キューバの若者はなぜプロがほとんどない国でもボールを蹴り続けるのか
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なぜキューバの若者は、いまもボールを蹴り続けるのか

ハバナの街角に、小さな空き地がある。
砂ぼこりが舞うその場所に、ゴールらしいものはない。
ブロック塀と、少し色の違う石ころが「ポスト」の代わりだ。
ボールも新品ではない。
縫い目はほつれ、空気も少し抜けている。
それでも、そこでは夕方になると、毎日のようにゲームが始まる。
ユニフォームも審判も、きれいな芝生もない。
あるのは、ボールと、数人の仲間と、「今日もここでやる」という静かな決意だけだ。
キューバでは、いまも多くの若者が、そんな環境でサッカーをしているという。
国内リーグは縮小を重ね、2025年には首都ハバナで行われたわずか3試合がシーズンのかたちを保つのみだった。
経済制裁や長引く危機のなかで、スタジアムは老朽化し、設備は整わない。
それでも、ボールは蹴られ続けている。
なぜなのか。
その「なぜ」をたどると、ひとつの国のサッカー史だけでなく、サッカーをする人間の「選ぶ力」と「考える力」が、じわりと浮かび上がってくる。
革命が変えたもの、変えられなかったもの
スペインから来たボールと、プロという選択肢
キューバのサッカーは、もともとスペインから渡ってきたと言われている。
植民地時代の影響を色濃く残したクラブには、スペイン人選手が数多く所属していた。
1938年のワールドカップでは、キューバ代表がベスト8に進出している。
そのメンバーのうち4人はスペイン出身の選手だった。
クラブも代表も、外国人の力を借りながら、プロとしてサッカーを仕事にする道を歩んでいた。
そこには明確な「職業としてのサッカー」の選択肢があった。
成績を上げれば評価され、給料も上がるかもしれない。
他国でプレーする夢も、完全には閉ざされていなかった。
では、1959年を境に、その選択肢はどう変わったのだろうか。
| 時代・出来事 | サッカーへの影響 | 選手の選択肢 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 革命前(〜1959年) | スペイン人選手も所属するプロクラブが存在し1938年にW杯ベスト8を達成 | 職業としてのサッカーと他国でのキャリアが開かれていた | ◎ |
| 1959年革命後 | プロスポーツ原則禁止・アマチュア制度へ移行・野球が国技として台頭 | 海外移籍が政治的に困難になり国内の非プロ活動のみとなった | △ |
| 冷戦終結・経済危機期 | スタジアム老朽化・リーグ縮小・遠征困難・亡命という選択肢が現実化 | 「出る」か「残る」かその間のグレーゾーンを探す選択肢も出現 | ○ |
| インターネット普及後 | 欧州・南米の試合をリアルタイムで視聴可能になりサッカー人口が増加 | SNSで海外とつながりながら国内に残るという新たな選択肢も生まれた | ○ |
| 路地・空き地でのゲーム(現在) | ゴールなし・ボール不足・審判なしでも即興ルールで毎日プレーを継続 | 「整っていないから工夫する」という学びの循環が今も続いている | ◎ |
プロを捨てるという決断
1959年、フィデル・カストロ率いる勢力がハバナを制し、バティスタ政権は崩壊する。
革命政権は、社会のあらゆる仕組みを作り変えようとした。
スポーツも例外ではない。
キューバは「プロスポーツ」を原則として認めない道を選ぶ。
サッカーも例外なく、アマチュアを基盤にした制度の中で行われるようになった。
プロとして海外で契約することは、政治的にも簡単ではなくなる。
一方で、国内では野球が圧倒的な人気と政治的な後押しを受けて、国の「顔」となっていく。
サッカーは、その陰に追いやられた。
ここでひとつの問いが生まれる。
プロという選択肢を手放すことは、本当に「スポーツの純粋さ」を守る選択だったのか。
それとも、選手たちの「自分の人生を選ぶ自由」を狭める選択でもあったのか。
どちらが正しい、と単純には言えない。
ただ、はっきりしているのは、国の方針ひとつで、選手個人の進路の幅が大きく変わるという現実だ。
壁にぶつかったとき、人はどの選択肢を見るのか
- 環境の制約をルール作りの機会として選手に渡す — グラウンドが狭い・人数が足りないといった状況で、選手たち自身が「この条件でどうやれば最善か」を考える時間を作り即興判断力を鍛える
- 「言われた通り」の指示が通用しない場面を意図的に設ける — 指示なしで少し長めにゲームを続ける時間を設け、選手が自分の物差しでプレーを選ぶ経験を積ませる
- MVP以外の「見えにくい努力」に光を当てる賞を設ける — 一番多く味方に声をかけた選手、練習メニューのアイデアを出した選手、ミスの後もプレーをやめなかった選手など、スコアに出ない行動を称える機会を作る
「亡命」というドリブル
冷戦時代、キューバはソ連を中心とした東側陣営の一員として歩みを進めた。
