残留争いのベンチで指揮をとる監督の姿。理想のサッカーと現実の折り合いを示すディ・フランチェスコの監督論

ローマでバルサを倒した監督はなぜ残留争いのベンチに座るのか――ディ・フランチェスコが示す「理想」と「現実」のあいだ

DEFINITION
「理想のサッカー」と「現実」のあいだで選び続ける監督論とは
ディ・フランチェスコのキャリアが示すのは、信念と現実の折り合いを繰り返すプロセスこそが指導者の本質だということだ。成功と失敗のラベルを急いで貼るより、なぜその選択をしたかを問い続ける姿勢がサッカーの深みをつくる。

「ローマ・バルサの監督」が、残留争いのベンチで考えていること

最後のホイッスルが鳴った瞬間、Eusebio Di Francesco の身体から、ふっと力が抜けたように見えた。

腕は垂れ、視線は芝生のどこかに落ちたまま動かない。 抱きしめに来た Fabio Cannavaro の腕の中で、彼は涙をこらえきれなかった。

数年前、あのローマで、バルセロナを3-0で破ってチャンピオンズリーグ準決勝へ進んだ監督。 スタディオ・オリンピコの歓声を浴びていた男が、今は残留争いのサイドラインで、ギリギリの90分を生きている。

「どうして、ここまで来てしまったのか」 そう問いたくなる物語だが、もしかしたらそこにこそ、サッカーを考えるヒントが潜んでいるのかもしれない。

上昇から転落へ──「自分のサッカー」と、現実との距離

「おれのサッカー」と言い続けたころ

Di Francesco の名前が一気に広まったのは、Sassuolo での成功と、ローマでの「ローマ 3-0 バルセロナ」だった。

前からプレスに行き、高い位置でボールを奪って、素早く仕留める。 ボールを失っても、また奪い返しに行く。 ピッチのどこでボールを持つか、どこで狙うか、その絵がはっきりした「アグレッシブな4-3-3」。

会見では「自分のサッカー」を繰り返し口にし、ときには大物にも引かずに言い返す。 勢いがあり、信念があり、そして結果も出ていた。

もし自分が若い選手だったら、そんな監督の言葉に惹かれただろうか。 「この人についていけば、上に行ける」と感じただろうか。 あるいは、「このやり方に合わせなきゃ」と、どこかで息苦しさを抱えただろうか。

COMPARISON / ディ・フランチェスコ各クラブの戦い方と結果比較
クラブ 採用スタイル 主な成果・結果 評価
ローマ アグレッシブな4-3-3・ハイプレス バルセロナを3-0で撃破・CL準決勝進出
サンプドリア アグレッシブな4-3-3継続 7試合1勝6敗・短命終了
フロジノーネ 攻撃的スタイルで序盤快進撃 13節後に残留ライン8pt差も最終節で降格
ベネチア 守備重視の現実的スタイルに転換 ナポリ0-0封じなど奮闘も最終節で降格
レッチェ 4-3-3と4-2-3-1を可変・選手特徴ベース チェディラ招集後に重要勝点獲得・残留争い継続中
◎=高評価の結果または内容 ○=内容は評価できる △=結果が伴わず

「問題は監督」という分かりやすい図式

しかし、その後のキャリアは急激に傾いていく。 ローマを去り、Sampdoria、Cagliari、Verona と続いたチャレンジは短命に終わる。

Sampdoria ではリーグ戦7試合で1勝6敗。 Cagliari では23試合で3勝、14敗。 Verona では3連敗で解任。 そして不思議なことに、彼のあとに来た監督たちが次々にチームを立て直していった。

こうなると周囲の見方は単純になる。 「やっぱり Di Francesco が問題だったんだ」 数字だけを見れば、そう言いたくなるのも自然だ。

けれど、その瞬間、私たちは何か大事なものを見落としていないだろうか。 監督の決断の一つひとつにあったはずの迷いや、 選手との対話のなかで生まれたはずの揺れを、まとめて捨てていないだろうか。

