迷いながら選び続けるストライカー ― ケビン・ビベロスが示す「答えのない問い」とサッカーの人間らしさ
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コロンビアから届いた歓声の余韻 ― ケビン・ビベロスが教えてくれる「迷いながら選ぶ」こと

歓声に包まれた交代の瞬間から、物語は始まる
後半44分、アレーナ・ダ・バイシャーダのスタンドが立ち上がる。
アトレチコ・パラナエンセの9番、コロンビア人ストライカー、ケビン・ビベロスがゆっくりとタッチラインへ向かう。
スコアはボタフォゴ相手に大勝ペース。
その中で彼は2ゴールを決め、チームをブラジレイロン2026の上位へ押し上げていた。
サポーターはその名を繰り返し叫び、拍手はなかなか鳴り止まない。
つい少し前まで、家族の問題でコロンビアに戻り、PKをめぐる迷いも抱えていた選手の姿を、スタジアム全体が包み込むように見送っていた。
数字だけを見れば、5得点/8試合という効率のよい結果。
クラブ全体で見ても、2026年シーズンの最多得点者。
ただ、その裏側には、もっと揺れ動く、人間らしいプロセスがある。
そしてそれは、プロの世界に遠く感じられる読者にとっても、「自分ならどうするか」を考えるヒントになりうる。
| 場面 | 選択肢A | 選択肢B | 評価 |
|---|---|---|---|
| PKを外した次の試合 | もう一度蹴らせてくれと申し出る | 今日は他の選手に任せると譲る | ◎ |
| 家族の問題が起きたとき | クラブに残りシーズンを続ける | 帰国許可を求め家族のもとへ向かう | ◎ |
| クラブのレジェンド像の前で | 憧れを声に出して誰かに伝える | 胸の内に静かに誓う | ○ |
| 試合前の目標設定 | ハットトリックを宣言してから臨む | 口に出さずプレーに集中する | ○ |
| 外国籍選手ラベルへの向き合い方 | 数字だけで期待に応える | 振る舞いと言葉でも自分色を示す | △ |
「PKを蹴るか、譲るか」― 誰にも見えない迷いの時間
ビベロスのここまでの道のりには、「PK」というひとつのテーマが何度も現れる。
彼はアトレチコでPKキッカーを任されながらも、一時その役割を手放し、そして再び任されるようになった。
成功と失敗、その両方を経験しながら、今の状態にたどり着いている。
スタッツサイトによれば、彼はデビュー以降、ブラジル国内で最も多くPKを獲得している選手の一人とされている。
つまり、相手ゴール前でファウルを受ける頻度が非常に高い。
そこで生まれるのは、いつも同じ問いだ。
「今回は自分が蹴るのか、他の誰かに任せるのか」
プロの世界では、外せば批判にさらされる。
決めればヒーロー扱いされる。
PKを蹴るかどうかの判断は、単なる技術の問題ではなく、
- 今の自分のメンタルはどうか
- チームメイトとのバランスはどうか
- 監督は何を求めているか
- 試合の流れはどちらに傾いているか
といった複数の要素を、その場で一瞬にして整理して決める作業でもある。
PKを任されている選手が、プレッシャーに押しつぶされそうになって、「今日は譲ろう」と選ぶこともある。
逆に、調子が悪くても「ここは自分が責任を負うべきだ」と感じて、ボールをセットする瞬間もある。
ビベロスも、まさにその揺れの中で、役割を手放し、取り戻し、それでも前に進んできた。
外から見れば、「PKを外した」「キッカーから外れた」という結果だけが切り取られがちだ。
だが、その背後には、「今の自分はどうあるべきか」を問う、見えない対話がある。
もし、自分がチームのPKキッカーだったとしたら、外した次の試合で、どう判断するだろうか。
「もう一度蹴らせてくれ」と言えるだろうか。
それとも「あの場面は他の選手に任せたい」と思うだろうか。
どちらを選んでも、そこには「臆病さ」だけではなく、「責任感」や「チームへの配慮」が入り混じる。
