コリチーバCEO交代劇から学ぶ、選手・指導者・保護者のための「善悪で語らないクラブ運営と長期投資の判断基準」
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クラブを動かすのは、ゴールだけではない

ひとつのクラブのトップが去るとき、ピッチの上では何も起きていないように見えても、クラブの中では大きな試合が終わったような空気が流れることがある。
ブラジルの古豪コリチーバで、CEOを務めていたルーカス・デ・パウラがクラブを離れることになった。
わずか1年あまりの在任期間。
それでも、その別れ方は静かなものではなかった。
クラブの評議会の副会長のひとりは、自身のSNSで「善と悪」を持ち出し、彼の退任を「祝う」かのような言葉を投稿した。
一方で、クラブのオーナー企業側は、デ・パウラの1年を「前向きな取り組み」「献身」「クラブ発展への貢献」として、ていねいにたたえた。
同じ1年を見ていながら、片方は歓喜し、もう片方は感謝を述べる。
そして当の本人は、自分が行ってきたことを、落ち着いた調子で振り返っている。
スタジアムやトレーニング施設への投資。
Coxa MallやSports Barといった新しい空間づくり。
クラブと街とサポーターをつなぐイベント。
サポーターグループ、スポンサー、過去の会長たち、自治体との関係づくり。
「正しかった」「間違っていた」というより、「こう選んで、こう動いた」という事実だけが並んでいる。
それでも、彼の仕事はサポーターの多くから批判されていた。
15人の選手を獲得しながら、リーグ全体では補強にかけたお金は下位グループ。
唯一、大きくお金をかけたのはブレーノ・ロペスというFWで、その買い物はクラブ史上最高額だった。
経営陣としては「投資した一年」。
サポーターからすれば「まだ足りない一年」。
そのズレの中で、ひとりのCEOがクラブを去っていく。
ピッチ外にも「判断の連続」がある
試合を見ていると、プレーしている選手だけが「判断している存在」に見えやすい。
ボールをもらうか、スルーするか。
前を向くか、後ろに預けるか。
シュートか、パスか。
けれど、クラブという単位で見れば、判断を迫られているのは選手だけではない。
経営陣は、こんなことを選んでいる。
- どこにお金をかけるのか(スタジアム、選手補強、育成、スタッフ、マーケティング…)
- 「今」の勝利と「未来」の基盤、どちらをどれだけ優先するのか
- サポーターの声と、自分たちの計画を、どうバランスさせるのか
CEOであればなおさら、その選択はクラブ全体を巻き込む。
ルーカス・デ・パウラは、スタジアムと練習場に約1500万レアルを投じたと言われている。
同じ金額が、ブレーノ・ロペスひとりの移籍金にも使われている。
ピッチの中の感覚で言えば、「ひとりに縦パスを当てる」のか、「チーム全体の立ち位置を整える」のかに少し似ているかもしれない。
どちらもサッカーには必要だ。
ただ、その比率は常に悩ましい。
日本のクラブでも、同じような葛藤はきっとある。
スタジアムの改修に踏み切るのか、アカデミーの環境を先に整えるのか、目玉になる海外選手を連れてくるのか。
結果が出なければ、「なぜ補強しない」と言われる。
補強すれば、「なぜ育成を大事にしない」と問われる。
外から見れば「もっとこうすれば」と言いたくなるが、中にいる人にとっては、そのどれもが現実の制約の中での選択になる。
| 観点 | 経営陣・本人側の見方 | 一部サポーター・評議会側の見方 | 時間軸の扱い |
|---|---|---|---|
| 施設投資 | スタジアム・練習場に約1500万レアルを投下 | 「直接の戦力補強ではない」と物足りなさ | △ 3-10年で評価 |
| 補強総額 | 15選手を獲得したが総額はリーグ下位 | 「金額が足りない」と批判 | ◎ 短期評価に偏りがち |
| 大型補強 | ブレーノ・ロペスはクラブ史上最高額 | 期待との差で不満が出やすい | ○ 単年で結果が問われる |
| コミュニティ | Coxa Mall・Sports Bar等の空間づくり | 売上直結が見えにくい | ◎ 長期で効く投資 |
