父から息子へ、そして友人へ受け継がれた「キックオフ前90秒の電話」が問いかけるサッカーとの向き合い方
分享这篇专栏
父から受け継いだ「電話の90秒」が問いかけてくるもの

キックオフの少し前、スタジアムが一度だけ静かになり、そして一気に膨らむ瞬間がある。
スペイン・セビージャのレアル・ベティスの試合前、アレックス・プラダの携帯電話は、いつも同じタイミングで鳴っていた。
相手は父のマヌエル。
話すためではない。
ただ、スタジアムで歌われるベティスの賛歌を、親子で一緒に聞くための電話だった。
数十秒で切れる短い通話。
でも、その短さの中に、父と息子が「どうサッカーと付き合うか」を、自分たちなりに選び抜いてきた時間が詰まっている。
試合を「語らない」親子が共有していたもの
アレックスはセビージャで育ち、家族の時間の一部としてベティスを見てきた。
親子でスタジアムに行く日もあれば、テレビの前で並んで座る日もある。
でも、90分間、戦術や選手起用を延々と語り合うようなタイプの親子ではなかったという。
むしろ、ほとんど言葉を交わさないことも多かった。
それでも「同じものを見ている」という感覚だけは、いつもそこにあった。
父のマヌエルは、若い頃にベティスのGKとしてプレーし、その後も少年チームの指導者を務めた人だった。
スタジアムには早く着き、GKのウォーミングアップをじっと見るのが好きだったという。
準備運動の一つひとつの意味、踏み込みの角度、キャッチの位置。
外から見れば「ただのルーティン」に見える動きの連続に、彼は何かを感じ取っていたのかもしれない。
若い頃にプロの扉の手前でプレーし、指導者としても少年たちと関わってきた人が、それでもなお、「試合前の数分」を大切に眺め続けていた。
この視線には、どんな思いが込められていたのだろうか。
| 観点 | 競技レイヤー | 意味レイヤー | 継承/変化 |
|---|---|---|---|
| 大切にする時間 | 試合の結果・スコア | キックオフ前の賛歌の数十秒 | ◎ 継承 |
| 共有の形 | 戦術や選手起用の議論 | 黙って同じ音を聞き合う | ◎ 継承 |
| 距離が変わっても | 同じ会場で並んで観戦 | 電話越しに賛歌を届け合う | ○ 柔軟化 |
| 病や困難を経ても | コンディションに左右される | 変わらず同じタイミングで鳴る電話 | ◎ 継承 |
| 儀式の担い手 | 作者が一人で持つもの | 親の友人が自然に引き継ぐ | △ 変化 |
「解説」ではなく「同じ空気を吸う」ための電話
やがてアレックスは、仕事の都合でマドリードに移り住む。
父と同じ部屋で試合を見ることはできなくなった。
ここで一つの選択が迫られる。
これまでの「一緒に見る時間」が消えてしまうことを、ただ受け入れるのか。
それとも、形を変えながら何かを残そうとするのか。
マヌエルが選んだのは、キックオフ前、スタジアムで賛歌が歌われ始める瞬間に、アレックスへ電話をかける、という方法だった。
戦術の話をするわけでもない。
「今日は勝てそうだな」とか、「このメンバーはどうだ」といった会話さえ、ほとんどない。
ただ、スタジアムの声を、電話越しに共有する。
数万の声が重なっていくあの独特のうねりを、親子で黙って聞き合う。
電話は、ボールが動き出す前に切られる。
結果ではなく、「これから何かが始まる」という時間だけを、父は息子に届けようとしていたのだろう。
そこには、二つの問いが隠れているように思える。
- サッカーを見るとき、自分は「何」を一番大事にしたいのか
- 離れて暮らす誰かと、どの瞬間を分かち合いたいのか
もし、自分が同じ立場だったらどうだろう。
スタメン発表の時かもしれない。
キックオフの笛かもしれない。
それとも、試合後の整列や、スタンドへの挨拶かもしれない。
マヌエルは、その答えを「賛歌が歌われる時間」に置いた。
それは、選手のプレーではなく、クラブと街とサポーター、その全部が一つになる、ほんのわずかな時間だ。
- 試合前の一言を定型化する — キックオフ5分前はベンチ全員と目を合わせて短い言葉を交わすルーティンを設け、勝敗に関係なく続ける