Frosinoneでの「飛翔」と「崩壊」──同じ監督、違う物語

FOR COACHES / FOR COACHES ─ 指導者が持ち帰る3つの視点
「自分のサッカー」と「今の戦力」の折り合いをつける
  1. 選手の特徴からシステムを決める — 「4-3-3だから」ではなく「この選手の強みを生かすにはどの形か」を先に考える。レッチェでガンデルマンを見つけたように、選手観察が戦術の起点になる。
  2. ミスをした選手に次のチャンスを渡す — 退場した選手にも信頼を示したバンダ起用のように、選手を信じる決断を公の場で示す。それが選手の自信とチームの結束につながる。
  3. 「正しい選択」と「良い結果」を切り離して振り返る — 負けた試合でも「なぜその戦い方を選んだか」を自分に説明できるよう振り返りを続ける。その積み重ねが次の判断精度を上げる。
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残留候補最有力が「楽しく戦うチーム」になった理由

2023-24シーズンの Frosinone は、多くの人が「厳しいシーズンになる」と予想していた。 昇格組で、戦力的にも苦しい。 注目されたのはレンタル組の Matías Soulé や Enzo Barrenechea くらい。 「涙と苦しみの一年」という予感があった。

ところが、序盤の Frosinone は一転して躍動する。 Atalanta や Sassuolo を破り、Mazzitelli はキャリア最高の輝きを放ち、 Soulé は切れ味鋭くゴールとチャンスを量産し、Cheddira や Brescianini も大事な場面で得点する。

13節を終えて残留ラインの Empoli に8ポイント差。 21節でもまだ余裕があり、「このチームなら残留は固いだろう」と多くが信じていた。

監督自身も、インタビューで「この5年で、自分の失敗は全部支払った」と語るほど、 どこかで「もう一度、上昇できるかもしれない」という感覚を取り戻しかけていた。

FOR PLAYERS & PARENTS / FOR PLAYERS & PARENTS ─ 選手・保護者が観戦で使える視点
監督の「迷い」を見ることで試合が立体的になる
  1. 采配をすぐに「ミス」と決めつけない — ハーフタイムの交代は「今ある情報の中での最善」だ。結果が出なくても、その判断の意図を想像してみると監督の思考が見えてくる。
  2. 「なぜ自分はベンチなのか」を問い続ける — スタメンを外れたとき、「監督の選択を受け止めつつ、自分に何が足りないか」を考える。ディ・フランチェスコの選手たちが直面したのと同じ問いだ。
  3. 子どもの一試合を「選択の積み重ね」として見る — 勝ち負けより「なぜその動きをしたか」を試合後に一緒に振り返る。正解を押しつけず、子どもの判断の理由を聞く習慣をつける。

それでも崩れたものは何だったのか

しかし、その後訪れたのは突然の失速だった。 最後の最後まで「あと一歩」で取りこぼし、 Juventus 戦での95分の失点など、紙一重のところで勝点を逃す試合が積み重なっていく。

34節を終えて、Frosinone、Verona、Empoli が31ポイント。 Udinese が29ポイント。 そこからもがきながら、Frosinone は最終節を前に16位、勝点35で自力残留の位置についた。

ホームで Udinese を迎え、引き分けでも、場合によっては負けても残留の可能性がある。 前半は落ち着いて試合を進め、Soulé と Brescianini のシュートは2度、ゴールポストを叩いた。

「内容では勝っている」 「いつか1点入るだろう」 そう思いたくなる時間帯。 しかし、ハーフタイム、相手ベンチで Fabio Cannavaro が選んだのは「ダブルターゲットマン」。 Keinan Davis を投入し、Lorenzo Lucca と並べる決断だった。

それまでほとんど出番のなかった Davis。 ケガに悩まされ、「いるけれど、いない」存在だった FW。 その彼が、Lucca の落としを左足で決め、残酷にも Frosinone の運命を変える。

同じ時間帯、Empoli では Niang のシュートが Roma のゴールを割り、 最終的に残留をつかんだのは Empoli、落ちたのは Frosinone だった。

「自分たちは報われなかった」という感情と、サッカーの残酷さ

試合後、Di Francesco の体は、まるで空気を抜かれた人形のようだった。 のちに出した長い手紙の中で、彼は「この降格は不当で、相応しくないものだった」と率直に吐き出している。

