炎の街マルセイユに冷静さを持ち込む――ハビブ・ベイエが示す「積み重ね」と「レッテルに抗う」指揮哲学
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炎のクラブに、あえて冷静さを持ち込むという選択

夜のスタッド・ヴェロドロームを想像してみる。
海からの風が吹き込む港町マルセイユで、スタンドが揺れるほどの熱気の中、ピッチサイドにひとりの新監督が立つ。
彼の名前はハビブ・ベイエ。
つい二週間前までスタッド・レンヌを率いていた指揮官が、突然オリンピック・マルセイユのベンチに座ることになった。
準備期間は、実質48時間。
対戦相手は、今季多くの強豪を苦しめてきたブレスト。
クラブはヨーロッパでも珍しいペースで「試合終盤の失点」を重ね、メディアからは「終盤に崩れるチーム」「精神的に不安定」といった言葉も飛ぶ。
そんな状況で、彼はひとつの言葉を選んだ。
「もし自分が準備できていないと感じるなら、この仕事を引き受けることはなかった」
この一言の裏側には、どんな思考の積み重ねがあったのだろうか。
「タイミング」ではなく「積み重ね」で考えるという視点
準備ができているかどうかを、誰が決めるのか
会見で「今がOMを率いるのにふさわしいタイミングか」と問われたとき、ベイエは「タイミング」や「器の大きさ」といった言葉そのものを否定するように話している。
自分がここにいるのは、偶然のタイミングではなく、「段階を踏んで積み上げてきた結果」だと。
彼は指導者として、いきなりビッグクラブから始めたわけではない。
まずフランスの下部リーグ、ナショナル(3部相当)で経験を積み、そこから少しずつステップを上がってきた。
「準備ができているかどうか」を他人の評価ではなく、自分の積み重ねで測ろうとしている姿勢が見える。
サッカーの現場では、次のような会話がよく生まれる。
- 「まだこのカテゴリーは早いんじゃないか」
- 「もう一年、今のチームにいたほうがいい」
- 「上に上がったら試合に出られないかもしれない」
選手も保護者も指導者も、「タイミング」をとても気にする。
でも、ベイエはそこで立ち止まらない。
・準備が整うのを待つのではなく、これまでの積み重ねから「自分はどう戦うか」を自分で決める ・他人に「まだ早い」と言われるかどうかではなく、「自分が何にチャレンジしたいか」を基準にする
もし自分が選手だったらどうだろうか。
カテゴリを上げる、海外に挑戦する、ポジションを変える。
そういう「大きな決断」をするときに、どこまで「他人の評価」ではなく「自分の積み重ね」を信じられるだろう。
「準備ができているか」を、誰に決めさせるのか。
それは、もしかするとサッカー人生を分ける問いなのかもしれない。
24時間で戦い方を変えるか、それとも変えないか
| 局面 | 一般的なアプローチ | ベイエの選択 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 就任直後の戦い方 | 新監督の色をすぐ打ち出す | 連続性を保ち変えない | ◎ 現実的 |
| 「病んだチーム」評価への応答 | 課題を認め改善を誓う | レッテルそのものを拒む | ◎ 主体的 |
| 終盤失点の原因分析 | 「メンタルが弱い」で括る | 構造的な要因を分析する | ◎ 建設的 |
| 選手へのメッセージ | 「結果を出せ」を前面に | 「楽しんでプレーしてほしい」 | ○ 長期視点 |
| 感情との向き合い方 | 熱さに乗って指揮する | 燃え方を選び冷静さを保つ | ○ 意図的制御 |
「連続性」を選ぶという決断
ブレスト戦まで、準備に使える時間はほとんどない。
そこでベイエが選んだのは、「大きく変えない」という選択だった。
彼は守備のシステムについて問われたとき、「3バックでも4バックでもプレーできる選手がいる」と前置きしつつ、こう考えている。
・チームに加わって24時間しかないなら、これまで積み上げてきたものをいきなり壊すべきではない ・まずは「連続性」を保ちながら結果を目指し、まとまった時間が取れるスペイン合宿で土台づくりをする
「新監督=すぐに戦い方を変える」というイメージを持つ人も多い。
新しい監督の色、新しいシステム、新しいスタイル。
でも、現場ではいつも「どこまで変えるか」という選択がつきまとう。
例えば、次のようなパターンがある。
