サッカー選手の「ジンクス」は迷信か、技術か——アルゼンチンの「カバラ」から考える、不安とパフォーマンスの整え方
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ジュリアン・アルバレスのゴールが救ったのは、誰だったのか
試合開始から19分が経過したとき、その男は「チャンネルを変えてくれ」と言った。
アルゼンチン代表とスイスの準々決勝。 テレビの前に集まった家族は、それぞれが「前の試合と同じ席」に座っていた。 息子は、前回と寸分違わぬ格好をしている。 代表のユニフォームを一番上に、青いスウェット、白い長袖、緑のジャージ、水色の靴下、黒いスニーカー。 まるで決められた儀式のように、誰もが「その位置」に戻っていた。
その輪の中に、ひとりだけ場所のない人間がいた。 初めてその空間に招かれた客人——つまり、この話の書き手その人だ。 「自分がここにいることで、バランスが崩れてしまうのではないか」という感覚を、彼は覚えたという。
結果的に、ジュリアン・アルバレスのゴールが、その空気を和らげた。
カバラとは何か。そして、なぜ人はそれを手放せないのか
「ジンクス」「おまじない」「験担ぎ」。 日本でもよく耳にする言葉だが、アルゼンチンではこれを「カバラ(cábala)」と呼ぶ。
その語源は、ヘブライ語の「カバラー(Kabbalah)」、「受け取る」を意味する言葉だ。 もともとは口承によって伝えられる神秘的な知恵の体系を指していたが、時間をかけて意味が変容し、今では「ある行為が特定の結果をもたらす」という信念に近いものとして使われている。
パブロフの犬の話を思い出した人がいるかもしれない。 犬は、ベルの音を聞くと食事を予期して唾液を分泌した。 ベルそのものには食べ物は関係ない。 しかし、繰り返される経験の中で、ふたつのものが「つながってしまった」のだ。
カバラもそれと似ている。 あの日、緑のジャージで見た試合で勝った。 だから次も、同じジャージを着なければならない。 ロジックではなく、「体が覚えた因果関係」だ。
しかし、あるアルゼンチンの精神分析家はこう問い返したという。 本当に、人々はそのジャージが勝利をもたらすと信じているのだろうか、と。
そうではない、かもしれない。 カバラを実践する人の多くは、「これが試合の結果を変えるわけではない」とどこかで知っている。 それでも繰り返すのは、不確かさへの不安を、自分なりに和らげるためだ。 コントロールできないものを前にしたとき、「自分にできることをした」という感覚だけが、心を落ち着かせてくれる。
選手たちも、同じ問いの前に立っている
カバラは、スタンドの観客だけのものではない。
ラファエル・ナダルはコートチェンジの際、ラインを踏まなかった。 アルゼンチン代表のデ・パウルとパレデスは、飴を食べることがルーティンになった。 1986年の代表チームは——ある書物の記述によれば——まるでチーム全体がひとつの巨大なカバラのように機能していたという。 座席、歌、集合の順番。すべてが「前と同じ」であることを求められていた。
しかしここに、少し違う考え方を持つ人物がいる。 元アルゼンチン男子バスケットボール代表キャプテン、ルイス・スコラだ。
スコラは、自分にはカバラがないと語ったことがある。 あるのはルーティン、つまり「習慣」だと。 フリースローを打つ前の呼吸、足の運び、視線の置き方。 それは体に「これから何が起きるのかを教えるサイン」だと彼は言う。
儀式と習慣は、見た目は似ている。 しかし、その設計の目的が違う。 一方は「不安を消すため」にある。 もう一方は「パフォーマンスを引き出すため」にある。
この違いを、すぐに「どちらが正しいか」と判断したくなる気持ちは、よくわかる。 でも少し、待ってみたい。
日本のサッカー現場で、これをどう受け取るか
試合前のウォームアップで、いつも同じ順番で動く選手がいる。 シュートを打つ前に、必ず左足で一歩踏み出す子がいる。 試合前夜、絶対に同じ音楽を聴く指導者がいる。
それを見たとき、「意味があるのか」と思うだろうか。 「やめさせたほうがいい」と感じるだろうか。 それとも、「なぜそれをするのか、聞いてみようか」と思うだろうか。
