若き戦術家ロベルト・ファリオリに学ぶ、「結果がすべて」のサッカーでアイデンティティと自由を守り抜く指導と選手の選択
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ゆっくりとしか見えないものを、どう信じるか ──ファリオリと「アイデンティティ」という言葉の重さ

静かな言葉「ゆっくり積み上げている」
ポルトガルの1部リーグで、ロベルト・ファリオリという若い指揮官がいる。
まだ大きなタイトルはひとつも持っていない。
自分でも「有名な監督とのあいだには、26個分のタイトル差がある」と冗談めかして語るほどだ。
そんな彼が最近、何度も口にしているのが「ゆっくりと自分たちのアイデンティティを築いている」という言葉だ。
勝点91というクラブ記録の更新を目標に掲げながらも、その過程を「ゆっくり」と表現するところに、少し不思議な感覚が残る。
勝てば称賛、負ければ批判が一瞬で飛び交う世界で、「ゆっくり」という言葉は、どこか時代に逆らっているようにも聞こえるからだ。
| 局面 | 結果優先のアプローチ | ファリオリ的アプローチ | 評価 |
|---|---|---|---|
| ビッグクラブ戦 | 守備的に構え隙を待つ | 格上にもボール保持を志向 | △ リスク選好 |
| ビルドアップ | シンプルに前へ蹴る | プレッシャーをあえて受ける | ○ 自由委譲 |
| 敗戦時の総括 | 戦術修正・人選変更 | プロセスの一部として継続 | ◎ 一貫性 |
| 記録(勝点91)への姿勢 | 数字を前面に出す | アイデンティティと両立 | ◎ 二軸 |
| メディア対応 | 短期結果を語る | 「ゆっくり」を貫く | △ 解釈リスク |
「結果がすべて」の国で、なぜプロセスを語るのか
ポルトガルのようなフットボール大国では、監督の立場はとてもシビアだ。
国内の3強クラブだけでなく、その周囲のクラブにも常に期待とプレッシャーが渦巻いている。
勝点、タイトル、CL出場権。
数字で測れるものが、監督の価値だと断言する声も少なくない。
そんな場所で、ファリオリはあえて「アイデンティティ」という、目に見えにくいものを前面に出す。
「ゆっくりと自分たちのスタイルを作っている」と語り、「ドラガン(ポルトのスタジアム)では自分たちから試合を支配しようとする」とも示す。
ビッグクラブと対戦するとき、多くの監督は守備的に構え、相手の隙を待つ戦い方を選びやすい。
守れば負けにくい。
「現実的な選択」として、理解もされやすい。
だがファリオリは、そう単純には割り切らない。
相手が自分たちより格上であっても、ボールを持つ時間を増やそうとする。
後ろから組み立てることに執着し、相手のプレッシングをあえて受けにいく場面もある。
その代償として、ミスからの失点や痛い敗戦も経験している。
それでも彼は「ゆっくりと積み上げている」と言い続ける。
もし自分がこのクラブの選手だったら、どんな気持ちになるだろうか。
一試合ごとに評価が揺れる中で、「今の敗戦はプロセスの一部だ」と本気で信じられるだろうか。
- 毎週のトレーニングで具体的に何を新しく試したかを記録する — 「積み上げ」を可視化する
- 選手が「前より整理された」と感じられる小さな成功体験を仕込む — 抽象論で終わらせない
- うまくいかなかった部分を翌週の練習テーマに必ず変換する — 敗戦を学習サイクルに組み込む
「自由」という言葉をどう扱うか
最近、同じリーグの別の監督が「自分は自由な人間だ」と発言したことが、ちょっとした話題になった。
それに対して、ファリオリも「自分も自由な人間だ」と返している。
このやり取りは、表面的には軽い言葉の応酬にも見える。
しかし、よく考えると「自由」という言葉は、指導者と選手の関係を考えるうえで、とても重い意味を持っている。
監督が「自由」を口にするとき、そこには少なくとも二つの意味が重なっているように思える。
- 自分の信念に基づいて戦い方を選ぶ自由
- 選手に、ピッチ上で決断させる自由
前者は、戦術やスタイルをどうするかという話だ。
引いて守るのか、高い位置から奪いにいくのか。
ボールをつなぐのか、シンプルに前へ送るのか。
クラブからの期待、サポーターの声、メディアの批判、あらゆる圧力にさらされながら、「それでもこうしたい」と決める自由が指揮官にはある。
後者は、ピッチの中で起きている一瞬一瞬を、誰が決めるのかという話だ。
監督がすべてを指示し、選手がそれをなぞるだけのサッカーも、理屈の上では成立する。
だが実際の試合では、数秒ごとに状況が変わる。
ルーズボールのこぼれ方、相手の重心、味方の疲労度。