- 短期間で結果が求められているときほど、急激な変化はリスクになる
- 逆に、あえてショックを与えるような変化でチームを目覚めさせるやり方もある
ベイエは前者を選んでいる。
それは「守りの選択」にも見えるし、「選手たちのこれまでの努力を尊重する選択」にも見える。
もし、自分が新しいチームに入った指導者だとしたら、どう考えるだろう。
・「自分のサッカー」をすぐに落とし込みたい気持ち ・でも、選手たちがこれまで積み上げてきたものを壊すことへの迷い ・短期的な勝利と、長期的な成長のどちらを優先するかというジレンマ
答えはひとつではない。
ただ、「今は大きく変えない」という選択にも、はっきりとした意思がある。
「やれること」と「やるべきでないこと」を、自分で線引きする力。
それは、ベンチに立つ監督だけではなく、ピッチの中にいる選手にも問われているものかもしれない。
終盤に失点を重ねるチームを、どう見るか
- 「急に変える」より「連続性を守る」を最初の選択にする — 24時間しかない状況でベイエが選んだのは変革ではなく連続性の維持。新チームでの最初の判断は、選手の積み上げを壊さないことを起点にする。
- 失点の原因を「メンタル」で括らず構造として分析する — 終盤の失点を「集中力不足」と片づけず、守備ライン・プレッシングの精度・交代選手の役割・体力消耗の箇所ごとに具体的に振り返る習慣を持つ。
- レッテルを静かに拒む言葉を選手に贈る — 「メンタルが弱いチーム」「勝負弱い学年」と外から言われたとき、その言葉をそのまま受け入れず「変化の途中にある集団」として捉え直す言葉を指導者が先に使う。
「メンタルの問題」と片づけない視点
今季のマルセイユは、ヨーロッパでも指折りの「終盤失点の多さ」を記録していると言われている。
数字だけを見ると、どうしても「集中力がない」「メンタルが弱い」といった言葉で説明したくなる。
そこでベイエは、「同じような終盤の失点が繰り返されるには、何か理由がある」とし、「その理由をきちんと分析する」と話している。
・何が起きているのか ・なぜ繰り返されるのか ・どこから手をつけるべきなのか
メディアは「ラスト数分の弱さ」というラベルを貼りたがる。
しかし、彼が見ているのは「ラベル」ではなく「構造」だ。
終盤に失点する理由は、ひとつではあり得ない。
- 守備ラインが下がり過ぎる
- 前線からのプレッシングが中途半端になる
- ボールを握り続ける体力や技術が足りない
- 交代選手の役割が曖昧になる
- 失点への不安が、自分たちのプレーを小さくする
これらが組み合わさって、「また最後にやられた」という感覚だけが残る。
ベイエは、そこを「メンタル」で一括りにしない。
・「守り切る」のではなく「相手を押し返す守備」をどうつくるか ・リードしている時間帯こそ、どの高さでラインを保ち、どこでボールを奪いに行くか ・具体的なトレーニングの中で、終盤の守備をどう再現し、どう乗り越えさせるか
こうした話は、そのまま日本の育成現場にも重なる。
大会の終盤で失点したとき、「集中していないからだ」「最後まで諦めるな」とだけ伝えて終わっていないだろうか。
その裏側で、
- どの時間帯に、どれだけ走ってきたのか
- どのポジションが一番消耗しているのか
- ボールの持ち方は、終盤にふさわしいものだったのか
こうした具体的な要素を、一緒に振り返れているだろうか。
「気持ちの問題」にしてしまうと、選手は自分を責めるしかなくなる。
でも「構造の問題」として見れば、「どこを変えればいいのか」を一緒に探すことができる。
終盤に失点を重ねるチームを前にして、「気持ち」で片づけるのか、「構造」を探るのか。
その分かれ目は、監督だけでなく、チーム全体の思考の習慣を映しているのかもしれない。
「病んだチーム」と呼ばれたときに、どう反応するか
- 「まだ早い」という声を他人に決めさせない — カテゴリを上げる・海外に挑戦するなどの判断を「周りの評価」ではなく「自分の積み重ね」を根拠に下す感覚を育てる。
- 試合後の感情に乗っ取られない時間を意識的に作る — 炎のようなプレッシャーの中でも「少しだけ外側から自分を見る視点」を持つことが、サッカーの技術とは別の「プレーレベル」になる。
- 「楽しさ」を苦しい場面のアンカーに使う — 結果に追われる試合でも「自分で選んでここにいる」という感覚を思い出すことが、冷静なプレーへの入り口になる。
レッテルを拒む勇気
