二つの国旗の間で立ち止まる若いサッカー選手のイメージ。代表選択や進路決断における「自分で選ぶ」という行為の重さを象徴するビジュアル。

アユブ・ブアディが「フランスではなくモロッコ」を選んだ理由から学ぶ──日本の10代サッカー選手が進路と葛藤に向き合うための「決め方」のヒント

DEFINITION
進路選択とは「正解」より「納得感」を残す行為
二つの選択肢の間で迷うとき、本当に大事なのは「どちらが正解か」ではなく「どう選んだか」であり、情報を集め、信頼できる人に相談し、最後に自分の名前でサインをする──その過程を経た「納得感」だけが、うまくいかなかった日に次の一歩を踏み出す力になる。

「どちらを選ぶか」ではなく「どう選ぶか」へ──アユブ・ブアディの決断から考える

10代のひとりが、2つの代表のあいだで立った場所

フランスとモロッコ。

2つの国のフル代表でプレーする可能性を持つ10代の選手が、どちらの国を選ぶか。

そんな問いが、ひとりの若い選手のもとに現れた。

Ayyoub Bouaddi(アユブ・ブアディ)。

フランスで育ち、フランスの世代別代表にも関わってきた攻撃的なタレントが、最終的にA代表はモロッコを選ぶ決断をした。

モロッコ代表のキャンプに招集され、選択を正式に固めたという報道とともに、そのニュースはヨーロッパと北アフリカのあいだをあっという間に駆け巡った。

この決断に対して、かつてのモロッコ代表選手が「フランス代表に入るレベルではない」といったニュアンスのコメントを残したことも伝えられている。

そこには、誇りや期待、そして少しの嫉妬や不安も混じっていたかもしれない。

一方で、モロッコ代表を率いる側の人間や、ブアディを育ててきた指導者は、その選択を静かに尊重する言葉を選んでいる。

同じ事実を前にしても、そこから見える風景は、人によってまったく違う。

ブアディ自身は、そのど真ん中で、自分のキャリアと人生をかけた「選択」をしなければならなかった。

それは、遠い国の特別な物語のように見えるかもしれない。

けれどよく見ると、日本でサッカーをしている私たちにも、どこか似た構図はたくさんある。

COMPARISON / 進路選択の「決め方」を比較する
観点 周りに合わせる選び方 自分で選ぶ選び方 10年後への効き方
決断の主語 周りの期待・空気 自分の言葉 ◎ 後者で人生が他人事にならない
情報の集め方 勧められたものを受け取る 自分で問いを立てて集める ○ 後者で判断の解像度が上がる
相談相手 ひとり、または身近な一人 家族・指導者・信頼する複数の人 ○ 視点が増えるほど後悔が減る
評価する軸 レベル・知名度・安全度 なりたい自分の像との一致度 ◎ 後者の方が長く走れる
うまくいかなかった時の反応 「本当はこっちじゃなかった」 「自分で選んだから次へ」 △ 受け取り方が大きく変わる
◎=10年単位で大きな差/○=積み重ねで効く/△=その瞬間の受け止め方の差

「フランスかモロッコか」より前にあった、いくつもの選択

代表をどちらにするか。

もちろん、それはとても大きな決断だ。

けれど、その前には、もっと数えきれないほどの小さな選択が積み重なっている。

例えば、ブアディは幼い頃、「サッカーボールを蹴り続ける」という選択をしたはずだ。

別の遊びに流れていく友だちもいる中で、毎週末の練習や試合を優先する日々を選んできた。

クラブを選ぶタイミングもあっただろう。

今いるクラブに残るか、より競争の激しい環境に飛び込むか。

ポジションの話もある。

監督から「ボランチに挑戦してみないか」と言われたとき、前線にこだわり続けるのか、新しい役割に挑戦するのか。

そして、フランスの育成システムの中でプレーしながらも、ルーツを持つモロッコとのつながりをどう感じていたのか。

自分は「フランス人」なのか、「モロッコ人」なのか、その両方なのか。

代表を選ぶ年齢になるまでに、何度も自分に問いかけてきたはずだ。

ニュースになるのは「どの代表を選んだか」という結果の部分だけだが、その裏で繰り返されてきた「小さな選択」を想像してみると、見え方が少し変わってくる。

FOR COACHES / FOR COACHES
選手の進路を支える3つの関わり方
  1. 「どちらが正しいか」ではなく「君はどうしたいか」を聞く — 進路相談で先に結論を出さず、本人の言葉を待つ時間を意識的に作る
  2. 選択の結果より「プロセス」を評価する — どれだけ情報を集め、どれだけ悩んだかを言葉にして承認する
  3. 「現時点ではこのレベル」と評価しつつ「この先どう伸びるかは分からない」と余白を残す — 決めつけが選手の選択の自由を狭めることを意識する
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正解のない問いに、どう向き合うか

