マンチェスター・シティの九億ポンド問題が、サッカーを愛するすべての人に突きつけている問いがある
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九百億円の嘘と、正直であることのコスト
サッカーの試合は九十分で終わる。
しかしピッチの外で動いていた別の試合は、三年以上かかってようやく一つの区切りを迎えた。
マンチェスター・シティが、プレミアリーグの財務規則に違反したとして、すべての訴因において有罪と認定された。
対象期間は2009-10シーズンから2017-18シーズン。 その間に問題とされたのは、スポンサーシップ収入を実態よりも大幅に水増しした行為で、その総額は九億ポンド、日本円にすれば軽く一千億円を超える規模とされている。
クラブはその間、国内外で数多くのタイトルを積み上げていた。
では、その輝かしい時間はいったい何だったのか。 そして、「正しく戦う」とはどういうことなのか。
スポンサーの名前が示すもの
スタジアムにはクラブの名前と並んで、必ずスポンサーの名前が入る。
ユニフォームの胸に刻まれたロゴを、子どもたちは何度も眺めながら試合を見る。
マンチェスター・シティの場合、2009年からメインスポンサーを務めてきたのがエティハド航空だ。
今回の審理において、そのスポンサーシップ契約の一部が「実態のない取引」として問題視された。
エティハド航空はすぐに声明を出し、いかなる不正な商業取引にも関与していないと強く否定した。 名前が公開された判決文にも自社名は記載されていないとし、透明性を欠く形で事態が公表されたことへの法的措置を検討している。
この一連の動きを見ていると、ふと考えることがある。
スポンサーとは何者なのか。 クラブを支えるビジネス上のパートナーなのか。 それとも、クラブの姿勢や思想を体現する存在であるべきなのか。
子どもたちが胸のロゴを眺めるとき、そこには単なる企業名ではなく、「このクラブが誰と手を結んでいるか」という物語が宿っているはずだ。
ルールの中で戦う、という前提
サッカーにはルールがある。
オフサイド、ファウル、退場。 それらは試合の中で瞬時に判断される。
ではクラブ経営のルールは、どのように機能しているのか。
プレミアリーグの財務規制は、クラブ間の競争が極端に歪まないようにするための仕組みだ。 強いクラブが資金力にものをいわせて際限なく選手を集め続ければ、やがてリーグ全体の魅力は失われていく。
だから、支出には上限がある。 収入は正直に申告しなければならない。
今回問題とされたのは、その「収入の正直な申告」という部分だった。
スポンサーシップ収入を実態以上に見せることで、見かけ上の財務健全性を演出し、選手獲得に使えるお金を増やす。 その構造が、独立した審査委員会によって認定された。
シティ側はすべての訴因を否定し、今週中に控訴の意思を示すとしている。 クラブの最高経営責任者は、この案件が長期にわたって続くという見方を示した。
一方でプレミアリーグ内部の関係者は、今シーズン中に判決まで持ち込むことは可能であり、むしろそうすべきだという考えを持っているという。
「全員にとって、できる限り早く決着がつくことが利益になる」という言葉が、関係者の一人から出た。
ただし、それは「急ぐために正確さを犠牲にする」ということではない。 「正しくやらなければならない」という留保が、同じ文章の中に込められていた。
三年間、ピッチで何が起きていたか
この訴追が始まってから、シティはリーグで優勝し続けた。
問題対象期間に限らず、審理が続く三年間でも、クラブはタイトルを積み重ねた。 その数、この調査対象期間に獲得したトロフィーは八つにのぼるとされている。
選手たちは知っていたのか、知らなかったのか。
おそらくほとんどの選手は、ピッチの上で自分たちの仕事をするだけだった。 戦術を理解して、ポジションを取って、相手を崩す。 それが彼らの世界だ。
しかし一方で、クラブの財務構造がどのように組み立てられているかによって、どの選手を連れてこられるかが決まる。 チームメイトの顔ぶれは、経営判断の結果でもある。
ピッチの上と外は、完全に切り離されてはいない。
育成の現場から見えること
子どもたちにサッカーを教えるとき、私たちは何を伝えようとしているのだろうか。
フェアプレーという言葉は、試合中の行動だけに向けられていない。
なぜあのチームはあんなに強いのか。 なぜあの選手を獲得できたのか。
子どもたちはプロサッカーを見ながら、クラブとはどういうものかを学んでいく。 トップリーグで起きていることは、意識するかどうかに関わらず、サッカーというスポーツ全体のイメージを形作る。
今回の件で、プレミアリーグという舞台がどのように見えるかは、クラブの判断だけでなく、プロセスの透明性によっても変わってくる。
控訴があれば審理はさらに続く。 規定では、控訴提出から十二週以内に結論を出し、三十日以内に裁定を示すとされている。
今シーズン中に決着がつくかどうか。 それは独立した委員会の判断に委ねられている。
選ぶことの重さは、結果が出てからわかる
どんな選択にも、時間差がある。
あの契約を結ぶか。 あの資金調達の方法を採るか。 あの数字をどう記録するか。
経営の現場で下された判断が、十年以上の時間を経て、今ピッチの外で問われている。
選手がピッチで一瞬の判断を迫られるように、クラブの経営陣も判断を迫られ続けている。 ただし、その結果が見えるまでには、途方もなく長い時間がかかることがある。
サッカーという競技が好きな人間として、この事態を前にしてはっきりと思うことがある。
「どう選んだか」は、いつか必ず明らかになる。
そしてその選択の重さは、表彰台に立ったときではなく、別の場所で測られることがある。
シティの裁定がいつ、どのような形で下されるにせよ、このプロセスが残すものは処分の中身だけではない。
それは、ルールの中で戦うとはどういうことか、という問いを、サッカーに関わるすべての人の前に静かに置いていく。
あなたならどの道を選ぶか。 そしてその道を、十年後の自分に見せることができるか。
ルール自体が公正かどうか、という問いも残る
プレミアリーグの財務規制が「競争を公平にする仕組み」だという前提は、すべての人が同意しているわけではありません。FFPの設計段階からの批判として、すでに収益基盤を持つ大クラブほど有利な条件で運用される構造があるという指摘があります。過去の投資で作られた収益力は制限の外にあり、新たに参入しようとするクラブは同じ地点から走り始めにくい。そういう非対称性が、制度の外側にあります。
その批判が正しいかどうかを問わず、「規則があるならそれを守る」という一点は揺らぎません。ただ、その規則が参加者全員に同じ条件を与えているかどうかを同時に問い続けることも、フットボールへの誠実さの一形態です。今回の裁定は正当なプロセスによるものです。それでも、結果をどう受け取るかという問いは、ルールを守る側と作る側の両方に向けて静かに残ります。
サッカーを好きな人間として「ルールが必要だ」と思うのと、「そのルールが全員に同じ条件を与えているか」を問い続けることは、矛盾しません。その両方を手放さないことが、この競技への誠実さだと思います。
今回の審理が扱った数字