- 負けたときこそ変えないものを選ぶ — 不調時に練習メニューや声かけを全部変えず、「変えないと決めた何か」を意識的に残して選手の安心感を守る
- 試合後3分の対話を必ず設ける — 結果がどうであれ選手と話す時間を固定し、「サッカーの競技外のレイヤー」を選手自身が持てるよう問いを投げかける
「声が詰まる時間」を誰と共有するか
この親子の儀式には、もう一つ大切な背景がある。
ベティスの賛歌は、ある時期から、スタジアムの声だけで歌われるようになった。
音響設備からの音を止め、数万人のサポーターがア・カペラで歌う。
マヌエルは、この瞬間に深く心を動かされていたという。
歌詞の一語一語にではなく、その場の空気に。
沈黙と熱狂のあいだを揺れ動く、あの独特の張り詰めた空気。
GKとしても、指導者としても、何度も「待つ時間」と向き合ってきた彼にとって、その一体感は特別な意味を持っていたのかもしれない。
試合は始まれば、ボールが転がり続ける。
でも、賛歌が歌われる時間は、「まだ何も起こっていない時間」だ。
ここでは、誰もミスをしていないし、誰もヒーローになっていない。
ただ、これから何かが起こる、その「予感」だけがある。
多くの指導者や選手にとって、この「まだ何も決まっていない時間」とどう向き合うかは、大きなテーマだ。
試合前、ロッカールームで何を話すのか。
子どもが試合に出る前、親としてどんな一言をかけるのか。
答えは一つではない。
ただ、マヌエルは、自分にとっていちばん大事な時間を、誰かと「分け合う」ことを選んだ。
その相手が息子だった、というだけの話だ。
- 自分だけの「大事な瞬間」を決める — ウォーミングアップの最後の一呼吸、スタメン発表の瞬間など、試合前のどこかに自分だけの特別な時間を持つ
- 保護者は試合前の雰囲気を一緒に味わう — 戦術を語るのではなく、スタジアムや会場の空気を子どもと黙って共有する時間が、長く続く「サッカーの記憶」になる
- 勝敗とは別の「続けたい習慣」を一つ作る — 試合前におにぎりを一緒に食べる、試合後に必ず歩いて帰るなど、結果に関係なく続くルーティンがサッカーを長く愛する土台になる
病と、変わらないルーティン
やがてマヌエルは、がんを患う。
治療が続く3年間も、ベティスの試合前の電話は続いた。
コンディションがどうであっても、結果がどうであっても、その「数十秒の通話」は、変わらずそこにあった。
2022年、ベティスが国王杯決勝を戦ったとき、マヌエルはすでにかなり体力を奪われていたが、それでもスタジアムで決勝を見届けたという。
試合後にバスを乗り過ごしてしまうほど、疲れていた。
それでも、彼は幸せそうだったと伝えられている。
息子のアレックスは、マドリードからその様子を気にかけながら、決勝を見ていた。
このエピソードに、特別な「感動物語」を読み込む必要はないだろう。
病気だからといって、サッカーが何かを変えてくれるわけではない。
負ければ悔しいし、勝てばうれしい。
でも、病の進行は、スコアとは関係なく進んでいく。
それでも、週末ごとに同じ時間に鳴る電話は、父と息子に「いつも通り」を届けていた。
サッカーの指導現場でも、同じような問いがある。
- うまくいかない時期にこそ、何を変えずに続けるのか
- 勝敗に左右されない「一緒にやる習慣」をどれくらい持てているか
負けたらミーティングが増え、勝ったら減る。
調子が悪くなると、練習メニューも、声かけも、一気に変わる。
そんな時こそ、「変えない」と決めた何かが、選手や子どもたちにとっての支えになることもある。
マヌエルにとっては、その一つが「試合前の電話」だったのかもしれない。
儀式を引き継ぐ人が現れた理由
2025年、マヌエルは65歳でこの世を去る。
ここで、本来なら儀式は終わってもおかしくない。
次の試合で、賛歌が流れても、電話は鳴らないはずだった。
ところが、アレックスの携帯は、いつものタイミングで振動した。
画面には「マヌエル・オルメド」の名前。
父と親しい友人だった人物だ。
彼は、それ以降も、ベティスの試合前になると、同じように電話をかけてくるようになった。
儀式の「作者」は誰なのか。
父なのか、友人なのか。
アレックスは「二人の共作のようなものだ」と感じているという。