サッカーの決断は、いつもその単純な二択より、もう少し複雑だ。
- PKキッカーを決める際に「なぜその選手か」を言語化して伝える — 技術だけでなくメンタル・チームバランス・その日の試合の流れを踏まえた理由を選手と共有する
- 役割を一度手放した選手が再び手を挙げたとき、そのプロセスを称える — 「外れた→戻ってきた」の過程にある内面の対話を価値として扱い、チーム全体に共有する
- 個人の具体的な目標宣言を奨励する文化をつくる — 「ゴールを取りたい」という欲を、チームへの貢献意欲と矛盾しないものとして位置づけ、発言できる空気を整える
家族とクラブのあいだで揺れるとき、何を選ぶのか
ビベロスは、今季の開幕前に家族の問題を抱え、クラブからコロンビアへ帰国する許可を得ている。
プロとしてのキャリアがかかった大事なシーズン序盤、ブラジルのクラブは彼を送り出した。
「クラブ優先」か「家族優先」か。
このテーマは、日本のサッカーでも、世代を問わず何度も語られてきたものだ。
育成年代であれば、
- 遠征と学校行事が重なったとき
- 家族の事情で長期の合宿をどうするか
- 海外挑戦のタイミングをいつにするか
といった形で現れる。
社会人であれば、
仕事や進学との両立の中で「続けるか、やめるか」の局面として現れる。
ビベロスの場合は、プロクラブと家族、という構図の中で選択を迫られた。
クラブとしても、得点源をシーズン前に手放すのはリスクが大きい。
それでも送り出したという事実は、「人としてどう向き合うか」を選んだ結果だと言える。
選手側もまた、その選択をどう受け止めるかが問われる。
家族のもとに帰ることを選んだとき、そこには安心だけでなく、
- チームに迷惑をかけてしまうかもしれないという不安
- ポジションを失うかもしれない恐怖
- それでも大切なものを守りたいという決意
が同時に存在していたはずだ。
そして、戻ってきたあとのプレーは、単なる「仕事」ではなく、「支えてくれた人への答え」でもある。
家族を選んだからこそ、ピッチの上で、より強くクラブにコミットしたいという思いも生まれる。
日本でサッカーをしている誰かが、部活やクラブチームを一時的に休む、進学で一度チームを離れる、そんなときにも似た感情があるかもしれない。
「自分が何を大切にしたいのか」を一度選んだあとに、もう一度グラウンドに戻る。
その戻り方は、きっと人それぞれだ。
大切なのは、どの選択が「正しい」かではなく、何を守り、何を引き受ける覚悟でその選択をしたのか、ということなのかもしれない。
- PKを外したあとでも「もう一度蹴る」と言える自分をつくる — 失敗の後に責任を引き受け直す行動が、信頼とキャプテンシーを長期的に育てる
- 自分が何を大切にしたいかを一度選んでから、グラウンドに戻る — 家族・進学・チームの優先順位を自分の言葉で決め、その覚悟を持ってプレーに向かう
- 「自分はどんな選手になりたいのか」を声に出して誰かに伝える — 憧れを言葉にする行為は目標を具体化し、日々の選択の基準を生む
クラブの伝説の前で「自分もそこに行きたい」と口にする勇気

ビベロスがサポーターの心をつかんだのは、ゴール数や走力だけが理由ではない。
クラブが102周年を迎えた週、彼はクラブのレジェンドであり最多得点者でもあるバルシミオ・シクピラの像を訪れている。
その像の前で、彼はシクピラの物語を聞かされる。
158ゴールという偉大な数字。
クラブ史に刻まれた名前。
そしてビベロスは、その像に向かって、こんな趣旨の言葉を残している。
「いつか、自分もそちら側に行きたい。
そのために、できる限りの努力をして、サポーターにたくさんの喜びを届けたい。」
自分の実績がまだ十分でない段階で、「あの場所を目指したい」と口にするのは、簡単なことではない。
選手によっては、「まだ何も成し遂げていないのに」と言われるのを恐れて、言葉を飲み込むこともある。
