マルティネスとフェリックスに学ぶ、日本の選手・指導者が「勝利より先に見るべきもの」――代表選考、短期滞在、走り方から問い直すサッカーの判断基準
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「勝つこと」が目的でないとき、代表監督は何を見ているのか

アトランタでの国際親善試合を前に、ポルトガル代表のロベルト・マルティネス監督は、こんな趣旨の言葉を示していた。 「今の焦点は、試合に勝つことではない」 そして、ワールドカップのメンバー選考については、「最終的な判断は、選手がピッチで見せるプレーだけでは決まらない」とも言っている。
代表監督が、勝利よりも別のものを優先する。 結果ではなく、選考の判断基準を「プレー以外」にまで広げる。 その姿勢は、一見すると矛盾しているようにも聞こえる。
けれど、ワールドカップ本大会を見据えた準備期間という文脈で眺めたとき、そこには「サッカーをどう捉えているか」という、少し長いスパンの思考がにじんでくる。
「今だけ」を見ない監督のまなざし
親善試合であっても、代表戦には国旗が掲げられ、国歌が流れ、サポーターは勝利を望む。 スタジアムに集まる人にとっては、その日の90分がすべてだ。
一方で、マルティネス監督の前にある時間軸はもっと長い。
- 目の前の試合
- ワールドカップまでの数カ月
- 大会期間中の連戦
- さらにその先の代表チームの継続的な競争力
この長い時間の中で、「どこに焦点を当てるか」を選ぶのが監督の仕事になる。
親善試合で勝つことに全エネルギーを注げば、その日は称賛されるかもしれない。 だが、その選択は、選手の新たな組み合わせを試す機会や、若い選手に責任を背負わせる経験を削ることにもつながる。
逆に、あえてリスクのある実験をして、完成から程遠いチームで試合に臨めば、内容や結果への批判は覚悟しなければならない。
もし自分が監督なら、どちらを選ぶだろうか。 そのとき、 「今日は勝たなくてもいいや」と軽く考えるのか、 「勝ちたいが、あえて別の優先順位を選ぶ」と腹をくくるのか。 同じ言葉でも、その裏にある決意の重さは大きく違ってくる。
| 観点 | 勝利最優先の視点 | 本大会準備の視点 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 親善試合の位置づけ | 結果で監督・選手を評価 | 新しい組み合わせを試す機会 | △ 大きな変化 |
| 選考基準 | ゴール・アシストなど数値 | ベンチでのふるまい・連戦の集中力 | ○ 拡張 |
| 相手分析 | 知っている戦い方を前提に準備 | 「知っているつもり」を疑い続ける | ○ 柔軟化 |
| うまくいかなかった滞在 | 失敗と切り捨てる | 何を選んだかを自分の言葉で振り返る | △ 受け止め直し |
| 走る量 | 走行距離・スプリント回数 | 走る前に何を見て何を考えたか | ◎ 質の問い直し |
| 育成への翻訳 | 勝てる試合を続ける | 別ポジション挑戦・若手起用に振る | ◎ 長期視点 |
「プレー以外」も見るという難しさ
マルティネス監督は、ワールドカップの招集メンバーについて、「ピッチ上のプレーだけでは判断が決まらない」と示している。 これは、選手からすると、少しややこしいメッセージに聞こえるかもしれない。
「結局、何を見ているんだろう」 「ゴールやアシストだけじゃ足りないのか」
だが、代表チームのような短期決戦の場では、監督は次のような要素を同時に見ている可能性がある。
- ベンチに回ったときのふるまい
- プレー時間が短い試合での準備や集中力
- チームメイトへの声かけや、姿勢
- 連戦の中でのコンディションコントロール
- 敗戦後の受け止め方と立て直し方
スタジアムやテレビの画面には映りにくい部分が、ワールドカップのような大会では、時に決定的な意味を持つ。
