フランスの「エデュカトゥール」から学ぶ、勝利よりも「育ち」を大切にするサッカー指導のあり方
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なぜ「監督」ではなく「Educateur(エデュカトゥール)」なのか?フランスから見えるサッカーのもうひとつの顔

土曜日の朝、まだ霧が少し残る芝生のグラウンド。 U10の試合で、右サイドの小柄なウイングがペナルティエリアの角から思い切ってシュートを放ち、ゴールネットを揺らします。 ベンチからは歓声、保護者たちは拍手、ベンチの子どもたちは飛び跳ねています。
ところが、その選手のもとへ駆け寄った指導者は、笑顔を見せながらも、静かにこう伝えます。 「ナイスシュート。でも、あの場面は中がフリーだったよね。次は、中を見てから決めてみよう。」 選手は少し驚いた顔をしながら、うなずきます。
この場面をどう感じるでしょうか。 「せっかく決めたんだから、もっと褒めてあげればいいのに」と思う人もいるかもしれません。 一方で、「結果より判断を教えているんだな」と受け止める人もいるでしょう。
フランスでは、このように「勝ち負け」ではなく「育ち」に軸足を置く指導者を「エducateur(エデュカトゥール)」と呼び、あえて「監督(entraîneur)」とは区別して考えています。 同じタッチラインに立ちながら、両者の目的は大きく違います。
この違いは、いまの日本サッカーにとっても、決して他人事ではありません。 「勝たせる監督」と「育てる指導者」。 わたしたちは、どちらに、どんな役割を求めるべきなのでしょうか。
フランスが大事にする「エデュカトゥール」という仕事
フランスの育成現場では、エデュカトゥールも監督も、どちらも試合で采配を振るいます。 トレーニングを組み立て、メンバーを選び、タッチラインから声をかけます。 外から見ると、ほとんど同じ仕事に見えるかもしれません。
それでも、決定的に違う点がひとつあります。 監督の最優先目標は「チームの結果」。 エデュカトゥールの最優先目標は「選手の成長と充実感」。 この一点が、日々の判断を大きく変えていきます。
エデュカトゥールの役割は、選手を「勝たせる」ことではなく、「サッカーを好きなまま成長させる」こと。 だからこそ、目の前のスコアではなく、選手が長い時間をかけて上達していく過程を大切にします。
彼らはこうした姿勢を前提に、次のような仕事を積み重ねていきます。
- 年齢やレベルに合ったトレーニングを企画・運営する
- 選手全員にプレー機会を与えながら、ポジションや役割を試す
- 試合結果ではなく、内容とチャレンジを評価する
- 技術や戦術面のミスを丁寧に説明し、自分で気づけるよう導く
この「育てる指導」は、サッカーの技術だけではありません。 フランスでは、プロになれなくても、その経験が「人としての成長」につながることが価値だと考えられています。 約200万人以上の登録選手がいて、そのうちプロになるのは約1000人ほどと言われる世界。 だからこそ、「人としてどう育てるか」が、サッカーの中で真剣に語られているのです。
| 観点 | 監督(結果重視) | エデュカトゥール(育成重視) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 最優先目標 | チームの勝利・順位 | 選手の成長と充実感 | △ 目的が異なる |
| 試合の位置づけ | 強さを測るテスト | 練習で学んだことを試す場所 | ◎ 育成軸 |
| ミスへの対応 | 即時修正・叱責になりやすい | 「次の成長の下書き」として対話 | ◎ 継承 |
| 出場機会の方針 | 調子のいい選手を固定起用 | 全員にプレー機会を与え役割を試す | ○ 柔軟化 |
| 評価の基準 | スコア・勝敗 | チャレンジの度合いと内容 | ◎ 成長重視 |
| 対象年代 | トップ・昇格争いカテゴリー中心 | U6〜U19の育成年代 | △ 対象が異なる |
「負け方」を学ぶことは、本当にそんなに大事なのか
日本でも、「負けから学べ」とよく言われます。 ただ、実際の少年サッカーの現場では、負けたあとに沈黙が流れ、子どもたちが責められているような空気になることも少なくありません。
フランスのエデュカトゥールは、「負け」をまったく別のものとして捉えます。 彼らにとって、試合は「練習で学んだことを試す場所」であり、「強さを測るテスト」ではありません。 だから、負けても「今日の試し方はどうだったか」を振り返ることに重きを置きます。
たとえば、こういった問いかけです。
- 練習でやってきたビルドアップは、どれくらい試せたか
- 守備のスライドは、どの時間帯でうまくいっていたか
- ボールを失ったあとの切り替えは、前の試合より速くなったか
勝敗よりも、「どこまでチャレンジできたか」「チームとして何を表現できたか」。 その基準で試合を振り返るので、子どもたちは負けても「自分が成長の途中にいる」ことを実感できます。