日本のサッカー指導の現場では、長らく「正しいフォーム」や「正しい戦術」に多くの時間が割かれてきた。 それは当然のことでもあるし、大切なことでもある。 しかし、選手が自分なりに「不確かさと向き合う方法」を持っているとき、それをどう扱うかという問いには、あまり向き合われてこなかったかもしれない。
プレッシャーのかかる場面で「自分を落ち着かせる方法」を持っているかどうかは、試合の結果に関係なく、その選手の内側の構造に深く関わっている。
スコラの言う「ルーティン」は、高度に設計された自己調整だ。 観客席の「カバラ」は、コントロール不能への素朴な祈りだ。 そしてその祈りが、試合を囲む人々を一体にし、あの部屋の空気をつくっていた。
どちらが「本当の意味でパフォーマンスに役立つか」と問うことは、たしかにできる。 しかしそれと同時に、「なぜ人はそれを手放せないのか」という問いも、同じくらい豊かな扉を開く。
結論より先に、問いがある
ジュリアン・アルバレスのゴールが決まったとき、あの部屋の全員が歓声を上げた。 「やっぱりカバラが正しかった」と思った人もいたかもしれない。 「ゴールはゴールだ」と思った人もいただろう。
でも、どちらの人も同じ喜びの中にいた。
自分にとっての「カバラ」は何だろう、と考えてみることがある。 試合前の決まった言葉。特定の景色を見ること。深呼吸を三回すること。 それは迷信なのか、それとも自分なりの「準備の形」なのか。
サッカーの試合には、コントロールできないことのほうが多い。 天候も、審判も、相手の調子も、味方のミスも。 それでも人は何かをしようとする。 ユニフォームを着て、同じ席に座って、同じ順番でウォームアップをして。
その行為が持つ意味を、誰かに決めてもらう必要はないのかもしれない。 大事なのは、「自分がなぜそれをしているのか」を、自分自身が少しでも知っていることだ。
答えを持つことより、問いを持ち続けることのほうが、長く走れる足腰をつくる。
| 観点 | カバラ(儀式) | ルーティン(習慣) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 目的 | 不安を消す | パフォーマンスを引き出す | △ |
| 設計思想 | コントロール不能への祈り | 体に開始を教えるサイン | ○ |
| 代表例 | 同じ席・同じ服を着て試合を見る | フリースロー前の呼吸・足の運び・視線 | ○ |
| 結果との関係 | 結果を保証しないと自覚しつつ継続される | 動作の一貫性が精度に寄与しうる | ◎ |
| 日本の指導現場での扱い | 意味を問われず放置されがち | 正しいフォームとして重視されがち | △ |
| 心理的効果 | 不確かさへの安心感を与える | 動作前の集中状態をつくる | ◎ |
- 選手にルーティンの意味を尋ねる — シュート前の一歩や動作の順番について、本人に理由を説明させる
- 儀式的行動を否定せず記録する — 同じ音楽や同じ順番の行動を観察し、パフォーマンスとの関係を見極める
- ルーティンをフォーム指導と同じ精度で教える — 呼吸や視線など、体に開始を告げる動作を意図的に設計する
- 自分の試合前ルーティンを書き出す — なぜそれをするのか、自分の言葉で説明できるか確かめる
- 観戦席の験担ぎを楽しむ — 同じ席や同じ服にこだわる家族の行動を、不安を和らげる方法として受け止める
- 子どもの縁起行動を否定しない — 左足から踏み出す等の癖は、やめさせる前にまず理由を聞く
プロの世界に進めずにサッカーを離れることになった22歳の自分を、いまも頭の片隅で思い出すことがある。あの頃、試合前に同じ靴紐の結び方をしていた選手も、何も特別なことをしなかった選手も、同じピッチに立っていた。儀式の有無より、立つ直前の数分をどう過ごしているかのほうが、後になって記憶に残っている。
もちろん、皆さんが見てきた選手たちの験担ぎが、すべて同じ意味を持っていたとは限らない。それでも少しだけ思い浮かべてみてほしい。自分が落ち着きを取り戻すために、無意識に繰り返している動作が、何かあるだろうか。
