アレックス・メルリムが教えてくれた「ゲーム理解」の難しさ──育成年代の選手・保護者・指導者が身につけたい“技術の使いどころ”と問いかける coaching
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「理解すること」のその先へ ─ アレックス・メルリムの言葉から考えるサッカー

「一番難しかったのは、ゲームを理解すること」
フットサル界で長くトップに立ち続けてきたアレックス・メルリムは、あるインタビューの中でこんな趣旨の話をしている。 「ここまで来るのに、一番難しかったのは、技術を磨くことではなく、ゲームそのものを理解することだった」
強烈なシュート、華麗なフェイント、驚くような身体能力。 観客の目を奪うのは、どうしても「見える」能力になりやすい。 だが、メルリムが語るのは、もっと目に見えにくい部分、プレーの裏側にある「理解」の話だ。
もしこの言葉を、サッカーをプレーする自分に向けて受け取るとしたら、何が見えてくるだろうか。 そして、子どもを見守る保護者や、日々指導に悩むコーチたちにとって、この「理解することの難しさ」は、どんな意味を持つだろうか。
| 観点 | 「できる」段階 | 「わかる」段階 | 育成での扱い |
|---|---|---|---|
| 技術の質 | ドリブル・シュート・パスを単独で実行できる | 状況に応じて選択し、使い分けられる | △ 変化 |
| 判断の根拠 | コーチや周りに合わせて動く | 自分の意図を言語化して選べる | ◎ 継承の核 |
| ミスの捉え方 | 怒られない・浮かないことを優先する | 判断の背景を振り返り次に活かす材料にする | ○ 柔軟化 |
| 対話の質 | 「次はこうしろ」と答えを与えられる | 「どう思ってた?」と意図を引き出される | ◎ |
| 時間軸 | 短期で正解を当てに行く | 長期で理解を深め続ける | △ 変化 |
「できる」と「わかる」は、同じではない
メルリムは、フットサルの世界で「誰よりも技術がある選手」と評されてきた。 ブラジルからイタリアへ渡り、ヨーロッパのトップクラブでタイトルを重ねた選手が、それでも「一番難しかったのは理解だ」と言う。 ここには、単純な「うまさ」とは違う世界が横たわっている。
例えば、こんなことを想像してみる。
- ドリブルで相手を抜くこと自体はできる
- シュートを強く打つこともできる
- パスの精度も、周りより高いかもしれない
それでも、試合になるとボールロストが増えたり、味方とうまく噛み合わなかったりする。 このとき問題になっているのは、必ずしも「できるかどうか」ではない。
どのタイミングでドリブルを選ぶのか。 今、本当にシュートなのか、それともボールを保持して時間を作るべきか。 狭い方に行くのか、広い方に行くのか。 つまり、「どうプレーするかを理解しているかどうか」が問われている。
「できる」と「わかる」は、似ているようで全く別のものだ。 メルリムが時間をかけてたどりついたのは、「技術の使いどころ」を理解することだったのだろう。
- 意図とセットで型を渡す — 動きの型だけでなく「なぜその動きなのか」を毎回ペアで言葉にし、選手が自分で説明できる素地をつくる
- 答えを与える前に問う — ミス直後に「今、自分ではどう思っている?」と聞き、選手の中の判断材料を一度棚に出させる
- 同じ場面を繰り返し言語化させる — 似た局面を反復しながら毎回意図を口にしてもらい、理解の解像度を少しずつ上げていく
選手は、常に「選択の嵐」の中にいる
メルリムのようなトップ選手だけでなく、どんなカテゴリーの選手も、ピッチに立てば一瞬ごとに選択を迫られている。 ボールを持つ前から、もう選択は始まっている。
- ポジションを一歩上げるか、下げるか
- 相手に寄せるか、コースを切って待つか
- 味方に声をかけるか、あえて黙って自分の役割に集中するか
ボールを持った瞬間には、それが一気に加速する。
- 前を向くのか、背後を狙うのか、その場でキープするのか
- リスクを取って縦に刺すのか、横パスでやり直すのか
- 自分で仕掛けるのか、味方に委ねるのか
メルリムが語る「ゲームを理解する」とは、この無数の選択肢の中から、その瞬間にふさわしい一つを選び取る感覚を育てていくことだと言える。 ここで大事なのは、「いつも正解を出せるようになること」ではない。 むしろ、「何を基準に選んだのか」を、自分で説明できるかどうかだ。
もし自分が選手なら、最近の試合やトレーニングを思い出してみる。 「なぜあのときドリブルを選んだのか」 「なぜあのときシュートを打たなかったのか」 そこに自分なりの基準はあっただろうか。
- 「あのとき、どうしようと思ってた?」 — 結果ではなく意図に光を当てる問いで、子どもが自分の判断を振り返るきっかけをつくる
- 「自分では何がうまくいかなかったと思う?」 — 親が答えを言う前に、本人の言葉で原因仮説を立てさせる時間を確保する
- 「同じ場面が来たら、次はどうしてみたい?」 — 過去の評価ではなく次の選択肢を一緒に考えることで、ゲーム理解を続けるエネルギーに変える
日本の育成環境では、何が求められているのか

日本の育成年代では、長いあいだ「基本技術」に重きが置かれてきたと言われる。 止める・蹴る・運ぶ。 これらを丁寧に教え、反復し、正確さやスピードを追求していく。 その積み重ねが、世界に誇れる技術水準の土台になったことは間違いない。
一方で、世界のトップレベルと比べたときに語られるのが、「判断の速さ」「状況に応じた工夫」「試合の流れを読む力」といった部分だ。 技術的に劣っていないのに、90分を通した駆け引きの中で、少しずつ押し込まれていく試合も少なくない。
