アトレティコ対アーセナルの判定論争を題材に、理不尽な笛の後にどんな第三の選び方ができるかを考えるサッカーコラムのアイキャッチ

理不尽な判定とどう向き合うか――アトレティコ対アーセナルのPK騒動から学ぶ、選手と指導者の「第三の選び方」

DEFINITION
理不尽な判定との向き合い方
アトレティコ対アーセナルの判定論争が示すのは、「全部受け入れる」でも「全部抗議する」でもない第三の選び方。何を飲み込み、何を疑問として残すかを切り分けることで、次の一手につながる。

「納得できない判定」とどう向き合うか アトレティコ対アーセナルの一戦から考える

笛が鳴ったあとも消えないもの

アトレティコ・マドリー対アーセナルの一戦は、スコア以上に「判定」が話題になった試合だった。 1-1の引き分け。スコアだけ見れば、チャンピオンズリーグらしい拮抗したゲーム。 ただ、試合後に最も注目を集めたのは、どちらが優勢だったかではなく、PKの判定と、その後にVARで取り消されたシーンについてだった。

アーセナルのミケル・アルテタは、試合後のインタビューでこうした趣旨の言葉を残している。 「相手に与えられたPKは受け入れる。でも、VARで取り消されたあの得点については納得できない。試合を決めかねない場面だった」 彼は感情的になるというより、「何を受け入れ、どこに疑問を持つか」を選び分けているようにも見えた。

ピッチの上では、選手たちも同じように揺れていたはずだ。 喜んだあとに取り消される得点、与えられるPK、奪われるPK。 そのたびに心の中で何度も問い直しただろう。 「これは本当にファウルなのか」「なぜ今、笛が鳴ったのか」「どうして自分たちだけ…」 だが、時計は止まらない。 次のプレーはすぐに始まる。

COMPARISON / 判定への3つの態度比較
観点 全部我慢する 全部審判のせいにする 切り分けて考える
感情の処理 モヤモヤを溜める 外に発散して終わる ◎ 切り分け
選手へのメッセージ 我慢しろ 判定のせいだ ◎ 受容と疑問
次の試合準備 考える機会を失う 言い訳が残る ○ 改善余地
クラブの対外姿勢 黙認に映る 被害者にしか見えない
育成への波及 感情に蓋をする習慣 外責にする習慣 △ 言語化を要する
◎=長期で効く / ○=部分的に効く / △=条件次第

「受け入れる」と「疑問を持つ」を同時に持つ難しさ

アルテタのコメントで興味深いのは、「全部が全部おかしい」とは言っていないところだ。 自分たちに不利になった判定のうち、あるものは受け入れ、あるものは強く異議を唱える。 この線引きは簡単ではない。

もし、自分が監督だったらどうだろう。 感情のままに「審判のせいだ」と言い切ってしまう方が、気持ちは楽かもしれない。 あるいは「判定に文句を言っても仕方ない」と、すべてを飲み込み、何も言わないという道もある。

アルテタは、そのどちらも選ばなかった。 「受け入れるべきもの」と「納得できないもの」を、ひとつひとつ切り分けながら話した。 その背景には、いくつかの思惑が重なっているようにも見える。

  • チームの感情を代弁しつつ、完全な被害者にはならないこと
  • 選手に「判定のせいで全部ダメだった」と思わせないこと
  • クラブとして問題だと感じる点は、きちんと外に向けて示すこと

つまり、「全部我慢」でも「全部文句」でもない、第三の選び方だ。 これは、ピッチ内の選手にも通じる難しさを含んでいる。

FOR COACHES / FOR COACHES 試合後の対話で持ち帰る3つ
判定を成長機会に変える問いの設計
  1. 「なぜあのシーンはファウルになったと思う?」と聞く — 選手自身に映像と記憶を結び直させる
  2. 「その後の自分のプレーにどう影響した?」と振り返る — 感情とパフォーマンスのつながりに気づかせる
  3. 「判定に頼らず勝つ道は?」と別の道を探す — 外責で終わらせず選択肢を増やす習慣をつくる
STORY TEE
判断に魅せられたあなたへ。
判断の奥行きを、一着に。NEWDIHのストーリーTシャツコレクション。
TEEコレクションを見る →

ジュリアン・アルバレスが示した「別の軸」

同じ試合で、もうひとつ象徴的な出来事があった。 アトレティコのジュリアン・アルバレスが、リオネル・メッシのある記録を上回る活躍を見せた直後に負傷してしまったのだ。 輝きと不安が同時に押し寄せるような夜。 周囲は「メッシ超え」という華やかな言葉で盛り上がる一方で、本人の現実はピッチを離れる痛みと向き合うことになった。