勇気を持ってプレーしたこと。 ピッチの内外でフェアであろうとしたこと。 「自分たちはサッカーを敬って戦った」と信じていること。

けれど、サッカーは必ずしも「頑張った方」「正しいと思った方」に微笑むわけではない。 ポストに当たるシュートと、ギリギリ枠に飛ぶシュート。 采配が「当たった」と言われるか、「裏目」と言われるか。 その差は、数センチのズレの積み重ねなのかもしれない。

もし自分がこのチームの選手だったら、 「やることはやったのに」と感じてしまうだろうか。 それでもなお、自分のプレーや判断を振り返ろうとできるだろうか。

Veneziaでの「現実との折り合い」──理想を削るという選択

攻撃的な監督が、「守るチーム」を選んだとき

Frosinone の降格のあと、Di Francesco が向かった先は Venezia だった。 ここで彼は、かつての自分のスタイルをそのままコピーすることをやめている。

質的な違いのある選手たち、限られた攻撃のカード。 冬の移籍市場では、エースの Pohjanpalo を売らざるを得なくなる。 そこで彼が選んだのは、「守備から積み上げるチーム」だった。

Idzes を中心としたディフェンスライン。 Nicolussi Caviglia の整理されたレジスタ。 少ないチャンスを、なんとか拾って勝点に変える戦い方。 ゴールは少なく、内容も派手ではない。 それでも、少しずつ順位表の「危険ゾーン」から抜け出していった。

Roma には Dybala のPK一本で敗れただけ。 Lazio や Atalanta とも引き分け、Scudetto を目指す Napoli も0-0に封じ込めた。

それでも届かなかった残留、そして残る問い

36節に Fiorentina を下して残留圏に浮上したとき、 「このまま逃げ切れるかもしれない」という希望が、ほんの少しだけ見えた。

しかし、Cagliari 戦の敗北で状況は再び暗転する。 最終節の相手は、チャンピオンズリーグ出場権を懸けた Juventus。 早い時間に先制しながらも、ひっくり返され、反撃も実らず、Venezia は降格した。

理想を削り、守備的に戦うことで「現実」と折り合いをつけようとした一年。 それでも報われないことがあると知ったとき、 指導者は何を握りしめ、何を手放すのだろうか。

守るサッカーを選んだのは、逃げるためだったのか。 それとも、限られた手札で生き延びるために必要な「知恵」だったのか。 答えは簡単には出ない。

同じように、育成年代でも「理想のスタイル」と「勝点を取るための現実」の間で揺れる指導者は多い。 もし自分がベンチに座る側だったら、どこで線を引くだろうか。

Lecceでの再挑戦──変えたものと、変えなかったもの

また一度、4バックへ。「かつての自分」に戻るのか

それでも Di Francesco には、もう一つのチャンスが訪れる。 Lecce である。

スポーツディレクターの Pantaleo Corvino の方針どおり、 Lecce は Krstović や Baschirotto など主力を高く売り、新たに伸びしろのある選手を連れてくる。 しかし、そのなかで高額だった Siebert や Stulic は期待どおりにはいかない。

Venezia では3バックを受け入れた彼は、ここで再び4バックへ戻る。 4-3-3 と 4-2-3-1 を行き来しながら、中盤の形を変えつつ、 ビルドアップでは3枚に変形する可変の仕組みを組み込んでいく。

ただし、攻撃陣の数字は物足りない。 2月の時点で、ウイング陣は Banda が3点、N’Dri が2点、Sottil が1点。 Pierotti と Tete Morente は無得点で、後者は冬に契約解除。 センターフォワードの Stulic と Camarda を足しても3点。

そこでクラブは、Frosinone 時代の教え子、Walid Cheddira を連れてくる。 ポストプレーも、背後への抜け出しもできる彼は、 他のFWにはなかった「起点」と「深み」をもたらしていく。

「答え」をシステムではなく、人の特徴から探す

中盤では Berisha の長期離脱が痛手となった。 彼のような「一人で局面を変えられる選手」は他にいない。 そこで Di Francesco は、中盤の三角形をひっくり返し、 トップ下を立てた 4-2-3-1 にしたり、 3センターで 4-3-3 に戻したりと、試行錯誤を続ける。

そして冬、市場が一つのピースを連れてくる。 Omri Gandelman。 約190cmの長身ながら、エリア内に「いつの間にか現れる」タイプのMF。 ボックス到達のタイミングがよく、気づいたときにはシュートを打てる位置にいる。