| 関係構築 | サポーター・自治体・歴代会長との対話 | 可視化されにくく評価されにくい | ○ 中期で表れる土台 |
| 経営継続性 | 「前向きな取り組み」と本人振り返り | SNSで「善が勝った」と退任を祝う声 | △ 結論を急ぐと情報が落ちる |
「善と悪」で語られたとき、何が失われるか
今回の退任騒動で印象的なのは、あるクラブ幹部がSNSで見せた、「善と悪」という言葉の使い方だ。
誰かが出ていくことを、「善が勝った」と表現する。
それはとてもわかりやすく、感情に火をつける言い方だ。
でも、サッカーを「考える」対象として見ようとするとき、そこで何か大事なものがこぼれ落ちていないだろうか。
ひとりの指導者、ひとりの経営者が、クラブのために行ったことを、「善か悪か」の二択で切り取ると、プロセスが見えなくなる。
なぜ、このCEOはスタジアムにお金をかけたのか。
なぜ、補強の総額は抑えたのか。
なぜ、コミュニティイベントを増やしたのか。
そこには、きっといくつもの「判断の積み重ね」があったはずだ。
もちろん、その全てがうまくいったわけではない。
結果的に「失敗だった」と語られる投資もあるだろう。
彼自身、「うまくいったこともあれば、そうでないこともあった」と振り返っている。
ただ、「善と悪」で切り分けてしまうと、こうした細かな試行錯誤のグラデーションが、いっきに「0か100」になってしまう。
サッカーのプレーに置き換えてみるとどうだろう。
- 崩しの中で選んだラストパスが通らなかったとき、「あれは悪い判断だった」とだけ片づけてしまうのか
- それとも、「他にどんな選択肢があったか」「なぜあの瞬間、そのパスを選んだのか」を振り返ってみるのか
同じ「失敗の場面」でも、そこから引き出される学びはまったく違う。
クラブ運営も、実はそれとあまり変わらないのかもしれない。
- 「善か悪か」の二択をやめる — プレーや判断を良し悪しだけで切らず、「他にどんな選択肢があったか」を選手と一緒にたどる時間を持つ
- 短期結果と長期成長の比率を宣言する — 今季の勝利と3年後の選手像のどちらに何%のリソースを割くかをチーム内で言語化する
- 監督交代を「なぜ」で語る — 続投・交代いずれを選ぶ場面でも「なぜ変えるのか/なぜ続けるのか」を自分の言葉で説明できる状態にしておく
「投資」は、いつ評価されるのか
デ・パウラの仕事として残ったものの多くは、長期的な投資だ。
スタジアムの改修やトレーニング施設の整備は、すぐに勝点には変わらない。
強化費をもっと増やして、今シーズンの戦力を整えることもできたはずだ。
それでも彼が選んだのは、「クラブの構造」にお金を置くことだった。
その評価は、1年では出ない。
3年、5年、10年と時間がたってはじめて、「あの時の投資が効いている」と振り返られるかもしれないし、逆に「方向が違っていた」と見なされるかもしれない。
この「時間軸の違い」は、日本でサッカーに関わる私たちにも、そのまま返ってくる問いだと思う。
たとえば、育成年代の現場。
- 今週末の試合で勝つために、シンプルな戦術と早熟な選手に頼るのか
- 数年後を見据えて、ポジション理解やビルドアップをじっくり教え、短期的な結果をある程度手放すのか
どちらも「クラブやチームのためを思っている」という意味では、善でも悪でもない。
ただ、「いつを見ているか」が違うだけだ。
保護者の立場でも同じだろう。
- 「今日は結果が出なかったけど、どんなチャレンジをしたか」を話題にするのか
- 「なんで勝てなかったのか」「なんで点が取れなかったのか」だけを問い詰めるのか
どちらを選ぶかで、子どもが「何に価値があるのか」と感じる軸が変わっていく。
クラブの経営陣が「今の勝利」と「未来への投資」のバランスを悩むのと似たように、私たち一人ひとりも、日々の声かけの中で、同じテーマと向き合っているのかもしれない。
- 選手は時間軸を自分で選ぶ — 「今シーズンの結果」と「3年後の自分」に割く練習時間の比率を自分で決め、トレーニングに反映させる
- 保護者は結果と過程を分けて聞く — 勝ち負けの前に「どんなチャレンジをしたか」「どう感じたか」と聞く問いの型を持っておく