試合直後、彼の周辺では、バルセロナ移籍の噂についての話題も出ていた。 それに対し、アルバレスは「毎週のように新しい話が出てくるけれど、あまり気にしていない」といったスタンスを示している。 ここでもまた「何を受け入れ、何から距離を取るか」という選択が浮かび上がる。

判定、記録、移籍の噂、ケガ。 一人の選手の周りには、さまざまな「コントロールできないもの」が渦巻いている。 アルバレスは、その中で何を自分の軸として選ぼうとしているのか。 おそらく、ピッチ上でのプレーや、日々のトレーニングこそが、唯一「自分の手で動かせるもの」だとわかっているのだろう。

FOR PLAYERS & PARENTS / FOR PLAYERS & PARENTS 観戦と日常で使える視点
判定にもらいすぎず、考える力を育てる
  1. 「どっちが正しいか」を急がない — 結論より審判・選手・監督の視点を想像するプロセスが大事
  2. 受け入れる判定と疑問が残る判定を分ける — 大人の言葉が子どもの「何のせいにするか」を決める
  3. 勝敗を左右する判定の翌日にどう過ごすかを決める — 24時間の使い方が次の試合の姿勢を変える

「理不尽」に遭ったとき、プレーはどう変わるか

PKを与えられた側、取り消された側。 その選手たちは、その瞬間どんな心の動きをしていただろうか。 判定に納得できないとき、人は無意識に次のような反応をしやすい。

  • 集中が切れて、次のプレーが雑になる
  • 審判や相手に対して、余計な感情を抱えたままプレーしてしまう
  • 「どうせまた取ってもらえない」と、積極的なチャレンジを控えてしまう

逆に、PKをもらったチームの選手も、ある種のプレッシャーを感じたはずだ。 「ラッキーだったからこそ、この後のプレーで示さないといけない」 そんな変な責任感を背負うこともある。

もし、自分がこの試合のピッチに立っていたとしたら。 納得いかない判定の直後に、どんなプレーを選ぶだろうか。 ボールを受けに行くのか。 あえてシンプルにさばくのか。 それとも、感情を持て余して体が硬くなり、足が止まってしまうのか。

「理不尽」は、誰のキャリアにも何度も訪れる。 そのたびに、プレーの質ではなく、「反応の仕方」が問われる。 そこには、正解と言い切れない、ひとりひとりの選択がある。

日本の育成年代で「判定」とどう付き合うか

日本の育成年代の試合でも、判定を巡る感情は同じように存在する。 ただ、そこに向き合う姿勢は、国や文化によって少し違うようにも見える。

日本では、「審判に文句を言ってはいけない」という価値観が強く共有されている。 それ自体は、とても大事なことだ。 リスペクトを忘れれば、サッカーはすぐにただの言い争いの場になってしまう。 一方で、「何も言わないこと」が習慣になりすぎると、こんなことも起きる。

  • プレーしながら、心の中でモヤモヤだけが溜まっていく
  • 自分が何に納得していないのか、言葉にできないまま終わる
  • 「判定だから仕方ない」の一言で、考えること自体をやめてしまう

アトレティコ対アーセナルの試合後、アルテタが見せたのは、「審判を責める」姿ではなく、「どこまでを受け入れ、どこからを問題と感じているか」を言葉にする態度だった。 それは、育成年代にもヒントを与えてくれる。

日本の選手や指導者が、判定に対して次のような対話を増やしていくとしたらどうだろうか。

  • 「なぜあのシーンはファウルになったと思う?」と、選手自身に考えさせる
  • 「納得いかなかったとして、その後の自分のプレーにどう影響した?」と振り返る
  • 「あの判定に頼らないで勝つために、他に何ができた?」と別の道を探す

ただ感情を抑え込むのでもなく、ただ不満をぶつけるのでもない、第三の選び方。 そこに、「自分で考えて選ぶサッカー」があるのかもしれない。

監督の言葉は、選手に何を渡しているのか

トップレベルの試合の後、監督がどんなコメントを残すかは、世界中の選手たちが見る「ひとつのモデル」になる。 アルテタのように、判定の一部は受け入れつつ、一部には強い疑問を呈する姿を見たとき、若い選手は何を感じるだろうか。

「監督があそこまで言ってくれるなら、自分たちも判定に負けてはいけない」と勇気をもらう選手もいるかもしれない。 逆に、「判定のせいで勝てなかった」と、言い訳を見つけてしまう選手もいるかもしれない。

コメントそのものよりも大切なのは、その言葉がチームにどんなメッセージとして届くかだ。 例えば、次のような違いがある。

  • 「判定がなければ勝っていた」というメッセージ
  • 「判定は納得していないが、それでも勝てる余地はあった」というメッセージ

外から聞けば似た言葉でも、選手が受け取る意味はまったく変わってくる。 その違いを、監督自身がどこまで意識しているか。 そして、選手自身は、その言葉をどう解釈し、どこまで自分で考え直すか。