例えば、グループステージで思うように結果が出なかったとき。 スタメンを外された選手が肩を落としたままなのか、それとも仲間のアップを支えながら自分の準備も続けるのか。 この「見えない時間」の選択が、4試合目、5試合目のチームの空気を左右することがある。
もし自分が選手だとしたら、どうだろう。 「とにかく試合で結果を出せばいい」と割り切るのか。 「見られているのは、グラウンドに立っていない時間も含めた自分だ」と受け止めるのか。 同じ環境の中で、何を自分の評価軸にするかは、一人ひとりの選択だ。
- 勝利以外の優先順位を腹をくくって選ぶ — 「今日は何を試す試合か」を事前にチームと共有し、結果と切り離して振り返れる土台を作る
- プレー以外の時間を観察対象にする — ベンチでのふるまい、敗戦後の立て直し、声掛けを評価軸に明示的に加える
- 「知っている相手」への先入観を点検する — 何度も対戦している相手ほど、試合当日の違和感を拾うチェックリストを準備しておく
「知っている相手」とどう向き合うか
今回の代表活動では、コンゴとの試合について、「相手をよく知っている」と監督は語っている。 相手の特徴や弱点、戦い方の傾向を頭に入れたうえで、どう戦うかを考えているという意味だろう。
相手を知っている。 それは一見、有利な条件に思える。 しかし、「知っている」ことは、同時にひとつの罠にもなりうる。
「このチームはいつもこうだから」と決めつけてしまえば、試合中に相手が変化してきたとき、対応が遅れるかもしれない。 逆に、「知っているつもり」を疑い続けることができれば、ピッチ上での選手の違和感を拾いやすくなる。
例えば、日本の育成年代でも、何度も対戦している相手に対して、 「ここはこういう戦い方をしてくるはず」と先入観だけで準備を進めてしまうことはないだろうか。
相手を分析する。 相手を知る。 そのうえで、「試合当日の相手は、また別物かもしれない」と開いておく。 その微妙なバランス感覚が、選手にも、指導者にも求められている。
- 成功か失敗かで判定しない — その期間に自分が何を選んで、何をやりきれたかを、本人の言葉で書き出してみる
- 走る前の「視ること」を意識する — どこを閉じるために走るのか、走らない勇気をどこで持つのかを試合の映像で振り返る
- 進路・移籍の決断は理由を残す — 結果が出なかった選択も「なぜそう決めたか」を残せれば、次の判断の精度が上がる
短い滞在と、そこから何を持ち帰るか
ポルトガル代表FWのジョアン・フェリックスは、チェルシーでの短い期間について、「自分としては、やるべきことはやった」と振り返っている。 数字や結果だけを見れば、成功と呼ぶには物足りないかもしれない。 それでも本人は、限られた時間の中で、自分なりの決断と行動を積み重ねたと受け取っている。
サッカーのキャリアには、「うまくいかなかった時間」が必ずある。 レンタル移籍で出場機会が限られたシーズン。 ケガ明けですぐに結果が出ない時期。 期待されて加入したクラブで、監督交代とともに構想から外れる展開。
そのとき、人はつい「失敗だった」とひとことで片付けたくなる。 しかし、フェリックスのような言い方をすると、問いは少し変わってくる。
「成功だったかどうか」ではなく、 「その時間の中で、自分は何を選んだのか」 「何をやりきれたと言えるのか」
日本の選手や保護者、指導者にとっても、「結果としてうまくいかなかった挑戦」をどう受け止めるかは、避けて通れないテーマだ。 進学先の学校やクラブ選び、海外へのチャレンジ、ポジション変更。 思い描いた成果とは違う結末になったとき、「あれは間違いだった」と切り捨てるのか。 それとも、「そのときの自分としては、こう考えて、こう決めて、こう動いた」と丁寧に振り返るのか。
後者を選ぶとき、人は自然と、自分の判断のプロセスを見つめ直すことになる。 その積み重ねが、次の選択のときに、少しだけ視野を広げてくれるかもしれない。