ソ連崩壊とベルリンの壁の崩壊は、その支えを一気に奪う出来事だった。
経済は急速に悪化し、「特別時期」と呼ばれる苦しい時間が続く。
そのしわ寄せは、スポーツにもはっきりと現れた。
スタジアムの改修が進まない。
国内リーグは縮小し、遠征もままならない。
それでも、国際大会に遠征したときだけは、別の世界が目の前に広がる。
電気がつき、客席が埋まり、ピッチが整備されたスタジアム。
自由にクラブを移籍し、サッカーを職業として生きる選手たち。
その光景の中で、キューバの選手たちは、何を思っただろうか。
「自分も、ここでプレーしてみたい」
そう感じた選手の中には、代表遠征のタイミングでチームを離れ、そのまま帰国しない決断をする者もいた。
いわゆる「亡命」だ。
亡命した選手は、国を出ることで、サッカー選手としてのキャリアと生活の安定を求めた。
残った選手は、家族や仲間、故郷とのつながりを選んだ。
どちらも、決して軽くない選択だ。
片方だけを「勇気ある」「裏切り」と簡単にラベル付けできるものではない。
毎回、その選手なりの葛藤と計算と願いがあったはずだ。
ドリブルで相手を抜きにいくか、ボールを戻して仕切り直すか。
ピッチの上では一瞬の判断だが、人生のピッチでは、その一瞬を迎えるまでに、何年も悩み続けることがある。
- 「年に3試合しかなくても蹴り続けるか」を自分に問いかける — 試合数やグラウンド状況が大幅に減ったとき、それでもボールを蹴るかという問いが「自分はなぜサッカーをしているのか」の答えを浮かび上がらせる
- 用具や環境が「当たり前」にある現状に気づく — 人工芝・公式戦・ユニフォームが揃った環境は世界的に見て当たり前ではなく、今あるものへの意識を変えることで練習への向き合い方が変わる
- コーチの指示が届かない瞬間の「自分の物差し」を育てる — 試合中に指示が聞こえないとき、どの基準でプレーを選ぶかを日常の練習から「自分で決める経験」を積み重ねることで育てる
「残る」と「出る」のあいだにあるグレーゾーン
サッカーのピッチでは、パスかドリブルか、シュートかキープか。
答えを二択にしてしまいがちだ。
だが、現実には、もっと多くの中間の選択肢がある。
キューバの選手たちの中には、国外リーグでプレーしながらも、完全に国を離れない形を模索する者もいる。
年齢を重ねてから指導者として戻る道を考える者もいる。
あるいは、SNSを通じて海外とつながり、国内にいながらも、情報の壁を少しでも越えようとする者もいる。
「出る」か「残る」かだけではなく、そのあいだにどんな小さな動き方があるのか。
そうやって選択肢を増やそうとする姿勢そのものが、ある種の「サッカー的な賢さ」にも見えてくる。
なぜ、いまの若者にとってサッカーは「反抗」なのか
野球の国でボールを蹴る意味
キューバで長く「国技」とされてきたのは野球だ。
政治的な象徴でもあるこのスポーツは、国からの支援も厚い。
そんな環境で、サッカーを選ぶ若者が増えているという話には、いくつかの背景がありそうだ。
ひとつは、世界とのつながりだ。
インターネットの普及で、ヨーロッパや南米の試合、スター選手のプレーをリアルタイムで見られるようになった。
レアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・シティ、パリのクラブの名前が、ハバナの路地でも普通に飛び交う。
そしてもうひとつは、「野球が国家のスポーツ」であることへの反発でもある。
「決められた道」ではなく、「自分の好きなもの」を選びたい。
その気持ちが、「サッカーをやる」という行為に乗っかっている。
ボールを蹴ることが、静かな自己主張になっている。
それは、誰かに対する露骨な反抗ではないかもしれない。
10代の選手が「自分の人生は自分で選びたい」と願ったとき、最初にできる小さな一歩が、「今日もここでボールを蹴る」なのだろう。
整っていない環境で、どうやって「考える」のか
グラウンドが足りない。
コーチも足りない。
リーグ戦の試合数も少ない。
そんなキューバの若者たちは、どうやってサッカーを学んでいるのだろうか。
一つの答えは、自分たちで工夫することだ。
路地でのゲームでは、オフサイドラインは「この電柱からあの角まで」と決まる。
人数が足りなければ、3対3、あるいは2対2でやる。
キーパーがいなければ、「腰より上はゴールじゃない」というルールをその場で作る。
ゲームが続くように、その場で考え、決めていく。
こうした即興的な工夫は、「決まった正解」を待つのではなく、「今ここにある条件の中で最善を探す」感覚を育てていく。
ピッチの幅が足りなければ、狭い中でのターンや壁パスの精度が上がる。
ボールが一つしかなければ、大事に扱う。
それは単に「かわいそうな環境」ではなく、「だからこその学び」がある状況とも言える。
もちろん、良い芝や十分な用具があるに越したことはない。
だが、「整っていないから何もできない」と止まってしまうのか、「整っていないからこそ工夫しよう」と動き出すのか。