彼に「最後の一列」を任せることで、 Lecce は Udinese 戦、Cagliari 戦と、残留争いに直結する試合で重要なゴールを手にする。

システムありきではなく、 今いる選手の特徴から「どういう形なら生きるか」を考える。 それは、かつて「自分のサッカー」を強く押し出していた監督が、 少し違う場所に立っていることを示しているようにも見える。

自分がチームを任されたとき、 「まずシステムを決めて、そこに人を当てはめる」のか。 「まず人を見て、それに合わせて形を変える」のか。 どちらのアプローチを選ぶだろうか。

ブーイングとキス──信頼をどうやって選ぶか

Lecce の今季を象徴する一場面がある。 Udinese 戦、終盤。 観客は「2トップ」への期待を高め、「Cheddira 残したまま、Stulic を入れろ」とばかりにざわつき始める。

しかし、ベンチが選んだのは、Cheddira を下げて Stulic を入れる交代。 スタジアムにはブーイングが起こる。

その Stulic の投入前、Di Francesco は Banda を抱きしめ、額にキスをするようにして送り出す。 つい最近、Parma 戦での退場という「大きな迷惑」をかけた選手。 チームの大事な試合を難しくした張本人でもある。

それでも、監督は彼を信じる選択をした。 そして、その試合を決めたのは Banda の直接FKだった。

結果だけを見れば、「采配的中」と言える。 しかし、その裏側には、ブーイングを浴びながらも「自分の交代」を通したこと、 ミスをした選手にもう一度チャンスを与えたこと、 そうした細かな決断の積み重ねがある。

もし自分が監督なら、 観客のざわめきを聞きながら、自分の決断を変えずにいられるだろうか。 ミスをした選手を、また大事な場面で送り出せるだろうか。

「不運」か「必然」か──そこにあるのは、問いの積み重ね

カルマなのか、学びなのか

ローマでバルセロナを倒したあの夜から、 Di Francesco のキャリアは、ジェットコースターのように上下している。

  • 欧州の舞台で世界を驚かせた指揮
  • 相次ぐ解任と、短期間での退任
  • Frosinone と Venezia での、内容と結果が噛み合わない残留争い
  • Lecce での、新たなやり方と、またしてもギリギリの戦い

本人は、ここ数年を「つらい時間だった」と振り返り、自分の失敗も認めている。 同時に、「運もなかった」とも感じているようだ。

ではこれは、ただの「不運」なのだろうか。 それとも、試合ごとの細かな選択や、 クラブとの相性、選手との関係、 そうした要素が絡み合った結果の「必然」なのだろうか。

監督のキャリアを振り返るとき、 私たちはつい「成功」か「失敗」か、「名将」か「ダメ監督」か、とラベルを貼りたくなる。 けれど、その間に広がっているグラデーションを見つめることは、 選手として、親として、指導者として、何かを考えるヒントになるのかもしれない。

日本サッカーの現場で、何を選ぶか

日本のサッカーでも、似たような構図を目にすることがある。

  • 育成年代で「ボールをつなぐサッカー」を掲げつつ、上のカテゴリーでは「結果優先」に急旋回するクラブ
  • ポゼッションを重視する監督が、残留争いで一気にロングボールに切り替える場面
  • 選手の特徴よりも「クラブとしてのスタイル」が優先され、起用されないタレント

そこに「正解」はあるのだろうか。 もしかしたら、大事なのは「どの選択をしたか」以上に、 「なぜその選択をしたのか」を、本人が言葉にできるかどうれなのかもしれない。

ディフェンスに重心を置く。 エースを売る。 若手に賭ける。 勝点1を取りにいく。 すべての選択には理由があり、その背景には「今、この状況で、何を優先するか」という価値観がある。

目の前の子どもたちに、どんなサッカーを見せたいのか。 選手として、自分はどんな監督の下でプレーしたいのか。 親として、我が子がどのような環境で育ってほしいのか。

サッカーの現場で起きている出来事を、 勝ち負けだけで終わらせずに見てみると、 そんな問いが静かに浮かび上がってくる。

答えを急がないために──「まだ続いている物語」として見る

「もう終わった監督」ではなく、「今も学び続ける一人の指導者」として

Di Francesco は、自分のことを「終わった」「消費された」と言う声があったことも受け止めている。 実際、数字だけを並べれば、そう判断されてもおかしくはない。