「走る」だけでは見えないもの

同じポルトガルのサッカー界では、プレミアリーグのフルアムを率いるマルコ・シウバについて、「どれだけフルアムがベンフィカの血に影響を与えているか」という文脈で語られることもある。 海外で指揮を執るポルトガル人監督たちは、それぞれのリーグの要求に適応しながらも、自分が育ったサッカー文化の感覚を持ち込もうとしている。
イングランドでは、「走る」こと、プレミアリーグ特有の強度がしばしば強調される。 だが、そこで求められているのは、「どれだけ走れるか」だけではない。
- どこを閉じるために走るのか
- どのタイミングでラインを上げるのか、下げるのか
- ボールに行かない「走らない勇気」をどこで持つのか
こうした問いを、選手一人ひとりが自分の中で整理できているかどうかが、「ただ走っているチーム」と「考えて走っているチーム」の違いになって現れてくる。
日本でも、走行距離やスプリント回数といった数値は、わかりやすい目安としてよく取り上げられる。 しかし本当は、その裏にある「何のために」という問いを、指導者も選手もどこまで共有できているかが重要になる。
もし次に自分の試合の映像を見る機会があったら、「どれだけ走っているか」ではなく、「走る前に何を見て、何を考えていたか」に注目してみてもいいかもしれない。 そこには、数字には表れない、自分なりの判断の軌跡が映っている。
日本ではどう受け止められるだろうか
「今は勝つことが目的ではない」と代表監督が言う。 「プレー以外の要素も含めて選考をする」と伝える。 こうしたメッセージを、日本で出したら、どんな反応が返ってくるだろうか。
学校やクラブでは、「全力を尽くせ」「最後まであきらめるな」という言葉とともに、「試合には勝とう」と教えられることが多い。 それ自体は大切な価値観だ。 一方で、「この試合で何を最優先するか」を、あえて別のところに置く決断も、サッカーには存在する。
育成年代なら、次のような選択肢がありえる。
- 勝つ確率が下がっても、別のポジションに挑戦させる
- 守り切れば勝てる状況で、あえてビルドアップにトライする
- 普段は出場時間が短い選手に、難しい局面で託してみる
これらの選択は、短期的にはリスクを含む。 観ている側からしても、「なぜ安全なほうを選ばないのか」と感じるかもしれない。
けれど、長い目で見たときに、選手が「自分で考える力」を身につけるには、こうした揺れや葛藤を伴う経験が不可欠だろう。 監督の指示通りに動いて勝つ試合だけでは、判断のストックはあまり増えない。
「この試合で監督は何を見ようとしているのか」 「今日は何を学ぶチャンスなんだろうか」
選手自身が、そんな目線を持ち始めたとき、たとえスコアが望んだ形で終わらなかったとしても、その90分は、次につながる意味を持ち始める。
「正しかったか」より、「なぜそうしたか」
ロベルト・マルティネスの言葉、ジョアン・フェリックスの振り返り、海外で指揮を執るマルコ・シウバの歩み。 それぞれの背後には、「この状況で、自分は何を優先するのか」という静かな問いが流れている。
答えは一つではない。 親善試合でも絶対に勝利を最優先する監督がいてもいいし、短い滞在を「うまくいかなかった」と振り返る選手がいてもいい。 重要なのは、どの選択を取ったかではなく、「なぜ、その選択を取ったのか」を、自分なりに説明できるかどうかだ。
もし今、自分が選手として、保護者として、あるいは指導者として、何かの選択に迷っているとしたら。 結果が出るかどうかだけでなく、「この選択は、どんな自分でありたいから選ぶのか」と、少しだけ立ち止まってみる余地があるのかもしれない。
サッカーのピッチでは、90分のあいだに、数えきれないほどの判断が積み重なっている。 そのひとつひとつに即席の正解を求めるのではなく、「なぜ、そうしたのか」をあとから静かにたどること。 その時間こそが、次の一歩を決める、本当のトレーニングなのかもしれない。