マルセイユというクラブはしばしば「不安定」「騒がしい」「問題だらけ」と表現される。
今回も記者から「病んだチームではないか」と問われたとき、ベイエはきっぱりと「その見方は共有しない」と示している。
彼は、前のクラブで「降格圏付近という厳しい状況から立て直した経験」を引き合いに出し、「ネガティブな流れを変えていく過程こそが、自分の仕事だ」と話す。
ここにはふたつの選択があるように見える。
- レッテルを受け入れ、「病んだチーム」を治療する医者のように振る舞うか
- レッテルそのものを拒み、「変化の途中にある集団」として向き合うか
ベイエは後者を選んでいる。
「病んでいる」という言葉を使ってしまうと、選手たちは「自分たちは問題のある集団だ」と無意識に捉え始める。
一方で、「変わる途中のチーム」として見れば、今起きていることを「失敗」ではなく「変化のプロセス」として扱える。
日本でも、こうしたラベリングはよく起きる。
- 「メンタルが弱い世代」
- 「技術はあるけど闘えないチーム」
- 「勝負弱いクラブ」
そう呼ばれたときに、どのスタンスを取るか。
「そうだよね」と受け入れ、そこから抜け出そうとするのか。
それとも、「自分たちをその言葉で定義されたくない」と静かに拒むのか。
もしあなたが選手なら、どうだろう。
自分のチームが、外からどんな言葉をかけられているのか。
その言葉を、そのまま自分の中に入れてしまってはいないだろうか。
「情熱の街」で、あえて冷静さを選ぶということ

火を消すのではなく、燃え方を選ぶ
マルセイユという街とクラブには、「火」のイメージがつきまとう。
激しいサポーター、常に揺れ動く世論、熱量の高いメディア。
前任のロベルト・デ・ゼルビは、その熱さと呼応するように、かなり感情を前に出すタイプの監督だった。
その流れを受けて、「チームには今、冷静さが必要なのではないか」と問われたとき。
ベイエは、自身が「精神的な父」と慕うパップ・ディウフからかつて聞いた言葉を引き合いに出す。
・マルセイユで火が燃え上がったとき、むやみに消そうとせず、その火が自分で消えるまで待て ・大事なのは、炎に飲み込まれず、冷静さを保ち続けること
彼は自分自身も「トレーニング中は感情的になることがある」と認めつつ、試合やクラブ全体を見渡す立場としては「冷静でいること」を選ぶと話している。
火を消すのでもなく、火に油を注ぐのでもない。
「燃え方」を選ぶ。
これは、選手にも当てはまる。
- 試合中に審判の判定に納得がいかないとき
- 味方のミスで失点したとき
- 観客やベンチの声が耳に入ってくるとき
感情を完全に切り離すことはできない。
むしろサッカーは、感情があるからこそ面白い。
ただ、その感情に乗っ取られてしまうのか。
それとも、感情が湧き上がってくる自分を「少しだけ外側から見る視点」を持てるのか。
炎のようなスタジアムの中で、どこまで冷静でいられるか。
それは、技術や戦術とは別の意味での「プレーレベル」なのかもしれない。
「結果」と「プロセス」のあいだで揺れながら立つ
長期契約と、「短期しか保証されない仕事」
ベイエは2027年までの契約にサインした。
紙の上では、クラブが「中長期のプロジェクト」を託した形に見える。
しかし彼自身は、「監督という仕事に、長期の保証は存在しない」とはっきり話す。
・長く契約していても、結果が出なければすぐに立場は揺らぐ ・それでも、与えられた信頼に応えるために、チャンピオンズリーグ出場を目標に掲げて戦う
この距離感は、とても現実的だ。
「長期的なビジョン」と「目の前の結果」。
どちらか一方に偏るのではなく、そのあいだで揺れ続けることを前提としている。
育成年代の現場でも、似たようなジレンマがある。
- 大会で勝ちたい気持ちと、長い目で選手を育てたい思い
- 今のカテゴリで結果を求めることと、数年後を見据えた起用
どちらかを選べば、もう片方を完全に切り捨てなければならないわけではない。
ただ、何を優先するのか、その都度選び続けなければならない。
ベイエは、こうした「二つの間で揺れ続けること」を、ある意味で受け入れているように見える。
保証されない立場で、それでも前に進む。
プロの世界では当たり前のことかもしれないが、「不安定さとどう付き合うか」は、選手一人ひとりにとっても大きなテーマだ。
「この街のフットボールに似せる」という発想
戦術より先に、「どんな空気をまとったチームにするか」