あるいは、「比べられたくない」という思いから、あえてレジェンドとの距離をとる選手もいる。
それでも彼は、「憧れ」を素直に言葉にした。
その姿は、結果だけを見れば単なる「リスペクトの表明」だが、裏側にはもうひとつ別の問いが隠れている。
「自分は、どんな選手になりたいのか」
「どんな歴史の中に、自分の名前を置きたいのか」
これらは、誰かから教わるものではない。
コーチや家族が目標を与えてくれることはあっても、本当に心が動く「目標」や「憧れ」は、自分で選び取るしかない。
日本のピッチでも、クラブハウスの壁にレジェンドの写真が飾られている光景をよく目にする。
その前を何度も通り過ぎながら、「自分には関係ない」と思うのか、「いつか自分も」と思うのか。
ビベロスのように、声に出して誰かに伝えるのか、それとも心の中で静かに誓うのか。
どれを選んでもいい。
ただ、その一瞬の「どう思うか」「どう口にするか」もまた、自分で選ぶべきひとつのプレーだと言える。
「ハットトリックがしたい」― 具体的な欲を持つことの意味
ビベロスはボタフォゴ戦の前、「ブラジルで初めてのハットトリックを決めたい」と語っていたとされる。
試合前から「ゴールを決める」と集中していたとも報じられている。
結果的にこの試合では2ゴール。
彼の望んだ3点目には届かなかったが、その「足りなさ」もまた、次のモチベーションになる。
目標の立て方は人それぞれだ。
「チームの勝利だけを考えるべきだ」と言う人もいれば、「個人のゴール数にこだわる姿勢が成長を生む」と考える人もいる。
ビベロスが「ハットトリックを決めたい」とはっきり口にした背景には、
- チームを勝たせるために、自分がゴールで貢献したいという思い
- 個人としての記録を積み重ねたいという欲
- サポーターに特別な瞬間を届けたいという願い
など、いくつかのレイヤーが重なっているのだろう。
「個人の欲を持つこと」と「チームのために戦うこと」は、本来、必ずしも矛盾しない。
自分のゴールが、チームの勝利に直結するポジションならなおさらだ。
日本では時に、「自己主張しすぎないこと」が美徳とされる場面がある。
「点を取りたい」と公言することに、どこか後ろめたさを感じる選手もいるかもしれない。
けれど、「何をしたいのか」「どこまで行きたいのか」を言葉にすることは、自分で選んだ道をはっきりさせる作業でもある。
もちろん、それを言ったからといって、次の試合ですぐに結果が出るとは限らない。
むしろ、その言葉と現実とのズレに向き合う苦しさが生まれるかもしれない。
それでも具体的な欲を持ち続けるかどうか。
この選択が、数年後の自分の姿をゆっくりと形づくっていく。
「外国人ストライカー」というラベルを、自分の色に塗り替えていく
アトレチコの歴史を振り返ると、ビベロスはすでにクラブの外国籍選手としては7番目の得点数に到達している。
ダビド・フェレイラ、ダビド・テランス、グエロン、カノッビオなど、南米の多彩なタレントたちが並ぶそのリストの中に、彼の名前も刻まれ始めている。
ただ、「外国人ストライカー」と一括りにされるとき、そこには見えないプレッシャーがある。
クラブやサポーターは、「点を取って当たり前」という期待を抱きやすい。
結果が出なければ、「外れの補強」と言われるリスクも常につきまとう。
そんな中でビベロスは、数字だけでなく、振る舞いや言葉でも自分の色を示そうとしているように見える。
クラブの歴史に敬意を払いながらも、「その中のひとり」としてではなく、「自分自身」としてどう存在するか。
これは、日本でプレーする外国籍選手にも、海外で挑戦する日本人選手にも共通するテーマだろう。
「外国人枠」というラベルを、自分のプレーで上書きしていく。
「日本人らしい」「南米らしい」といった言葉の中に埋もれずに、「自分らしい」を探していく。