この考え方には、「負けは、ダメさを証明するものではなく、次の成長の下書きだ」という前提があります。 敗戦を「人格への評価」にしてしまうのか、「次の一歩への材料」にするのか。 この違いは、選手だけでなく、指導者の心構えをも問いかけてきます。
ミスを「怒る」のか、「使う」のか ― 判断を育てるという視点

- ゴールの後に「判断の問い直し」を入れる — シュートが決まっても「中にフリーの味方がいたか」を静かに確認する一言を習慣にし、結果ではなく判断のプロセスを評価軸にする
- 試合後の振り返りを「チャレンジ度」で設計する — 「勝ったか負けたか」ではなく「練習でやってきたビルドアップをどれくらい試せたか」「守備のスライドは前回より速かったか」を問いかけの型にする
- 年代ごとの「最優先事項」をチームで言語化する — U10はボールタッチ優先か、U15はポジション固定を避けるか等、年代ごとに何を最も大切にするかをコーチ間で合意して選手と共有する
ゴールを決めても、褒め切らない指導者の意図
先ほどの、「角度のないところからシュートを決めたウイング」の場面に戻ってみましょう。 ゴール自体は素晴らしいプレーです。 しかし、エデュカトゥールは「結果」だけを見て評価を終わらせません。
もし、ゴール前でフリーの味方がいたなら、「高確率で点が取れる選択肢」を見逃したことになります。 そのミスを、「たまたま入ったゴール」が覆い隠してしまうことを、エデュカトゥールは怖れます。
だからこそ、「ゴールはナイス。でも、あの状況では中を選べたはずだよね」と伝えます。 そこには、「今うまくいったかどうか」よりも、「これから上のレベルに行ったときにも通用する判断」を身につけてほしいという願いが込められています。
日本の現場でも、同じようなシーンは無数にあるはずです。 シュートが決まれば、どうしても「よくやった!」で終わりがちです。 そこで一呼吸置いて、「もし入らなかったら?もっといい選択肢は?」と対話できるかどうか。 その積み重ねが、「サッカーIQ」と呼ばれる部分を左右していきます。
- 試合後は「今日どんなチャレンジができたか」を子どもに聞く — 「勝ったか負けたか」だけでなく、新しいプレーを試せたか・ミスから何をつかんだかを会話の中心にすることで、子どものサッカーへの向き合い方が変わる
- ミスを「怒られるかどうか」ではなく「何をつかめるか」で捉える — 選手自身がミスの後に「なぜそうなったか」を自分の言葉で考えられると、サッカーIQと呼ばれる判断力が着実に積み上がる
- 「体が小さい」を理由にポジションを固定しない環境を選ぶ — スペインの育成が示すように、フィジカルより技術・認知・判断を重視する環境では体格に関係なく選手の可能性が広がる
スペインが示した、「小さな選手」を輝かせる教え方
ヨーロッパでも、「育成大国」としてよく名前が挙がるのがスペインです。 バルセロナのラ・マシアからは、数多くの世界的選手が生まれましたし、アトレティコ・マドリードから旅立ったアントワーヌ・グリーズマンのように、他国では「小さすぎる」と見なされがちな選手も、大事に育てられてきました。
テオ・エルナンデス、リュカ・エルナンデス兄弟も、若い頃からスペインで育成を受けた代表的な存在です。 彼らの共通点は、「フィジカルで圧倒するタイプ」ではないこと。 それでも、技術と判断力を徹底的に鍛えられたことで、世界のトップレベルにたどり着いています。
スペインのエデュカトゥールたちは、子どもの年代では、体格よりも技術と認知・判断を重視します。 そのために、ルールや環境まで変えてしまうこともいといません。 ピッチを小さくし、ボールタッチの回数を増やし、結果よりもプレー内容に価値を置く。 そこには、「今強い選手」ではなく、「将来うまい選手」を育てようという、明確な意思があります。
バルセロナの育成に関わる指導者の中には、「試合を練習のようにプレーし、練習を試合のように真剣に取り組む」ことを伝える人もいます。 その言葉からは、日々のトレーニングと試合が、一本の線でつながっている感覚が伝わってきます。
日本でも、「フィジカルが強い選手」「走れる選手」に注目が集まりやすい傾向があります。 しかし、体格で劣る子どもたちにとって、「スペイン方式」は大きなヒントになるかもしれません。 体の大きさではなく、「見て、判断して、正しく選ぶ力」をどう磨くか。 その視点に立ったとき、エデュカトゥールの役割は、さらに重要になっていきます。
結果を求める監督、育成を優先する指導者 ― 役割の違いをどう整理するか
一方で、フランスでも、すべての指導者が「育成だけ」を考えているわけではありません。 トップチームの監督は、シーズンの順位やタイトル獲得で評価されます。 アマチュアでも、昇格や残留がかかったカテゴリーでは、「結果」が重要になる場面も多くあります。