それでも、Frosinone を攻撃的なチームに変え、 Venezia では守備に寄せた現実的な戦いを選び、 Lecce では4バックに戻しつつ、選手の特徴を生かすやり方を探している。

一貫しているようでいて、変化もしている。 変わったようでいて、芯の部分は変わっていないようにも見える。 その揺らぎこそが、「生きている指導者」の姿なのかもしれない。

そして、それはプロの世界だけの話ではない。 育成年代の指導者も、学校部活の先生も、保護者も、 日々、決断と迷いを繰り返している。

「もし自分なら」を置いておく

Frosinone での最終節、0-0 のまま時間が過ぎていくとき。 あなたが監督なら、何を変えただろうか。 もっとリスクを取って攻めただろうか。 それとも、「引き分けでも残留の可能性はある」と冷静さを優先しただろうか。

Venezia でエースを失った冬、あなたが指導者なら、 チームの戦い方をどこまで変えただろうか。 選手たちに、どんな言葉をかけただろうか。

Lecce で、観客がダブルセンターフォワードを求めるなか、 あなたがベンチにいたら、誰をピッチに送り出すだろうか。 ミスをした選手に、再びチャンスを渡すだろうか。

この問いに、今すぐ答えを出す必要はない。 ただ、「自分ならどうするか」を一度立ち止まって考えてみる。 その積み重ねが、「自分で選ぶ力」を少しずつ育てていくのかもしれない。

FAQ / よくある質問
Q. ディ・フランチェスコが残留争いのクラブに多く関わる理由は?
A. 彼はローマでの成功があるため、残留争いクラブのオーナーが「救世主」として招くケースが続いた。しかし選手の質が低い環境では「自分のサッカー」を実現する素材が足りず、短期で結果が出ない悪循環になりやすい。それでも各クラブで内容を評価される試合を見せており、単純に「ダメ監督」とは言えない複雑さがある。
Q. フロジノーネが最終節で降格した主な理由は?
A. 序盤は残留ライン8ポイント差の安定した位置にいたが後半戦に急失速し、最終節のホームでウディネーゼ戦でハーフタイムに投入されたデイビス選手のゴールが決勝点となった。同時刻のエンポリの逆転もあり、フロジノーネは残留ラインを下回って降格が確定した。内容で勝っていながら数センチの差で報われなかった試合の連続が最後に響いた。
Q. ベネチアでなぜ守備的なスタイルに転換したのか?
A. エースのポハンパロ売却という戦力的制約を受け入れ、アイジェスを中心とした守備ラインの安定を優先した。限られた攻撃カードで勝点を拾うには、少ないチャンスを確実にものにし失点を最小化する現実的な戦いが必要だと判断したためだ。ナポリを0-0に封じるなど結果につながる試合もあったが最終節で降格した。
Q. 「自分のサッカー」にこだわる監督と現実を優先する監督、どちらが長く生き残るか?
A. 一概には言えないが、ディ・フランチェスコのキャリアが示すのは「どちらを選んでも正解はない」という事実だ。フロジノーネでは攻撃的スタイルで内容を評価されながら降格し、ベネチアでは守備的に転換しても降格した。「何を選んだか」より「なぜその選択をしたかを自分が説明できるか」が、長期的な信頼の蓄積につながると言える。

物語は、まだ終わっていない

ローマでバルサを倒した夜から、 Frosinone の降格、Venezia の涙、Lecce の残留争いへと続くこの物語は、 おそらく、まだ途中だ。

次にどんなクラブを率いるのか。 どんなサッカーを選ぶのか。 彼自身も、きっとまだ答えを探している最中だろう。

だからこそ、私たちも、 誰かのキャリアに「成功」「失敗」と素早くラベルを貼る代わりに、 「この人はなぜ、そう選んだのだろう」と、 少しだけ立ち止まる余白を持ってみたい。

ピッチの上でも、人生のなかでも、 結論は、いつだって「いま」の先にある。 サッカーは、その途中経過を見守るスポーツでもあるのかもしれない。 答えの出ない試合を、それでも最後の笛まで見届ける私たちのように。

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