誰のクラブで、何を守るのか──シャルケの騒動から考えるサポーターとクラブの距離感
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「誰のクラブなのか?」シャルケのスタンドから考えるサッカーの選び方

試合のピッチ脇で起きていた、もうひとつの攻防
ドイツ2部リーグ、シャルケ04対ディナモ・ドレスデン。
チームはここ5試合勝ちがなく、スタジアムにはどうしても重たい空気が漂う。
そのなかで、もうひとつ別の緊張が、ピッチの外側で生まれていた。
ゴール裏に掲げられた、いくつもの巨大な横断幕。
元監査役会会長クレーメンス・トーニースに対する、かなり激しい言葉が並ぶ。
2001年から2020年まで、クラブの「強い権力者」として君臨してきた人物へ向けられた、感情のこもったメッセージだった。
クラブのウルトラスは、以前からトーニースへの強い批判を続けてきた。
今回は、その拒絶の姿勢をあらためて突きつけた形になる。
一方で、この光景を「受け入れがたい」と感じた人たちもいた。
クラブに深く関わってきた元監督たち、そして大口スポンサー企業のトップたち。
彼らはクラブの取締役会と監査役会に宛てて、横断幕での激しい侮辱に対し、明確な対応を求める書簡を送った。
「本当のシャルケの人間なら、クラブのイメージが傷つくことを恥ずかしく思うはずだ」
そんな趣旨の言葉がそこにはあった。
その直後、クラブは公式に声明を出す。
「自分たちは、意見を交わす文化と、表現の自由を大切にする会員制クラブだ」
そう前置きしたうえで、個人を侮辱する横断幕も、メディアに即座に公開された書簡も、「クラブの目標達成には役立たない」と距離をとってみせた。
元会長のトーニース自身も、地元紙の取材に対して「今は昇格争いがすべて。こんな騒動は必要ない」と語り、ウルトラスを「少数で声の大きいグループ」と表現している。
スタジアムの中では、試合が進んでいる。
だが、その周りでは、「誰がクラブを代表するのか」「何がクラブらしさなのか」をめぐる、もうひとつのゲームが進行していた。
| 立場 | 選んだ手段 | 守ろうとしたもの | 評価 |
|---|---|---|---|
| ウルトラス | 激しい言葉の横断幕を掲示 | クラブの価値観・過去への怒り | ◎ 感情直結 |
| 元監督・スポンサー | 連名の公開書簡をクラブへ送付 | クラブの対外的イメージ・品位 | ○ 組織的対応 |
| クラブ経営陣 | 「表現の自由」前置きで両者に距離 | 原則表明と対立回避の両立 | △ 曖昧さ残る |
| 元会長トーニース | 「昇格だけが大事」と攻撃を無視 | 昇格という現実目標への集中 | ○ 現実主義 |
| チームの選手(想定) | ロッカールームで「集中しよう」と割り切り | 目前のプレーへの焦点維持 | ◎ プロとしての選択 |
ピッチの外の「意思決定」も、サッカーの一部だとしたら
この出来事を、「海外のクラブのゴタゴタ」として眺めることもできる。
ただ少しだけ視点を変えると、ピッチ上の11人が行う判断と、スタンドやクラブの中で行われている判断が、どこか似ていることにも気づいてくる。
例えば、ウルトラスは何を選んだのか。
・沈黙するのか
・冷静なメッセージを出すのか
・強い言葉で拒絶を示すのか
そのなかで、あえて最も感情の強い手段を選んだ。
スポンサーや元監督たちはどうか。
・心の中で「行き過ぎだ」と思うにとどめるのか
・クラブ内部だけで静かに意見を伝えるのか
・クラブに書簡を送り、その内容が世に出ることも覚悟するのか
結果として、彼らは自分たちの立場も世間の目にさらされる選択をした。
クラブの経営陣も、また別の決断を迫られている。
・どちらか一方を強く批判し、線を引くのか
・両方に距離をとり、「クラブとしての原則」を打ち出すのか
今回は「表現の自由は守る」という前提を示しつつ、「侮辱も、公開書簡も、どちらもクラブの目指す方向にはプラスではない」とメッセージを出した。
ここには、「何を守り、何を認めないか」というライン引きがある。
そして元会長のトーニースも、自分の立場からの選択をしている。
批判に対して感情的に反論する道もあったはずだが、彼は「昇格のために団結すべき時期だ」と強調し、自分に向けられた攻撃にあまり価値を与えない態度をとった。
それぞれが、同じ事実を前にして、別々の答えを選んでいる。
選択はいつも一つではない。
試合中の選手が、「縦に急ぐ」「横に落ち着かせる」「あえてやり直す」のあいだで選び続けるように。
- 「今、何に集中するか」を言葉にして選手と共有する — クラブ外の騒動が注目される時ほど、「今日の練習で大事にすること」を明示してピッチへの焦点を与える
- 感情を飲み込ませるか共有させるかを意識して使い分ける — クラブ環境の変化に対し選手が感じる戸惑いを「禁止」せず、時には場を作って話し合い、消化したうえでプレーに向かわせる