それら全部を、タッチラインの外からコントロールすることはできない。
だからこそ、監督がどこまで選手に「自由」を渡すかが問われる。
ファリオリのチームは、ビルドアップの局面で選手の判断にかなり委ねているように見える。
センターバックが、あえてプレッシャーの強いエリアを通しにいくこともある。
アンカーが背中からマークを受けながらも、一度ボールを引き出して相手をおびき出す場面もある。
リスクは大きい。
それでも、それを続けるというのは、「自分たちはこういうチームでありたい」という強い選択だ。
自由を与える側にも、覚悟がいる。
- CBが背後からプレッシャーを受けながらつなぐ場面に注目する — チームの自由度が見える
- 「ミスからの失点」と「挑戦の結果」を子どもと一緒に区別する — 同じ失点でも意味が違う
- 勝てなかった試合でも「自分たちらしさ」が出た瞬間を1つ言語化する — 結果以外の評価軸を育てる
「26個のタイトル差」をどう受け止めるか
興味深いのは、ファリオリが自分とモウリーニョの差を「26個のタイトル」と表現した点だ。
ここには、少し開き直りのような、そして同時に尊敬のような感情が混ざっている。
タイトルは、結果を一瞬で証明してくれる。
それを多く持つ人の言葉ややり方には、自然と重みが出る。
一方で、これから何かを築こうとしている監督にとっては、その差はあまりにも大きい。
追いつこうにも、時間が足りないかもしれない。
もし自分が若い指導者だったら、この「26個の差」をどう受け止めるだろう。
- あのやり方が正解なのだから、自分もできるだけ真似しようとするのか
- 自分には自分の道があると信じて、違うスタイルを貫こうとするのか
どちらが正しいという話ではない。
ただ、現場に立つ人は、どこかのタイミングで「自分はどちらを選ぶか」を決めないといけない。
モウリーニョのように、徹底して勝利にこだわることも、一つの美学だ。
ファリオリのように、「アイデンティティ」と「プロセス」の価値を語り続けることも、また別の美学だ。
タイトルの差は、数字でわかる。
だが、その数字にどれだけ縛られるかは、自分で選ぶしかない。
日本の現場だったら、どんな選択になるか
ここまでの話を、日本のサッカーに引き寄せて考えてみたくなる。
もし、日本のJクラブで、ファリオリのように「ゆっくりアイデンティティを育てる」と公言する指導者がいたら、どんな反応が起きるだろうか。
サポーター、メディア、スポンサー、そしてクラブ内部。
それぞれの思惑や時間軸が違う中で、「ゆっくり」はどこまで許されるだろうか。
育成年代に目を向けると、この問いはさらにリアルになる。
例えば、中学生年代のチームで、「ビルドアップにこだわる」指導者がいるとする。
後ろからつなぐことにトライし続け、時にはミスからの失点を繰り返す。
結果として、大会のトーナメントで早期敗退することもあるかもしれない。
そのとき、周囲の大人はどう考えるか。
- 「勝てないのは問題だから、もっとシンプルに蹴らせるべきだ」と考えるのか
- 「将来を考えたら、今はミスから学べる時間だ」と捉えるのか
どちらを選ぶかで、そのチームの「アイデンティティ」は変わっていく。
そして、その選択をするのは指導者だけではない。
選手自身もまた、「自分はどういうプレーをしたいか」を決めていく必要がある。
たとえば、センターバックの選手。
監督からは「後ろからつなごう」と言われている。
しかし、相手のプレッシャーが強く、ミスをすれば一気に失点につながる場面。
スタンドからは保護者の声が飛ぶかもしれない。
「安全に蹴り出せ」「危ないからやめろ」
そのとき、ピッチに立つ自分だったら、何を選ぶだろう。
リスクを避けて大きく蹴るのか。
それとも、トレーニングで積み上げてきた「つなぐ」判断を貫くのか。
どちらにしても、そこには「自分で選ぶ」責任がある。
「記録」を目指すことと、「いま」をどう戦うか

ファリオリが掲げている目標の一つに、勝点91というクラブ記録がある。
記録はわかりやすい。
クラブ史上最高、リーグ新記録、連勝記録。
数字は、過去と現在を簡単に比べてくれる。
だが、実際の現場では、その数字に向かう過程で毎週のように揺れが生まれる。
主力選手のケガ。
コンディションの波。
相手の研究が進み、前半戦のようにはいかなくなることもある。
あるいは、タイトルレースのプレッシャーで、選手たちのプレーが固くなることもある。
そのとき、指揮官が「記録」をどのくらい前面に出すかは難しい判断だ。
- 記録を強く意識させて、モチベーションを高めるのか
- 数字のことは脇に置き、目の前の一試合に集中させるのか