- 「善悪ラベル」を貼らない — 試合後に「良かった/悪かった」で終わらせず、「次はどうしたい?」まで一緒に言葉にする
4人目のCEOが教えてくれること
コリチーバは、クラブの株式の大半を投資会社が保有する、いわゆるSAF(株式会社化)クラブだ。
その3年間で、CEOはすでに4人目を迎えることになる。
経営のトップが短期間で入れ替わるというのは、それだけクラブとして「何が正解なのか」を探している最中とも言える。
サポーターから見れば、落ち着かない状況だろう。
クラブの中にいる人にとっても、「また新しいやり方に合わせなければいけない」という負担がある。
でも、その「揺れ動き」こそが、クラブが何を大事にしたいのかを、具体的にしていくプロセスでもある。
日本でも、監督交代が続くクラブを見ると、「また替えるのか」「我慢が足りない」と感じることがある。
一方で、「同じ監督で長く続ければいい」という単純な話でもない。
選び続けること自体が、クラブの責任でもあるからだ。
大事なのは、変えるか変えないかではなく、「なぜ変えるのか」「なぜ続けるのか」を、自分たちの言葉で説明できるかどうか。
コリチーバのケースで言えば、次のCEOを選ぶ投資会社、少し距離を置いた形で関わる別のグループ、クラブの評議会やサポーター、それぞれの立場がある。
その中で、誰が何を大事にして、どんな基準で「4人目」を決めようとしているのか。
そこにこそ、クラブとしての「考える力」が問われているように感じる。
もし、自分がクラブを動かす立場だったら

ここまで読んできて、「いや、自分は経営者じゃないし」と思うかもしれない。
けれど、この話を少しだけ自分に引き寄せてみると、見えてくるものが変わってくる。
もし、あなたが選手なら。
- 試合に出るために、どのトレーニングに時間をかけるだろうか
- 自分の強みを伸ばすのか、弱点の改善を優先するのか
- 今シーズン結果を出すことと、3年後の自分をつくること、どちらの比重を大きくするか
もし、あなたが指導者なら。
- 短期的な勝利と、選手の長期的な成長のバランスを、今どのように選んでいるだろうか
- 「善いプレー」「悪いプレー」とだけラベルを貼っていないか
- ミスの場面で、「なぜその判断をしたのか」を一緒にたどり直す時間を取れているか
もし、あなたが保護者なら。
- 子どもがうまくいかなかった日に、どんな言葉をかけているだろうか
- 結果に対する評価と、その過程に対する関心のバランスはどうか
- 「善かった・悪かった」だけで終わらせず、「どう感じた?」「次はどうしたい?」と聞けているか
クラブのCEOが、スタジアムへの投資と補強費の配分を悩むように、私たちも、日々の小さな選択を繰り返している。
その一つひとつが、目に見える「結果」よりも前にある、「目に見えない土台」をつくっていく。
答えを急がないクラブと、答えを急がない自分
ルーカス・デ・パウラの1年あまりは、賛否の入り交じる時間になった。
スタジアムや施設は、これからもクラブに残り続ける。
ブレーノ・ロペスの移籍金は、帳簿の中に数字として残る。
交流イベントや対話の場は、サポーターの記憶のどこかに薄く刻まれているかもしれない。
それらの価値を、「正解だったかどうか」で今すぐ決めてしまうことはできない。
時間が、この1年をどう意味づけるのか。
それは、これからクラブがどんな道を選び、どんな歩き方をするかによって変わっていく。
サッカーの現場でも同じだ。
ひとつの判断が、本当はいつ評価されるものなのか。
ミスのように見えた選択が、数年後につながることもある。
その逆もある。
だからこそ、「あの判断は善だった」「あの選択は悪だった」と急いで結論づけてしまう前に、一度立ち止まってみる余地があるのかもしれない。
なぜ、あのとき自分はそう選んだのか。
他にどんな選択肢があったのか。
次、同じ場面が来たら、今度はどうしたいのか。
コリチーバのCEO交代劇は、遠い国の出来事に見える。
けれど、その裏側には、サッカーに関わる誰もが向き合う、「選ぶこと」と「待つこと」の難しさが詰まっているように思う。
ピッチの内側でも外側でも、「今見えているもの」だけで誰かを善と悪に分けてしまう前に、自分ならどう考えるかを、少しだけゆっくり選んでみたい。