そこで分かれるのは、条件ではなく、選び方なのかもしれない。
日本でサッカーをする私たちには、どう見えるか
「当たり前」が揺らいだときの想像力
日本のサッカー環境も、決して完璧ではない。
それでも、多くの地域に人工芝のグラウンドがあり、週末には公式戦が組まれ、用具も比較的手に入りやすい。
学校やクラブのユニフォーム、トレーニングウェア、新しいスパイク。
そうしたものが「当たり前」にある環境は、ときに「なぜ自分はサッカーをしているのか」という問いを忘れさせてしまうことがある。
もし突然、試合数が激減したら。
リーグ戦が、年に3試合しかなかったら。
それでも、自分はボールを蹴るだろうか。
場所がなければ、公園の片隅で。
審判がいなければ、自分たちでルールを決めて。
それとも、「試合がないならやる意味がない」と感じてやめてしまうだろうか。
良い悪いではなく、一度、そう想像してみると、今ここにあるものの見え方が少し変わる。
雨でグラウンドが使えない日。
対戦相手がいない期間。
そこで立ち止まるのか、何かを工夫するのか。
それは、キューバの若者たちが直面している問いと、遠く離れた場所でつながっている。
「言われた通り」だけでは乗り越えられない場面
日本の育成年代では、「指導者が答えを与える」スタイルが今も根強い。
どこに立つか。
どこにパスを出すか。
どんな時にシュートを打つか。
細かく指示されることで、短期的にはプレーが安定するかもしれない。
しかし、環境が急に変わったときや、想定していない状況に放り込まれたとき、「言われた通り」が通用しない場面が出てくる。
キューバのように、制度も環境も、政治状況すらも揺れ動く場所では、その「想定外」が日常になる。
だからこそ、そこでプレーする選手たちは、自分で状況を読み、自分で判断し、自分なりのリスクを取りながら決めていく必要がある。
急に「この大会の後、帰国しない」という決断を迫られるかもしれない。
急に「リーグ戦が3試合だけになった」と知らされるかもしれない。
そこで、「誰かが正解を教えてくれるのを待つ」のか。
「自分で、どのリスクを引き受けるのか」を考えるのか。
どちらか一方が常に正しいわけではない。
ただ、「自分で選ぶ」という経験を積み重ねていないと、そもそも何を基準に決めていいのかがわからなくなる。
日本のサッカー環境で育つ私たちにとっても、それは同じだ。
試合中、指導者の声が届かない瞬間は、必ずある。
そのとき、自分はどんな基準でプレーを選ぶのか。
自分の中に、どんな「物差し」を持っていたいのか。
答えを急がない勇気
「不確かな今」を生きるサッカー
キューバのサッカーは、いまも先行きがはっきりしない。
リーグ戦の形も、代表チームの強化の道筋も、すぐに明るい未来が約束されているわけではない。
それでも、街角の空き地では、今日も誰かがボールを蹴っている。
「ここでボールを蹴っていて、意味があるのだろうか」
そう迷う時間も、きっとあるはずだ。
それでも、走り出してしまえば、味方の位置を見て、相手との距離を測って、次の一歩を選ばなければならない。
人生の大きな選択と違い、サッカーのプレーには、やり直しの機会が何度もある。
前に進んでうまくいかなければ、次は戻してみる。
チャレンジしてボールを失ったら、次は少し安全なパスを選ぶ。
その小さな試行錯誤の積み重ねが、「自分なりの選び方」を育てていく。
キューバの若者たちにとって、サッカーは「将来が保証された道」ではない。
それでも続けると決めるとき、彼らは「不確かさ」と一緒に生きる覚悟を、少しずつ身につけているのかもしれない。
自分なら、どんな選び方をするだろう

もし、自分がキューバで生まれ、サッカーに出会ったとしたら。
プロという制度がほとんどない国で、それでもサッカーをやりたいと思うだろうか。
代表遠征のとき、「このまま帰らない」という選択肢を頭のどこかで考えるだろうか。
あるいは、家族と一緒にいることを選んで、国内に残るだろうか。
どちらを選んだとしても、その決断には、恐さと期待と、ほんの少しの後悔が混ざるはずだ。
「自分ならこうする」と簡単には言えないからこそ、そこに想像の余地が生まれる。
同時に、自分が今プレーしている環境を、少し違う目で見つめ直すこともできる。
コーチから与えられたメニューを「ただこなす」のか。
その意図を考え、自分でアレンジしてみるのか。
進学やクラブ選びを「言われた通り」に決めるのか。
自分が何を大事にしたいのかを、一度立ち止まって考えてみるのか。
答えは人それぞれでいい。
ただ、「どんな環境でも、自分で選び、自分で考えることはできる」ということだけは、キューバのサッカーの歩みが教えてくれているように思える。
不確かな未来の中でボールを蹴り続ける若者たちの姿は、勝敗やタイトルとは別のところで、人がサッカーとどう向き合うのかという問いを投げかけてくる。
その問いに、どんなスピードで、どんな言葉で答えるのか。
それもまた、一人ひとりの「ゲーム」の一部なのかもしれない。
ボールを止め、顔を上げ、次のプレーを選ぶまでの、あの一瞬の静けさのように。