どちらも正しそうで、どちらもリスクを含んでいる。
ファリオリは「記録を目標にする」と口にしながらも、「自分たちのアイデンティティを守ること」の重要性も強調している。
つまり、勝点の数字と、自分たちらしさを天秤にかけ続けている。
日本のクラブやチームでも、似たような場面はたくさんある。
全国大会出場、昇格、残留。
「あと勝ち点いくつ」「あと何勝」という数字が見えてくると、どうしてもプレーは安全志向になりやすい。
その中で、「自分たちが積み上げてきたものを、どこまで信じるか」が問われる。
スタンドとピッチのあいだにある「見えない時間」
ヨーロッパのスタジアムでは、サポーターとクラブの距離がとても近い。
ときには、スタンドでの振る舞いが問題になり、クラブや警備員の対応が議論の対象になることもある。
応援スタイル、身につけるアイテム、チャントの内容。
それぞれに歴史やこだわりがあり、「自分たちのクラブとは何か」が常に問われている。
ピッチの上にいるのは選手と監督だけだが、クラブのアイデンティティを形作るのは、スタンドにいる人たちも含めた「共同作業」だと言える。
日本でも、Jクラブのゴール裏には特有の空気がある。
クラブカラーのタオルマフラー、チャント、旗。
それらを身にまとって声を出すことは、単なる応援以上の意味を持つ。
「自分はこのクラブの一部だ」という感覚を持つ人も多いはずだ。
ピッチの上で監督が「アイデンティティ」を語るように、スタンドの中にも「自分たちなりの応援の仕方」が存在する。
その二つがうまくかみ合うとき、クラブは強くなる。
逆に、チームの戦い方とスタンドの期待がずれたとき、ピッチの空気は一変する。
ボールをつなごうとするたびにため息が漏れ、前に蹴り出すたびに拍手が起こる。
その中でプレーする選手は、どちらに引き寄せられるだろうか。
「自分たちのアイデンティティ」を信じることと、「スタンドの空気」を感じること。
どちらも無視できないからこそ、難しい。
もし自分が、ファリオリのチームにいたら
ここまで読んで、「自分だったらどうするか」と想像してみたくなる。
もし自分が、ファリオリのような監督のチームでプレーしていたら。
あるいは、そのクラブのサポーターだったら。
あるいは、同じリーグで戦う別クラブの監督だったら。
それぞれの立場から、見える景色はきっと違う。
- 選手なら、ミスを恐れずにボールをつなぐ勇気が持てるか
- サポーターなら、敗戦のあとにも「自分たちらしさ」を評価できるか
- ライバル監督なら、「あのチームのやり方」をリスペクトしながら自分の道を貫けるか
どの答えも、すぐに出せるものではない。
その迷いや揺れこそが、サッカーの面白さの一部でもある。
急がないことを、どうやって選ぶか
ファリオリが語る「ゆっくりとアイデンティティを築く」という言葉は、聞き手によっては、都合のいい言い訳にも聞こえるかもしれない。
結果が出ていないとき、「時間が必要だ」と言うのは、監督の常套句でもあるからだ。
だからこそ、現場で問われるのは、その言葉の中身だ。
- 本当に日々のトレーニングで、新しいものに挑戦しているのか
- 一試合ごとに、選手が「前よりも整理されてきた」と感じられるか
- うまくいかなかった部分を、次の週にどうやって修正しているか
「急がない」という選択は、何もしないこととは違う。
むしろ、目の前の現象を細かく観察し、小さな変化を積み上げ続けることでもある。
それは、選手にも当てはまる。
試合に出られない時間。
ケガで離脱している期間。
成長が止まったように感じるシーズン。
そこで「急いで結果を出そう」と焦ることもできるし、「いまは自分の土台を作る時間だ」と考えることもできる。
どちらを選ぶかで、見える景色は変わる。
問いだけを残して、終わりにする
ファリオリの言葉や選択を眺めていると、「正解」があるようでいて、どこにも書いていないことに気づく。
タイトルを最優先にするやり方もあれば、アイデンティティを最優先にするやり方もある。
数字で評価される世界に身を置きながら、「数字では測れないもの」を守ろうとする人もいる。
サッカーに関わる一人ひとりが、そのあいだで揺れながら、自分なりの選択をしている。
もし、あなたがいま、ピッチの中にいる選手だとしたら。
もし、タッチラインの外で見守る保護者だとしたら。
もし、ベンチに立つ指導者だとしたら。
「急いで結果を取りにいくこと」と「ゆっくり自分たちを作ること」。
どこに線を引くだろうか。
その線は、どんな経験や感情から生まれているだろうか。
答えはきっと、人の数だけ違う。
ただ、その問いを持ち続けること自体が、サッカーと少し深くつながるための、小さな一歩なのかもしれない。
