続けてきました。
選手も同じです。
- 練習のない日の過ごし方
- 試合前日の睡眠時間
- 疲れているときにテレビを見るか、ストレッチをするか
一つひとつは小さな選択です。 でも、それらが何年も積み重なったとき、誰にも見えない差になっていきます。
「時間がない」「お金がない」と感じたときこそ、自分が何を優先しているのかが浮かび上がります。
パチは、時間もお金も限られた中で、「試合に行く」ことを最優先に選び続けました。
選手であれば、「うまくなるために今の自分は何を一番大事にしているか」を、改めて言葉にしてみてもいいのかもしれません。
勝ち負けよりも、「帰り道」に残るもの
- 「今の学年」だけでなく「10年後のクラブ」を想像して関わる — パチがクラブ史の一本の太い線を描いてきたように、指導者も今いる選手の先にあるクラブの姿を持ちながら日常の言葉と判断を選ぶ。
- トップを目指す子だけでなく、ピッチの端で走る一人一人に目を向ける — パチが女子・B・第3チームにも足を運ぶように、「プロになれるかどうか」でなく「今全力でプレーしているか」を評価軸の一つにする。
- 負けた次の練習の最初の声かけを丁寧に選ぶ — パチが負けた帰り道を経てまた試合へ行くように、大敗の翌日こそグラウンドに立つ意味と言葉を意識する。
18時間のバスで考えていたことは何か
カディスまで18時間かけて着き、試合を見て、また18時間かけて帰る。
勝ったとき、帰り道は夢を見ているように軽く感じる。 負けたとき、その18時間は果てしなく長い。
この感覚は、選手もどこかで覚えがあるはずです。
- アウェーで勝った帰りのバス
- 大事な試合で負けた後の静かなロッカールーム
そのとき、何を考えるか。
多くの場合、負けた帰り道の方が、「自分と向き合う時間」は長くなります。
パチも、負けた日には少しうつむき気味にバスに乗り込んだはずです。
でも、そこでサッカーそのものを嫌いになるわけでも、チームを見捨てるわけでもなく、また次の試合に足を運ぶことを選んできました。
選手であれば、ひどいミスをした試合の翌日、練習に行くかどうか。 そこでどんな顔でグラウンドに立つか。
指導者であれば、チームが大敗した練習の最初の声かけをどうするか。
保護者であれば、子どもが落ち込んで帰ってきた夜に、どんな言葉をかけるか、それとも何も言わずに横に座るか。
勝敗は一瞬で決まりますが、その後の選択は、じわじわとその人の在り方を形づくっていきます。
「女子」「Bチーム」「第3チーム」に通い続ける理由
- 目標を持ちながら「道のり」にも目を向ける — タイトルを夢見ながらも「何百試合もの帰り道」を味わってきたパチのように、今日の練習・仲間との時間そのものに価値を見つける習慣を持つ。
- 「80歳になってもサッカーと付き合っているだろうか」と一度問いかけてみる — その答えを想像したとき、今の選び方・過ごし方が少し変わるヒントが見えてくる。
- 子どもの「今の結果」だけでなく「30年後のサッカーとの関係」を想像する — 保護者として、目の前の勝敗より「この子がサッカーを好きであり続けるか」を長い時間軸で考える視点を持つ。
トップだけを見ない目線
パチは、レアル・ソシエダのトップチームだけでなく、クラブの女子チーム、Bチーム、第3チームの試合にもよく足を運ぶと言われています。
誰もが知るスター選手がいるわけでもない。 観客数もトップほど多くないかもしれない。
それでも、彼はそこに通う。 女子チームのプレーに涙することもある。
この「トップだけを見ない目線」は、育成や日本サッカーの文脈でも、考える価値があるように思えます。
私たちはどうしても、
- プロになれるかどうか
- 有名クラブに入れるかどうか
- 代表に選ばれるかどうか
といった「頂点」に目を向けがちです。
けれど、スタジアムに行く一人のサポーターからすれば、目の前の選手が「全力でプレーしているか」「チームとして何かを表現しようとしているか」が、何よりも大事なのかもしれません。
女子サッカーを応援する人が増えた背景にも、こうした視点の変化があります。
うまいかどうか、強いかどうかだけではなく、
- どんな思いでピッチに立っているのか
- どんな道のりを歩いてここまで来たのか
そこに耳を傾ける人が増えれば、サッカーの見え方も変わっていきます。
指導者としてチームを見るときも、「将来プロになりそうな数人」だけではなく、ピッチの端でボールを追いかけている一人一人に目を向けてみる。
観る側の姿勢が変わると、プレーする側の心構えも、少しずつ変わっていくのかもしれません。
イスタンブールで感じた「敵地」のやさしさ
アウェーとは、ただの敵地なのか
パチが印象に残っている場所として挙げたのが、トルコのイスタンブールでした。
レアル・ソシエダのサポーターとして街を歩いていると、現地の人たちが抱きしめてくれたり、レストランに誘われたりしたと言います。
相手のクラブとは違う色のシャツを着ている。
それでも、「ようこそ」と受け入れられた経験は、彼の記憶に深く刻まれています。
アウェーというと、「敵の中に飛び込む場所」「ブーイングにさらされる所」と捉えられがちです。