育成年代の指導でも同じだ。 審判に不満があった試合のあと、ベンチやロッカールームで、指導者がどんな一言を選ぶか。 それは、次の試合で選手が「何のせいにするのか」「何を変えようとするのか」に、静かに影響していく。

「答えを急がない」こともひとつの選択

アトレティコ対アーセナルのような大きな試合で物議を醸す判定が出ると、「どっちが正しいか」をすぐに決めたくなる。 SNSでもメディアでも、「あれは明らかにPKだ」「いや、ありえない」と、二択の争いになりがちだ。

けれど、本当に大切なのは、そうした結論よりも、その間にあるプロセスかもしれない。 あの場面で審判は何を見ていたのか。 選手はどこまでリスクを計算してチャレンジしていたのか。 監督は、そのジャッジも含めてどんな試合プランを描いていたのか。

そして何より、「もし自分が同じ立場なら、どう感じ、どう選ぶだろう」と、一度立ち止まって考えてみること。 判定が理不尽だと感じたときに、すぐに答えを出さなくてもいい。 まずは、自分の中の感情を眺めてみる。 次に、「それでも変えられるものはどこにあるか」を探してみる。

アトレティコの選手たちは、ホームで勝ち切れなかった悔しさを抱えながらも、次のアウェーゲームに向けて準備を進めている。 アーセナルの選手たちは、取り消された得点への不満を抱えながらも、ロンドンでの第2戦を見据えている。 どちらのチームも、「判定」という自分では動かせない出来事を抱えつつ、「次に自分が選べるもの」に目を向けていくしかない。

FAQ / よくある質問
Q. 試合中の判定に納得いかないとき、どう振る舞うのが大人ですか?
A. 「全部受け入れる」でも「全部抗議する」でもなく、何を飲み込み何を疑問として残すかを切り分けるのが現実的です。アルテタは敗者にも完全な被害者にもならず、選手に「判定のせいで全部ダメだった」と思わせない言葉を選びました。この態度が次の試合の準備に直結します。
Q. 日本の育成年代で「判定への文句はNG」とされる風潮をどう捉えればいいですか?
A. リスペクトは大切ですが、何も言わないことが習慣になると、自分が何に納得していないかを言語化できないまま終わります。「なぜファウルになったと思う?」「判定に頼らず勝つ道は?」と問い直す対話を増やすことで、感情を抑えるだけでも不満をぶつけるだけでもない第三の選び方が育ちます。
Q. PKを与えた直後に集中を切らさないコツはありますか?
A. 判定を「変えられないもの」と認識し、変えられるのは次の一手だけだと整理することです。理不尽の直後は集中が落ち、次のチャレンジを控えがちですが、ボールを受けにいくかシンプルにさばくかを決めてピッチに立つだけで反応の質は変わります。準備として試合前に決めておくのが有効です。
Q. 監督のコメントが選手に与える影響はどれくらいですか?
A. かなり大きいです。「判定がなければ勝っていた」と「判定は納得していないがそれでも勝てる余地はあった」では、似た言葉でも選手の受け取り方が逆になります。育成現場でもベンチでの一言が「次に何のせいにするか」を決めるため、コメントは選手の自立を支える方向で選ぶ必要があります。

自分なら、どこから考え始めるか

この試合をきっかけに、ひとつの問いを残してみたい。 もし、自分の試合で、勝敗を左右するような判定が出たとしたら、その後の24時間をどう過ごすだろうか。

  • 判定の映像を何度も見返して、悔しさを確かめる
  • 自分のプレーに目を向けて、「あのシーンの前にできることはなかったか」を探す
  • チームメイトや指導者と、「あの判定を前提にしても勝てる方法」を一緒に考える

どれを選ぶかで、次の試合に向かう自分の姿勢は変わってくる。 正しい答えはない。 ただ、「自分はどの選び方をしているのか」と自覚することが、サッカー選手としての成長につながっていく。

判定は変えられない。 でも、その判定に出会ったあとの、自分の考え方と選び方は、いつだって変えられる。 その小さな違いが、長いシーズンのどこかで、ふとプレーに表れてくるのかもしれない。 それを信じて、自分なりの答えを急がずに探していく。 そんなサッカーの楽しみ方があってもいいのではないだろうか。

ALSO ON NEWDIH
サッカーを深く読むコラムへ
戦術・心理・育成の交差点に光を当てる記事を継続更新中。試合の見え方が一段変わる読み物を集めています。
コラム一覧へ →
NEWDIH D mark logo
NEWDIH / Perspectives & Methods
返回博客
返回首页