具体的な戦術について問われたとき、ベイエは「縦への推進力があり、主導権を握るチームにしたい」と話している。
ただそこで終わらず、「この街とスタジアムが求めるフットボールに近づけたい」とも言葉を添えている。
・リスクを避けて安全にボールを回すのではなく、観る人の心を揺さぶるプレー ・慎重さよりも、前に出る勇気を評価するスタジアムの空気 ・「勝てばそれでいい」ではなく、「どう勝つか」も問われるクラブ
彼はそれを、「売り文句」としてではなく、「この街の現実」として受け止めようとしている。
日本ではどうだろう。
「この街「このクラブ」らしいサッカー」と聞くと、どんなものをイメージするだろうか。
- 走り続けることを美学とするクラブ
- ボールを大切にすることを優先するクラブ
- 若手起用を積極的にするクラブ
どれが正しいという話ではない。
ただ、「自分たちがどんなフットボールをしたいのか」を、自分の言葉で説明できるかどうか。
ベイエは、まだ具体的な「プレーモデル」は口にしていない。
時間もない。
それでも一貫しているのは、「観る人が自分たちを重ね合わせたくなるチーム」にしたいという思いだ。
それは、選手にとっても問いかけになる。
・このチームで、自分はどんなプレーヤーでありたいのか ・どんな姿を見せたときに、このクラブの人たちは喜んでくれるのか ・そのために、日々のトレーニングで何を選ぶべきなのか
「楽しさ」をどこに置くのか
結果が求められる場所で、あえて「楽しさ」を口にする意味
初対面の選手たちに向けて、自分の考えを伝えたとき。
ベイエが特に強調したのは、「このクラブのユニフォームを着てプレーすることを楽しんでほしい」ということだったとされる。
結果を求められる現場で、「楽しさ」という言葉を出すのは簡単ではない。
負けが続けば、すぐに「楽しんでいる場合じゃない」という声が上がるからだ。
それでも、彼はあえてそこに触れる。
・プレッシャーの中で、自分がなぜこの競技を続けているのか ・幼い頃に感じた、ボールを追いかける純粋な楽しさとの距離 ・「仕事」としてのサッカーと、「遊び」としてのサッカーのあいだで揺れながら、どこに軸足を置くか
日本の選手たちに置き換えて考えてみる。
大会の決勝、昇格や降格のかかった試合、セレクション。
「楽しんでこい」と言われても、心からそう思えない瞬間もあるはずだ。
それでも、「楽しさ」という言葉を自分の中でどう位置づけるか。
- 楽しむ=気楽にやること、ではないのか
- 苦しい時間の中にも、「自分で選んでここにいる」という誇りはないか
- うまくいかない試合でも、「このレベルで戦えていること」そのものを味わう余白はないか
ベイエが口にした「楽しさ」は、ただの軽い言葉ではないように思える。
炎のようなプレッシャーの中で、自分を見失わないための、小さなアンカーのようなものかもしれない。
最後に残るのは、「自分ならどう選ぶか」という問い
48時間でチームを引き継ぐという状況の中で、ハビブ・ベイエが見せたのは、派手なスローガンではなかった。
・「自分は準備できている」と、自分の積み重ねを信じる姿勢 ・24時間しかないなら、「あえて大きく変えない」という選択 ・「病んでいる」とラベリングされたチームに対して、「そうは見ない」と言い切る視点 ・炎のような街に対して、「火を消すのではなく、燃え方を選ぶ」という冷静さ ・結果がすべての世界で、「楽しんでプレーしてほしい」と伝える勇気
これらはすべて、「どう戦うか」を自分で選ぼうとする試みのように見える。
そこに、正解はない。
ただ、そのひとつひとつの選択が、これからのマルセイユというクラブと、そこに関わる選手たちの時間を形作っていく。
そして、画面の向こうからその物語を眺めている自分たちにも、静かに問いが返ってくる。
- 自分が新しい環境に飛び込むとき、「準備できていない」という感覚とどう向き合うか
- チームが苦しいとき、「レッテル」で語るのか、「構造」を探そうとするのか
- 炎のような感情が湧いたとき、その火とどう付き合うのか
- 結果に追われる中で、「楽しさ」をどこに置くのか
マルセイユのベンチで新たなスタートを切ったひとりの監督の選択は、遠く離れた場所でボールを蹴る選手や、タッチラインの外から見守る人たちにも、何かを問いかけている。
答えを急ぐ必要はない。
ただ、「自分ならどう考えるだろう」と一度立ち止まってみること。
その時間そのものが、サッカーを続けていくうえでの、静かな力になるのかもしれない。