選手としても、そこに「怖さ」や「プレッシャー」を感じることは少なくありません。
では、アウェーであるとは本来、何を意味するのでしょうか。
- 違う文化、違う空気の中で、自分たちのサッカーをどう表現するか試される場所
- 相手チームとその土地をリスペクトしながら、自分たちの色を見せる舞台
そんなふうに捉え始めると、「敵」「味方」という線の引き方も、少し変わってくるのかもしれません。
日本でも、全国大会や遠征で、初めて訪れる土地に行く機会が増えています。
そのとき、相手チームやその土地に対して、どんな態度でいるか。
逆に、自分たちのホームに来た相手を、どう迎えるか。
パチがイスタンブールで受け取ったやさしさのように、サッカーは、本来「違う色を着た人たちが出会う場」でもあります。
アウェーの意味を、自分なりにもう一度考えてみてもいいのではないでしょうか。
「タイトルが欲しい」と言いながら、こだわりすぎない

目標はある。でも、そこだけを見ない
パチには、まだ叶えたい「夢」があります。
レアル・ソシエダが、もう一度タイトルを獲ること。
80年近くクラブを追いかけてきた人が、今もそう語るのです。
けれど、その話をしたすぐ後に、彼はまるで照れ隠しをするように、話題をさらりと変えてしまうと言います。
大事なのは、タイトルそのものではなく、その過程で経験してきたことなのだと、どこかで知っているからかもしれません。
選手にとっても、
- 全国大会に出場したい
- プロになりたい
- 代表に選ばれたい
といった「タイトル」にあたる目標があります。
それを持つことは悪いことではないし、むしろ力になることも多い。
ただ、その目標に心を奪われすぎると、
- 今目の前にいるチームメイト
- 一緒に戦っている指導者
- 送迎や応援で支えてくれている家族
そうした「道のり」が見えにくくなってしまうこともあります。
パチは、まだ見ぬタイトルを願いながらも、何百試合もの勝ち負け、何千時間の移動、何度も濡れた雨合羽、そのすべてを味わい続けてきました。
もし、今あなたが何か大きな目標に向かっているなら、一度立ち止まってみるのも一つの方法です。
「その目標が叶ったとして、その日の夜、自分は何を思うだろう」
そう問いかけてみたときに浮かんでくるのは、案外、今日の練習の一場面だったり、仲間と笑ったシーンだったりするかもしれません。
日本でサッカーをする、見守るということ
「続ける人」がいるから、クラブもサッカーも続いていく
日本でも、長年同じクラブを応援し続けている人たちがいます。
Jリーグが始まる前から、地域リーグ時代から、学校のグラウンドの時代から、見続けている人もいる。
選手としては、どうしても「目の前のシーズン」「今のチーム」で物事を考えがちです。
でも、パチのような人の存在を知ると、自分たちは「時間の流れ」の中にいる一部なのだと感じられるかもしれません。
今、自分がプレーしているこのピッチにも、昔から見てきた人がいる。
自分が卒業した後も、そのクラブ、そのチームを見続けてくれる人がいる。
そう考えると、一つひとつのプレーや態度が、少し違って見えてきませんか。
保護者としても、子どもの「今の結果」だけを追いかけるのではなく、「この子が30年後、どんなふうにサッカーと付き合っているだろう」と、長い時間軸で想像してみることもできます。
指導者としても、「今いるこの学年」だけでなく、「このクラブは10年後どういう場所になっていてほしいか」を考える視点を持つことができます。
パチが、レアル・ソシエダの試合に足を運び続けることで、クラブの歴史に一本の太い線を描いているように、日本のどこかにも、静かに自分のクラブの歴史を支えている人がいるはずです。
「まだ、たくさんの楽しみが残っている」と言えるだろうか
サッカーとの関わり方を、自分で選び続ける
80年近くレアル・ソシエダを追いかけてきたパチは、
「まだ、このクラブと一緒に叶えたい楽しみがたくさんある」
そんな思いを口にしています。
年齢を重ねても、勝ち負けを何度も味わっても、タイトルを逃しても、「もう十分」とは言わない。
そこまでサッカーと付き合い続ける人の姿は、選手や指導者、保護者に、どんな問いを投げかけてくるでしょうか。
もし、自分が80歳になったとき。
- まだスタジアムに行きたいと思っているだろうか
- まだボールを蹴ってみたいと思っているだろうか
- まだ誰かのプレーを応援したいと思っているだろうか
そう考えたとき、「今」の選び方は少し変わるかもしれません。
勝った、負けた。 試合に出た、出られなかった。
その一つひとつは確かに大きな出来事です。
でも、そのたびに自分に問いかけてみることもできます。
「それでも、自分はサッカーとどう付き合っていきたいのか」
答えは急がなくていいのかもしれません。
パチがそうしてきたように、シーズンが変わり、チームが変わり、年齢が変わるたびに、何度でも選び直せばいい。
サッカーの旅路は、タイトルや結果で終わるのではなく、「それでも、まだ続けたい」と思えるかどうかで、静かに形を変えながら続いていきます。
その旅をどう歩くかを決められるのは、いつだって、自分自身だけなのだと思います。