「恐れを持って入ると難しい」ドンナルンマがフランス戦後に語った、メンタリタという言葉の意味
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ゴールキーパーが守るのは、ゴールだけではない
パリの夜、イタリア代表のゴールマウスにはジャンルイジ・ドンナルンマが立っていた。
UEFA ネーションズリーグのグループステージ第3節、フランスとイタリアが激突したこの一戦は、1-1のドローで幕を閉じた。
ミカエル・オリーズのフリーキックで先制を許し、アレッサンドロ・バストーニの同点弾で追いついたという結果だけを見れば、「善戦」の二文字で片づけられてしまいそうな試合だ。
だがドンナルンマは試合後、結果ではなくチームがどのように戦ったかについて、静かに、しかし力強く言葉を選んでいた。
「苦しんだ。でも、正しい苦しみ方だった」
フランスを敵地で受けるということの意味は、数字よりも先に体感するものだろう。
カマヴィンガ、ラビオ、そして世界トップクラスの攻撃陣が繰り出すシュートを、ドンナルンマは幾度も弾き返した。
試合後に最も難しかった守備について問われると、ラビオへの対応を真っ先に挙げ、カマヴィンガへの反応も同じくらい高い水準の判断を要したと振り返っていた。
一つひとつのセービングが、その都度まったく異なる状況判断の産物だったことが、そこからにじみ出ている。
ドンナルンマが試合後に繰り返し語ったのは、「メンタリタ(mentalità)」という言葉だった。
日本語に訳すなら「精神性」あるいは「姿勢」に近いが、彼の使い方にはもう少し踏み込んだ意味が含まれていると感じる。
恐れを持って入ると難しい。でも正しい姿勢で入れば、誰とでも戦える──そう語った言葉の背後には、「戦い方を選んでいる」という意識がある。
結果ではなく、試合への入り方そのものを自分たちがコントロールできるという感覚だ。
バストーニのゴールが「象徴」だった理由
バストーニが決めた同点ゴールについて、ドンナルンマは「あのゴールがチームの姿勢をすべて表している」と語った。
DFがフランスの陣地深くに入り込み、積極的にゴールを奪いにいく。
守備的なブロックを組んで耐えることを「正しい」とは考えず、高いラインで仕掛けにいくことを選択した。
その姿勢が生んだゴールだからこそ、結果以上の意味を持つとイタリア代表のキャプテンは受け止めていた。
サッカーには「どう守るか」と同じくらい「どう攻めるか」があり、さらにその奥に「どんな姿勢でピッチに立つか」という層がある。
バストーニのゴールが「象徴」として語られた瞬間、それが単なる1点ではなく、チームが選んだ戦い方の結晶であることが伝わってくる。
パリとの4年間、そして手放したものと残したもの
この試合が行われたのは、ドンナルンマがかつて所属していたパリ・サンジェルマンの本拠地スタジアムだった。
パリでの4年間をチャンピオンズリーグ優勝で締めくくったこと、古巣のスタジアムに戻ることへの特別な感情──彼はそれを「感動的」という言葉で語っていた。
かつてのチームメイトたちを「素晴らしく特別な人たち」と表現しながら、ピッチでは全力でそのゴールを阻止する。
その矛盾のようで、実は矛盾ではない二重性が、トップ選手の精神的な複雑さをよく表している。
感情と役割を、きちんと分けて持てるということ。
あるいはむしろ、感情があるからこそ、役割に集中できるのかもしれない。
フリーキックに「息を吹きかけた」という笑い
オリーズのフリーキックが壁を越えてゴールに吸い込まれた瞬間、ドンナルンマが実際に何ができたかは難しい。
試合後、そのシーンについて「吹き飛ばそうとした」と笑いながら語った。
もちろん冗談だが、この一言には大切なものが含まれている。
壁の中でピオ・エスポジトが相手選手に引きずられてしまった場面については、「ああいうことは起きる」と淡々と受け入れていた。
失点の原因を誰かのせいにするのでも、戦術的に整理するのでもなく、「相手が素晴らしいゴールを決めた、それだけだ」と言い切った。
自分がコントロールできないことに引きずられず、コントロールできることに意識を向ける。
その切り替えの速さは、技術と同じくらい、あるいはそれ以上に、長いキャリアを通じて培われてきたものだろう。
キャプテンが送った一通のメッセージ