ここで、メルリムの「ゲームを理解することが一番難しかった」という言葉が、別の響きを持って迫ってくる。 もしかすると、「理解する力」を育てるための時間や環境が、まだ十分ではないのかもしれない。
例えば、次のような場面はどうだろう。
- ミスをしたあと、すぐに「次はこうしろ」と答えを与えてしまう
- 試合後、「なんでシュート打たないんだ」と結果だけを責めてしまう
- プレーの意図を聞く前に、「それはダメだ」と切り捨ててしまう
ここには、「理解する前に、正解に合わせにいく」圧力が潜んでいる。 もちろん、指導の現場には時間も制約もある。 保護者にも、それぞれの思いがある。 ただ、「間違いを減らすこと」と「ゲームを理解する力を育てること」は、同じではないということだけは、どこかで覚えておいてもよいのかもしれない。
「早く正解を出す」ことと、「じっくり理解する」こと
メルリムのような選手でも、「ゲームを理解する」までに時間がかかったという。 その間、きっと多くのミスを経験し、ときには監督の意図と噛み合わないプレーもあったはずだ。 それでもなお、プレーを続ける中で、自分なりに問いを立て、答えを探し続けた結果として、今の境地にたどり着いている。
ここで浮かび上がるのは、「早く正解を出そうとすること」と、「じっくり理解していくこと」の違いだ。 トレーニングの中でも、こんな場面はないだろうか。
- コーチの言う通りにプレーすれば、とりあえず怒られない
- 周りと同じ動きをしていれば、浮かずに済む
- 自分で判断した結果、うまくいかなかったときのほうが怖い
こうした空気の中では、「正解を当てにいく」意識が強くなる。 だがメルリムの言葉を入り口にすると、別の見方もできる。 「今はまだよく分かっていないけれど、自分なりに理解しようとしながらプレーしている時間」こそが、選手の未来を形づくっていくのではないかという視点だ。
もし、自分のチームでこんな会話が生まれたとしたら、どうなるだろう。
- 「今のプレー、どうしてその選択をしたの?」と聞いてみる
- 「こういう意図があったなら、次はこんな選択肢もあるね」と一緒に考える
- 「結果はミスだったかもしれないけど、狙い自体は悪くない」と分けて受け止める
それは、答え合わせではなく、理解に向かう対話になる。 その積み重ねの先に、メルリムが語った「ゲームを理解する」世界が、少しずつ開けていくのかもしれない。
保護者として、どんな言葉をかけるか
選手のそばには、保護者の存在がある。 試合後、車の中、夕食の席。 一日の中で、プレーについて話ができる時間は案外多い。
そこでどんな言葉が交わされるかは、選手の「理解したい」という気持ちに、大きな影響を与える。 例えば、次のような言葉をかけたくなる瞬間はないだろうか。
- 「あの場面、なんでシュート打たなかったの?」
- 「もっと早くパス出せばいいのに」
- 「監督の言うことをちゃんと聞いてるの?」
それは、子どもを思うからこその言葉だ。 ただ、ここに少しだけ別の問いを足してみることもできる。
- 「あのとき、どうしようと思ってた?」
- 「自分では、何がうまくいかなかったと思う?」
- 「同じ場面がきたら、次はどうしてみたい?」
この問いは、「正解を教える」のではなく、「自分で考えるきっかけ」を手渡す問いだ。 メルリムが時間をかけて身につけた「ゲームを理解する力」は、こうした小さな問いの積み重ねによっても育まれていく。
指導者として、「わかっていない時間」をどう見るか
指導者の立場から見ると、「わかっていない時間」は、じれったく感じることも多い。 試合は待ってくれないし、結果が求められる。 クラブや保護者からのプレッシャーもある。
それでも、メルリムのような選手ですら、「理解」に時間を要したという事実は、どこかで踏まえておきたいポイントかもしれない。 「まだわかっていない」選手を前にしたとき、どんなアプローチがありうるだろうか。
- プレーの型だけを教えるのではなく、「なぜその動きをするのか」をセットで伝える
- ミスの直後に答えを与える前に、「今、自分ではどう思っている?」と聞いてみる
- 同じ場面を繰り返しトレーニングしながら、毎回選手自身に意図を言語化させてみる
「理解することの難しさ」を前提にしたとき、指導のゴールも少し変わってくる。 選手を「正しい型」に当てはめることではなく、 「自分で理解を深め続けられる選手」にしていくこと。 そこに視点を置いたとき、ミスや戸惑いの意味も、違って見えてくるのではないか。
自分なら、どう「ゲームを理解していくか」
メルリムは、今もなおプレーの中で新しい発見を続けていると言われる。 長いキャリアの終盤になっても、「もう分かった」とは言わない。 それは、おそらく「ゲームを理解すること」に終わりがないと知っているからだ。
では、自分ならどうだろう。
- 今日のトレーニングで、「なぜそのプレーを選んだのか」を一つだけ振り返ってみる
- 試合の映像を見返すときに、「ミス」ではなく「判断の背景」を探してみる
- うまくいかなかった場面を、「自分の理解が深まるチャンス」として書き出してみる
それは、派手な取り組みではないかもしれない。 ただ、一つひとつの選択の裏側にある自分の考えを見つめ直すことで、「ゲームの見え方」は静かに変わっていく。
アレックス・メルリムが語った「一番難しかったのは、ゲームを理解すること」という言葉は、 単なるトップ選手の回顧ではなく、 今ボールを蹴っている選手、見守る保護者、教える指導者、それぞれへの問いかけとして受け取ることもできる。
サッカーは、90分で勝敗が決まるスポーツだ。 けれど、「理解すること」にかかる時間は、90分では測れない。 急がず、自分なりのスピードで問い続けること。 そのプロセスそのものが、サッカーの面白さの一部なのかもしれない。