- 「声の大きい少数」と「静かな多数」両方の声をすくう観察眼を持つ — ロッカールームで強く発言する選手だけでなく、黙っているが何か感じている選手の表情・態度を日頃から読む
「感情」と「クラブのイメージ」の間で揺れるとき
ウルトラスの行動は、少なくとも彼ら自身にとっては「クラブを守る」ための行動なのかもしれない。
過去の発言や、クラブ運営への不信感。
感じてきた違和感や怒りが、時間をかけて積みあがり、「これ以上は受け入れられない」と噴き出した。
彼らの目には、「クラブの価値を損ねてきた人物に、名誉職を与えるわけにはいかない」という筋が見えているのかもしれない。
一方でスポンサーやクラブのレジェンドたちは、「クラブのイメージ」を別の角度から見ている。
世界中に映像が流れる試合で、元会長を激しい言葉で罵倒する横断幕が映る。
その光景は、「誇りに思うべきクラブ像」とはあまりにもかけ離れて見えたのだろう。
「本当にクラブのことを思うなら、やり方が違うのではないか」
そう感じて筆を取ったのかもしれない。
どちら側にも、「自分たちこそがクラブの未来を守ろうとしている」という意識がある可能性がある。
ただ、その「守り方」が真逆の方向を向いてしまう時、何が起きるのか。
・強い言葉で拒絶することが、「クラブらしさ」を守ることになるのか
・それとも、外から見える「品位」を優先することこそが、クラブを守ることなのか
ここには、単純な「正しい/間違い」では割り切れない揺れがある。
感情を飲み込むか、表に出すか。
このバランスは、サッカーをしていれば誰もがどこかで向き合うものでもある。
例えば、理不尽だと感じる判定。
チームメイトのミス。
ベンチに座る時間が長くなったときの苛立ち。
それをその場で爆発させるのか、いったん飲み込むのか。
どちらを選ぶかによって、その後のチームの空気も、自分の立ち位置も変わってしまう。
- 感情は出すべきか飲み込むべきかは「場」と「手段」で変わる — 試合中のチームメイトへの不満や理不尽な判定への怒りも、どこで・どう出すかが結果を左右する
- 「誰かを批判する言葉」は、届く相手と伝わり方をセットで考える — 横断幕が最終的にクラブ全体の注目を集めたように、言葉の強さは受け手ではなく周囲の空気を変える
- 「今は結果に集中」か「クラブの問題を向き合う」かを自分で選び取る — 親としても選手としても、自分がいま何に優先順位を置くのかを意識することが判断力を育てる
もし自分が「シャルケの一員」だったら、どう動くか
この状況を、自分に少し引き寄せて考えてみることもできる。
もし自分がこのクラブの選手だったら、どう感じるだろう。
試合前のロッカールームでは、「昇格争いに集中しよう」と話している。
だが、スタジアムに出れば、クラブ内の対立が目に飛び込んでくる。
サポーターの横断幕。
メディアを賑わせる書簡と声明。
自分が選手なら、どんなことを考えるだろうか。
・「こういうクラブの問題には関わらず、目の前のプレーに集中しよう」と割り切るのか
・「自分もクラブの一員として、何か意見を持つべきだ」と感じるのか
・「サポーターとクラブの間に挟まれるのはつらい」と戸惑うのか
どの反応も、あり得る。
では、指導者であればどうか。
チームは5試合勝てていない。
メディアは成績とともに、この騒動も大きく取り上げる。
トレーニング場でも、選手の話題は自然とそこに向かうかもしれない。
そこで監督は、どんな言葉を選ぶだろう。
・「この話題は一切禁止」と線を引くのか
・「それぞれ意見はあっていいが、今はプレーに集中しよう」と穏やかに伝えるのか
・「クラブとは何か」をテーマにチームで話し合う時間をあえて作るのか
どれを選ぶにしても、「チームとしてどこに焦点を当てるのか」を、誰かが決めなければいけない。
また、もし自分がサポーターの一人として、そのスタンドにいたとしたら。
強い言葉が並ぶ横断幕を見たとき、「よく言ってくれた」と感じるのか、「そこまで言う必要があるのか」と感じるのか。
あるいは、「どちらの気持ちもわかるが、どう振る舞えばいいのか決めきれない」と立ち尽くすのか。
サッカーの現場では、「決めること」だけが大事に見えがちだ。
だが実際には、「まだ決めきれないでいる」という状態を抱えながら進む時間も、少なくない。
日本のクラブなら、どういう「クラブ像」を選ぶだろう
このシャルケの出来事を、日本のサッカーと重ねてみると、また別の問いが浮かび上がる。
Jリーグでも、クラブの経営方針や、スポンサーとの関係、過去の発言などをめぐって、サポーターが強く声を上げる場面は出てきている。
ただ、その表現の仕方や、クラブ側の受け止め方は、国や文化、歴史によって少しずつ違う。
日本では、「表立って個人を強く批判する横断幕」をどう見なすだろうか。
・どんな理由があっても、「言葉の強さ」の段階で一線を引くのか
・「背景にある不満の根っこ」をクラブが受けとめようとするのか
・スポンサーやOBが、今回のように連名でクラブに圧力をかける形をとるのか