そのような環境で働く監督は、どうしても短期的な成果を求めざるをえません。 固定メンバーを中心に起用し、調子のいい選手を優先する。 調子が悪い選手や発展途上の選手は、出場機会を失いがちです。
一方で、エデュカトゥールは、U6からU19までの育成年代を中心に、長い目で選手を見守ります。 ときには、ポジションを変えたり、新しい戦術を試したりしながら、選手の可能性を探っていきます。 「今強いチーム」を作るというより、「未来のための選手」を増やしていく仕事です。
つまり、どちらが「正しい」わけでもありません。 必要なのは、「勝たせる監督」と「育てる指導者」が、それぞれの役割と評価軸を明確に分けて考えられていることです。
日本のサッカー現場では、この2つが混ざり合ってしまうことがよくあります。 少年団の指導者に、「育てながら勝て」と両方を求めたり、「勝っているチームだから、指導も良いはずだ」と短絡的に評価してしまったり。 その結果、「今勝つこと」が優先され、ベンチに座ったままサッカーを嫌いになっていく子どもが出てしまうこともあります。
フランスで語られるのは、「育成年代で全部勝つチームは、もしかしたら子どもたちの未来ではなく、自分の評価のために戦っているのかもしれない」という、少し厳しい視点です。 その問いは、日本の現場にも、そのまま当てはめて考えることができます。
日本のサッカーに「エデュカトゥール的視点」を持ち込むとしたら
「カテゴリー」と「年齢」を意識することから始められる
フランスサッカー連盟は、年代ごとに細かくカテゴリーを分けて、指導者の役割を整理しています。 U6からU21まで、それぞれの年齢に応じた接し方やトレーニングの組み立て方が意識されています。
日本でも、U12、U15、U18といった区切りはありますが、「年齢に応じて、何を最優先するのか」という共通認識は、まだまだ統一されているとは言いにくい部分があります。
たとえば、次のような問いを、チームや地域で話し合ってみるのはどうでしょうか。
- U10までは、「試合に勝つこと」よりも「ボールにたくさん触れること」をどこまで優先できるか
- U12〜U15では、「ポジション固定」をどの程度まで避けるか
- U18までに、「判断力」をどんなトレーニングで育てていくか
フランスやスペインのように、すべてをそのまま真似る必要はありません。 それでも、「この年代で大切にしたいものは何か」を言語化し、共有していくこと自体が、エデュカトゥール的な視点につながっていきます。
資格や報酬よりも、「役割の理解」をどう広げていくか
フランスでは、フランスサッカー連盟が、年代ごとの指導に関する資格講習(CFF1〜CFF4など)を用意しています。 大学のスポーツ科学(STAPS)の学位を持ち、身体や栄養の知識をベースに、指導者としての道に進む人もいます。
給与面では、多くのエデュカトゥールがボランティアとして活動し、一部のクラブや自治体所属の指導者が報酬を得ています。 その額も、クラブの規模や経験に応じて、大きく幅があります。
日本でも、Jクラブのアカデミーコーチや、自治体のスポーツ指導員は職業として認知されていますが、地域の多くのコーチは保護者やOBのボランティアです。 だからこそ、なおさら大切になるのが、「自分は今、監督として結果を求めているのか、それともエデュカトゥールとして成長を支えているのか」という、自覚的なスタンスです。
報酬の多寡に関係なく、「何を基準に選手を評価し、どんな姿をゴールとしているのか」。 そこがぶれてしまうと、選手たちは、大人の期待の揺れに振り回されてしまいます。
あなたなら、どんな指導者にサイドラインに立っていてほしいか
フランスやスペインの例は、日本にとって「正解」ではなく、「もうひとつの選択肢」です。 ただ、その選択肢は、これからの日本サッカーがより豊かになるためのヒントをたくさん含んでいます。
もしあなたが、子どもの保護者なら。 「今日勝ったかどうか」だけでなく、「今日どんなチャレンジができたか」「何を学べたか」を、子どもに聞いてみるところから始められるかもしれません。
もしあなたが、指導者なら。 次の試合で、あえて結果ではなく、「新しいビルドアップの形にどれくらい挑戦できたか」を基準に振り返ってみるのも一つの方法です。
もしあなた自身がプレーヤーなら。 ミスをしたあとに「怒られるかどうか」ではなく、「そこから何をつかまえられるか」を、自分なりに言葉にしてみることができます。
サッカーは、90分の勝ち負けで完結する競技です。 しかし、サッカーを通して生きていく時間は、その何十倍、何百倍も長く続いていきます。 エデュカトゥールという存在は、その長い時間を見据えて、選手と向き合おうとする人たちの呼び名なのかもしれません。
勝つことも、もちろん大事。 けれど、「どんなふうに勝ち、どんなふうに負けていくか」を一緒に考えてくれる大人がそばにいることは、もっと大事なのではないでしょうか。
サッカーの指導は、結果を並べる仕事ではなく、時間をかけて一人ひとりの物語を育てていく営みなのだと思います。