「フル代表をどちらにするか」には、はっきりした正解はない。

フランスを選べばワールドカップ優勝争いができるかもしれない。

モロッコを選べば、自分のルーツと強く結びついた代表の一員になれるかもしれない。

どちらも魅力がある一方で、どちらにもリスクがある。

フランスを選んでも、世代別で呼ばれていたからといって、フル代表に定着できる保証はない。

モロッコを選んでも、アフリカ予選の厳しさや、長距離移動、コンディションの難しさはつきまとう。

その中で、ブアディは「自分がどうありたいか」を基準に決めたように見える。

モロッコ代表監督や周囲の言葉からは、「早くから彼の意志を尊重してきた」という空気がにじむ。

誰かに説得されて動かされたのではなく、自分の中でゆっくりと固めてきた選択だったのではないか。

ここで興味深いのは、「どちらの代表が正解か」ではない。

正解がない問いに対して、どう向き合ったのか、という点だ。

情報を集め、家族と話し、クラブの関係者や信頼している人に相談し、それでも最後は自分の名前でサインをする。

そのプロセスこそが、サッカー選手としても、人としても、大きな意味を持っているように思える。

FOR PLAYERS & PARENTS / FOR PLAYERS & PARENTS
進路を選ぶ前にしておく3つ
  1. 「どんなサッカー選手でありたいか」を一行で書いてみる — レベルや知名度ではなく、なりたい像から逆算して候補を並べる
  2. 5年後・10年後に自分の言葉で説明できるかを問う — 「親が勧めたから」「みんなが行くから」で済まない理由を探す
  3. 悩みに悩んで自分で選んだ事実を記録に残す — 厳しい状況に置かれた時に「自分で選んだ」という記憶を取り戻す材料にする