この出来事には、サッカーにおける「継承」の難しさと面白さが見える。
指導者として、自分が大切にしてきたものを、どこまで次の人に手渡せるのか。
親として、子どもに何を残したいのか。
それは、お金や物ではなく、考え方や習慣であることも多い。
マヌエルは、最後まで「お別れの儀式」のようなものを望まなかったと伝えられている。
だからこそ、その友人は、「終わらせない」という選択をしたのだろうか。
もしかしたら、彼の中にも、あの数十秒の電話が「ただの習慣」以上の意味を持っていたのかもしれない。
ここにも、小さな問いが生まれる。
- 自分のチームや家族に、もし一つだけ「残したい習慣」を選ぶとしたら、何を選ぶだろうか
- それは、誰かがいなくなっても続いてほしいものだろうか
ベティスは今も週末にプレーし、良いシーズンもあれば、苦しいシーズンもある。
スコアは変わり、監督も選手も入れ替わる。
その中で、アレックスにとって変わらないのは、「試合前に電話が鳴る」ということだ。
結果がどうであれ、試合はいつも同じように始まる。
日本のスタジアムにある「自分たちなりの時間」

日本のサッカーを思い浮かべてみる。
Jリーグのスタジアムにも、それぞれのクラブの歌やチャントがあり、試合前に独特の雰囲気を作り出している。
選手として、あの時間をどう受け取っているだろうか。
保護者として、ピッチに立つ子どもと、どの瞬間を一緒に味わいたいだろうか。
指導者として、「これから始まる時間」に、どんな意味を持たせたいだろうか。
例えば、こんなことも考えられる。
- キックオフ前に、必ずベンチ全員と目を合わせて一言を交わす
- 試合開始5分前は、あえて戦術の話をやめて、選手に言葉を委ねる
- 子どもの試合では、保護者は「最初の5分だけは声を出さずに見守る」と決めてみる
どれが正解というわけではない。
大事なのは、「なぜ、その時間をそう扱うのか」を、自分たちで考えて選ぶことだ。
マヌエルは、自分なりの答えを「電話をかける」という形で表現した。
日本のスタジアム、日本のチーム、日本の家族には、また別の形があるはずだ。
「勝ち負け」とは別のレイヤーでサッカーを持つ
このベティスの物語を、日本の育成年代に重ねてみると、ひとつ見えてくるものがある。
サッカーが「競技」として機能するのは、スコアと順位があるからだ。
でも、人が長くサッカーと付き合い続けるためには、「競技」のレイヤーとは別のところに、自分だけの意味づけが必要になる。
マヌエルとアレックスにとって、それは「試合前に一緒に賛歌を聞くこと」だった。
指導者であれば、「どんな結果でも、試合後に必ず選手と話す3分間」かもしれない。
親であれば、「試合前におにぎりを一緒に食べる時間」かもしれない。
選手であれば、「ウォーミングアップの最後の一呼吸」かもしれない。
それぞれが、自分だけの「サッカーの持ち方」を選び取ることで、勝ち負けでは揺れない土台ができていく。
その土台があるからこそ、試合中の苦しさや判断の難しさにも、少しだけ腰を据えて向き合えるのかもしれない。
あなたなら、どの瞬間を残したいだろうか
キックオフの直前、スタジアムの声が一つになる時間。
電話越しにその音を息子へ届け続けた父と、その儀式を受け継いだ友人。
この物語は、「家族愛」や「クラブ愛」といった言葉でまとめることもできるかもしれない。
でも、その手前で立ち止まってみると、もっと小さな問いが浮かんでくる。
- 自分にとって、サッカーのどの瞬間がいちばん大切なのか
- その瞬間を、誰と、どんなふうに分かち合いたいのか
- その選び方は、今の自分のサッカーの向き合い方とつながっているだろうか
答えを急ぐ必要はない。
今週末の試合前、ほんの少しだけ、自分の中で「大事にしたい時間」を意識してみる。
電話をかける必要はない。
ただ、ピッチに立つ前、スタンドに座る前、もしくはテレビをつける前の数十秒を、いつもより丁寧に味わってみる。
サッカーは、キックオフの笛とともに始まるように見えるけれど、本当は、その少し前から、もう始まっているのかもしれない。
その始まり方を、どう選ぶか。
その選択の積み重ねが、「自分だけのサッカー」を静かに形づくっていくのだと思う。