また、「クラブのイメージ」をどう捉えるかも、考える余地がある。
・外からどう見られるかを第一に考えるのか
・中にいる人たちが「自分のクラブだ」と思えるかを優先するのか
・その二つを両立させようとするのか
スタジアムで声を出すサポーター。
静かに見守るファミリー層。
スポンサー企業。
ユースからトップを目指す選手たち。
クラブの中には、さまざまな人の「クラブ観」が共存している。
そこに必ずしも一つの正解はなく、どこかで「それでも一緒にやっていくための最低限のライン」を探っていくしかない。
シャルケの声明は、「侮辱的な横断幕」も「メディア向けの公開書簡」も、どちらもクラブの目標にはプラスではないと示したうえで、「表現の自由」と「リスペクト」の両方に言及していた。
日本のクラブが同じ状況に立たされたとき、どんな言葉を選ぶだろうか。
それを想像してみるだけでも、「自分はクラブに何を求めているのか」が、少し輪郭を持ちはじめるかもしれない。
「少数で声の大きい人たち」と、見えない多数

元会長トーニースは今回の騒動について、「ウルトラスは、この素晴らしいクラブの中の、少数で声の大きいグループだ」と語っている。
この表現に対して、クラブ内外でどんな反応が起きるかは、まだわからない。
ただ、スポーツの現場ではよく見られる構図でもある。
・「強く主張する少数」と、「はっきりした意見は持たないが、なんとなく空気には流されていく多数」
・「スタジアムで声を上げる人」と、「家で観戦しながらSNSでつぶやく人」
・「クラブに直接提案する人」と、「モヤモヤを抱えたまま、少しずつスタジアムから足が遠のく人」
どの層も、クラブを支えている。
ただ、「誰の声を、どのくらい重く受け止めるか」は、クラブにとって常に難しいテーマになる。
日本のチームやクラブでも、同じようなことが起きているかもしれない。
・保護者会で、いつも発言する数人の保護者
・あまり口は出さないが、心の中ではいろいろ感じている多数の保護者
・監督に不満はあるが、「面倒事は避けたい」と黙っている選手たち
そこで「声の大きい人たち」に引っ張られるのか。
それとも、静かな人の中にもある思いを、どうすくい上げていくかを考えるのか。
クラブやチームの運営は、プレーのように一瞬で答えが出るものではない。
時間をかけて、揺れながら、選び続けていくしかない。
「今、何に集中するか」を決める力
シャルケは今、昇格争いというはっきりした目標の中にいる。
ところが、ピッチの外での対立がクローズアップされることで、「何に集中するべきか」という問いも複雑になる。
・クラブの歴史や価値を守るための議論
・今シーズンの結果にかかわる戦い
どちらも軽く扱っていいものではない。
だからこそ、難しい。
選手に置きかえれば、「自分の将来」と「今の試合」を同時に背負っているようなものかもしれない。
自分のキャリアのためにステップアップを考える時期。
しかし目の前には、残留争いの試合がある。
どちらも本気で考える必要がある中で、「今はどちらに意識を向けるのか」を選び取る力が求められる。
トーニースは「今は昇格だけが大事だ」と語り、スポンサーやレジェンドは「クラブのイメージ」を守ることを訴え、ウルトラスは「自分たちが受け入れられないクラブ像」を拒絶している。
それぞれが、「今、何に集中すべきか」の答えを違えている。
どれか一つが絶対的に正しいとは限らない。
だが、少なくとも一人ひとりが「なぜ自分はこの優先順位を選んでいるのか」を、自分自身に問い直すことはできる。
答えを決めつけないまま、問いを持ち続けるという選択
このシャルケの出来事から、何か教訓めいた結論を引き出すこともできるかもしれない。
ただ、サッカーに関わる誰かの「正解」をなぞるよりも、ここから自分なりの問いを持ち帰る方が、あとで効いてくることがある。
例えば、こんな問いだろうか。
・クラブやチームに不満があるとき、自分ならどこまで表現するだろうか
・「クラブのイメージ」と「自分が誇れるクラブ像」がぶつかったとき、どちらを優先したいと思うだろうか
・「声の大きい人たち」の意見に引っ張られそうになったとき、自分の頭で立ち止まる余白を持てるだろうか
・ピッチ内外の騒動の中で、「今、何に集中するか」を自分で選べるだろうか
答えは、人の数だけ違っていい。
状況が変われば、同じ人の中でも答えは揺れていく。
大事なのは、そのたびに「自分ならどうするか」を、自分自身にきちんと問いかける習慣かもしれない。
スタジアムで起きていることは、いつもピッチの中だけではない。
クラブをめぐる選択の一つひとつに、サッカーをしている自分や、誰かを支えている自分の姿が少しずつ重なっていく。
シャルケで続いているこの騒動も、遠くの出来事として終わらせるのではなく、自分のサッカーのそばにそっと置いてみる。
そのとき初めて見えてくる「クラブとの距離感」や「自分の選び方」が、いつかピッチの上での一瞬の判断にも、静かに影響してくるのかもしれない。