その過程では、うまくいかない日も、批判される日も避けられない。
それでもプレーを重ねるたび、少しずつ「ラベル」よりも「名前」で呼ばれる回数が増えていく。
ビベロスの名前が、スタジアムで繰り返し叫ばれるようになった今、その変化はすでに始まっているのかもしれない。
「考える時間」を自分でつくれるかどうか
ここまで見てきたビベロスのストーリーには、ひとつ共通している点がある。
どの局面にも、「すぐに答えの出ない問い」がつきまとっている、ということだ。
- PKを蹴るべきか、譲るべきか
- 家族のもとに帰るか、チームに残るか
- レジェンドに憧れを口にするか、胸の内にしまうか
- ハットトリックを狙うと宣言するか、口に出さずにプレーするか
どの問いにも、「これが絶対に正しい」という答えはない。
だからこそ、そのときの自分がどう感じているかを丁寧に確かめる時間が必要になる。
ただ、サッカーは待ってくれない。
試合の中では、数秒どころか、一瞬で判断しなければならない場面の連続だ。
日常生活でも、進路やチーム選び、試合への参加可否など、答えを急がされることが多い。
そんなとき、どこまで「考える時間」を自分で確保できるだろうか。
一度立ち止まり、「なぜ自分はそうしたいのか」を言葉にしてみる。
本当にそう思っているのか、自分に問い直してみる。
チームや家族の意見を聞きながらも、最後に選ぶのは自分自身だと意識してみる。
ビベロスが家族の事情を抱えながらもチームに戻り、PKの重圧に向き合いながら再びゴール前に立ち、レジェンドの像の前で「そこを目指したい」と語った一連のプロセスは、
結果としてのゴール数よりも、その「考える時間」を自分の中に持ち続けた選手の姿として見ることができるかもしれない。
もし、自分がビベロスだったら
最後に、少し想像してみたい。
もし自分がビベロスの立場だったら、同じ選択をしただろうか。
家族に問題が起きたとき、自分から「帰りたい」と言えただろうか。
あるいは、クラブから「戻ってこい」と言われたとき、どんな心境で飛行機に乗っただろうか。
PKを外したあとの試合で、「もう一度自分に蹴らせてくれ」とボールを手に取れただろうか。
クラブのレジェンドを前に、胸の内にある憧れを、誰かに伝える勇気はあっただろうか。
そして、自分が所属するチームの歴史や、そこにいた先輩たちの物語を、どれだけ知ろうとしているだろうか。
正解は、もちろんない。
同じ状況に置かれても、別の選択をする人もいるだろう。
ただ、「自分だったらどう考えるか」と一度立ち止まってみることで、今、自分がピッチの上で、あるいはピッチの外で、どんな選択をしているのかが少し見えやすくなる。
答えのない問いと、ボールの行方
ボタフォゴ戦での2ゴール、スタジアムを包んだ拍手、クラブの歴代外国人得点者のリストに名前が刻まれはじめた事実。
そうした「目に見える成功」の裏には、プレッシャーと迷い、そして小さな決断の積み重ねがある。
サッカーは、90分間のうちに、何百回もの判断が行われるスポーツだ。
その多くは、映像にも数字にも残らない。
ビベロスが示しているのは、「完璧な答え」を持つ選手の姿ではなく、「迷いながらも自分で選び続ける」ひとりのフットボーラーの姿だと言える。
ピッチのどこかで、ボールを受けるか、スルーするか、シュートかパスか、PKを蹴るか譲るか。
どの瞬間にも、ひとつの小さな問いがある。
その問いに、急いで正解を探さなくてもいい。
自分で考え、自分で選んだプレーならば、たとえうまくいかなかったとしても、きっと次の一歩につながっていく。
ブラジルのスタジアムで聞こえるコロンビア人ストライカーへの歓声は、遠く離れた場所でボールを追いかける誰かに、「自分はどう選ぶか」と静かに問いかけているのかもしれない。
答えのない問いを抱えながら、それでも前を向いてボールを蹴り続ける。
その姿こそが、サッカーというゲームの一番人間らしい美しさなのだろう。