今年6月、イタリア代表の試合前にドンナルンマが指揮官にメッセージを送ったというエピソードが語られた。
就任の発表があった際、キャプテンとして真っ先に連絡を取り、「必要であれば力になる」と伝えた。
「キャプテンとして正しいことだと思った」という一言で締めくくっていた。
メッセージそのものは短いやり取りだったかもしれない。
しかしその行動には、役職の意味を自分なりに解釈し、誰かに言われる前に動くという判断があった。
「キャプテン」という肩書きを、受け取るものとしてではなく、発揮するものとして理解していることが伝わる。
指示があって動くのか、自分の判断で動くのか。
その違いは、組織の中ではときに大きな意味を持つ。
ゴールキーパーが見ている景色
ゴールキーパーというポジションは、チームの中で最も「待つ」時間が長い。
攻撃の流れには直接加わらず、味方がボールを持っている間は、ひたすらゴールの前に立って準備を続ける。
何も起きていない時間も、常に集中を保ち、次の一瞬を読み続けなければならない。
その立場から見ると、ドンナルンマが語る「メンタリタ」という言葉の重みが少し変わって感じられる。
恐れを持って入ると難しい、という言葉は、彼が最もその感覚を知っているからこそ出てくる言葉かもしれない。
ゴールを守る者は、常に失点の可能性と隣り合わせにいる。
それでもピッチに立ち続けるためには、結果への恐れではなく、自分の判断への信頼が土台になる。
あの夜、パリのスタジアムで何度もゴールをこじ開けようとしたフランスの攻撃を、ドンナルンマは止め続けた。
それがどれだけの判断の積み重ねによるものだったか、スコアには表れない。
バストーニのゴール、オリーズのフリーキック、ラビオへのセービング。
その一つひとつに、それぞれの選手がその瞬間に下した選択がある。
正しかったかどうかではなく、何を考え、何を選んだのか。
サッカーの面白さは、そのプロセスが90分の中に無数に折り重なっているところにある。
もし自分があの場面に立っていたなら、何を判断の基準にするだろう。
チームの「姿勢」とは、どこから生まれてくるものだろう。
キャプテンが自ら送る一通のメッセージは、チームの空気をどう変えるだろう。
パリの夜が残したのは、1-1というスコアだけではない。
姿勢は選べる、でも恐れは消えない
恐れを持って入ると難しい、という言葉を文字どおりに受け取ると、少し窮屈になります。恐れをゼロにして試合に入れる選手などいるのでしょうか。フランスの攻撃陣を目の前にして何も感じないでいることは、むしろ準備が足りていないサインかもしれません。
プロの選手が試合前に行うルーティンは、緊張を消すためのものではなく、緊張した状態でも同じ動作が出せるようにするための反復です。ドンナルンマのセービングがどれだけ繰り返されてきたかを考えると、あの夜の反応は「勇気の産物」というより「準備の蓄積」と見ることもできます。
だとすれば、彼の言う「正しい姿勢」とは、恐れを消すことではなく、恐れに飲まれないための判断の軸を持つこと——それは試合当日に選ぶものではなく、練習の中で積み上げるものだと思います。
試合の「入り方」を整えるために
- 試合前に「この場面でどう動くか」をひとつ決めておきましょう。スコアがどうなっていても自分がやることを先に決めておくと、試合の入り方が結果に左右されにくくなります。
- プレーのあとは、相手や結果よりも「自分が何を見て何を選んだか」を振り返る習慣を持ちましょう。一言で言語化できるようになると、次の同じ場面での判断が速くなりやすいです。
- 緊張や不安が出てきたとき、消そうとする必要はありません。その感覚は試合に向けて準備してきた証拠でもあります。感覚を整えることより、「自分がやること」を思い出すほうが、入り方が変わることがあります。
二十年以上、同じ選手を追い続けてきた経験から言うと、試合を重ねるごとに変わっていくのは技術よりも「立ち方」だと感じることが多いです。大事な場面で浮き足立つか、同じ重心でいられるか。ある選手が変わったと気づいた時期を思い出すと、たいてい近くに誰かの言葉があったり、痛い経験があったりしました。
正しい入り方は、教えられるものなのでしょうか。それとも、何度も失敗しながら自分で見つけていくものなのでしょうか。見ている側には答えが見えないことが多くて、それがずっと気になっています。