「レベルが足りない」という言葉にどう向き合うか

今回の選択に対して、ある元モロッコ代表選手は、「フランス代表でやれるレベルではない」といった主旨のコメントを残している。

その真意がどこにあるかは、本人にしか分からない。

自国代表に対するプライドなのか。

若い選手に期待をかけるがゆえの厳しい言葉なのか。

あるいは、表現の選び方を誤っただけなのか。

ただ、ひとつはっきりしているのは、そうした言葉は、選手の「選択の自由」を狭める方向に働きやすいということだ。

「お前はこのレベルだ」「あの代表にはふさわしくない」と決めつけられると、自分で考える前に諦めてしまう選手も出てくる。

一方で、ブアディの決断を静かに支持し、「彼が自分で決めたことだ」と受け止める指導者や関係者もいる。

そこには、「結果がどうであれ、自分で選んだ道を進む価値がある」という考え方が見える。

選手のレベル評価は、サッカーの世界では避けられない。

スカウトも監督も、日々ジャッジをしている。

ただ、「評価」と「決めつけ」のあいだには大きな差がある。

「現時点ではこのレベル」と捉えながらも、「この先どう伸びるかは分からない」と余白を残せるのかどうか。

その余白があることで、選手本人が「自分はどこを目指すか」を考え続けることができる。

日本の選手が向き合う「選択」はどこにあるか

フランスかモロッコか、という話は、どこか遠い世界の出来事に聞こえるかもしれない。

けれど、日本の選手にも、別の形で似たような選択の場面がある。

例えば、中学3年生のとき。

地元の高校サッカー部に進むか、Jクラブのユースに挑戦するか。

あるいは、高体連から大学を目指すか、高卒でプロにチャレンジするか。

最近では、海外のユースを選ぶ選手もいる。

どれが「正解」かは、その時点では誰にも分からない。

試合に出られる可能性、指導者との相性、仲間との関係、学業とのバランス、家族の状況。

色々な要素が絡み合う。

周りの大人たちは、ときに「こっちの方が安全だ」「あっちの方がレベルが高い」とアドバイスをしてくる。

もちろん、その助言が役立つことも多い。

それでも最後に、自分の名前で「決める」のは選手本人だ。

ブアディのケースを自分に引き寄せるなら、問いはこう変えられるかもしれない。

「自分はどんなサッカー選手でありたいのか。」

「どんな環境で、どんなプレーをしていたいのか。」

「5年後、10年後に振り返ったとき、その選択を自分の言葉で説明できるか。」

代表レベルの大きな決断ではなくても、進路を選ぶとき、ポジション変更を受け入れるとき、キャプテンを任されるかどうかを判断するとき。

同じ種類の問いが、目の前に置かれている。

「選ばれる側」から「選ぶ側」への視点の切り替え

育成年代の選手は、どうしても「選ばれる側」としての感覚が強くなりやすい。

メンバー入りできるかどうか。

代表候補に呼ばれるかどうか。

セレクションに合格するかどうか。

だからこそ、ブアディのような事例は、別の感覚を思い出させてくれる。

自分には「選ぶ権利」もあるということだ。

どのチームでプレーするか。

どの代表を目指すか。

どのプレースタイルにこだわるか。

もちろん、どんな選択にも制約はある。

経済的な事情や、地域の環境、親の仕事、学校との両立。

何でも自由に選べるわけではない。

それでも、その与えられた条件の中で、「自分で選べる範囲」を見つけていけるかどうか。

例えば、高校を選ぶときに、「強豪校だから」という理由だけで決めるのか。

それとも、「この指導者のもとでプレーしたい」「このスタイルに惹かれる」という軸で見てみるのか。

同じ進路選択でも、「選ばれる」だけでなく「選ぶ」感覚を持てると、見えてくる情報も変わってくる。

決断のあとに残るのは、結果ではなく「納得感」かもしれない

ブアディがモロッコ代表を選んだことで、これから彼のキャリアには、さまざまな反応や評価がついて回るだろう。

うまくいけば、「英断だった」と言われる。

思うようにいかなければ、「フランスを選ぶべきだった」と言われるかもしれない。

けれど、そのどちらも、外側からの後づけに過ぎない。

本人が一番長く向き合うのは、「あのとき自分はどう決めたか」という記憶だ。

相談はたくさんしていい。

情報もできるだけ集めた方がいい。

それでも最後に、「あのときの自分は、あの選択に本気で向き合った」と言えるかどうか。

その納得感があれば、うまくいかなかったときにも、次のチャレンジに踏み出す力になる。

日本の選手も、進路決定のたびに似た感覚を抱いているのではないだろうか。

「本当はこっちに行きたかったけど、周りの期待に合わせた」と感じてしまうと、その後の時間がどこか他人事になることがある。

一方で、「悩みに悩んだけど、自分で選んだ」と思えていれば、厳しい状況でも、「じゃあこの環境で何ができるか」と考えやすくなる。

指導者や保護者にできることは何か

では、周りの大人はどう関わればいいのか。

ブアディのケースに出てくる大人たちの姿から、いくつかのヒントが見える。

  • 情報を与えるが、答えは押しつけない
  • 「どちらが正しいか」ではなく、「君はどうしたいか」を聞く
  • 選択の結果より、そのプロセスを評価する

代表選びのような大きな話でなくても、日々の小さな場面でこれは実践できる。

ポジション変更を提案するとき、「チームのためだから受け入れろ」とだけ言うのか。

それとも、「こういう意図があって提案する。どう感じる?」と、一度選手の言葉を待つのか。

進路相談の場面でも、「この高校に行きなさい」と決めてしまうのか。

あるいは、「こういうメリットとデメリットがある。自分はこう思うけど、君はどう考える?」と対話を重ねるのか。

選手が「自分で選んだ」と感じられるような関わり方は、一見時間がかかるようでいて、長い目で見ると、その選手の自立を大きく前に進める。

FAQ / よくある質問
Q. 二つの進路で迷ったとき、どちらを選べばいいですか?
A. 「どちらが正解か」を外から判定するのは難しく、本人にも分かりません。大切なのは情報を集め、家族や信頼できる人と話した上で、最後は自分の名前で決めることです。納得感のある決断は、うまくいかなかった時にも次のチャレンジに踏み出す力になります。
Q. 「お前にはまだ早い」と決めつけられた時、どう向き合えばいいですか?
A. その言葉を完全に無視する必要も、丸ごと飲み込む必要もありません。「現時点ではこのレベル」と受け止めつつ、「この先どう伸びるかは自分次第」という余白を自分の中に残すことで、選択の自由を狭めずに考え続けられます。
Q. 保護者や指導者は、進路選択にどこまで関わるべきですか?
A. 情報やメリット・デメリットは伝えるが、答えは押しつけない関わり方が、選手の自立を長い目で前に進めます。「こういう意図がある。どう感じる?」と一度本人の言葉を待つ態度が、選んだ進路を「自分のもの」にしてもらう鍵になります。
Q. 選んだ後で「あっちにすべきだった」と後悔したらどうすればいいですか?
A. 後悔そのものをゼロにすることはできません。それでも「あの時の自分は本気で向き合って選んだ」と言えるプロセスを残しておけば、現状の中で何ができるかに思考を向け直せます。納得感は結果ではなく決め方から生まれるからです。

「もし自分だったら」と、少しだけ立ち止まってみる

ブアディがモロッコ代表を選んだニュースを見て、「もったいない」と感じる人もいるかもしれない。

「それでもいい選択だ」と思う人もいるだろう。

どちらの感覚もあっていい。

もし、このコラムをここまで読んでくれたなら、最後にひとつだけ、自分に問いかけてみてほしい。

「もし自分がブアディの立場だったら、どう考えるだろう。」

フランスの育成環境。

モロッコというルーツ。

代表での将来像。

家族の想い。

自分のプレースタイルと、どの代表でどう活きるかというイメージ。

それらを全部抱えながら、何を手放し、何を大事にしようとするか。

正解探しではなく、そのプロセスを頭の中でなぞってみること自体が、「考えるサッカー」の一部なのかもしれない。

サッカーのピッチの中で、パスかドリブルか、シュートかキープかを選ぶように。

ピッチの外でも、私たちはいつも何かを選び続けている。

そのひとつひとつの選択に、自分の言葉で向き合えるかどうか。

代表を決めた若いひとりの選手のニュースは、そのことを静かに問いかけているように見える。

CONVERSATION PARTNER / ある観戦者から、ひとつ視点を

プロの世界に進めずにサッカーを離れることになった 22 歳の自分を、いまも頭の片隅で思い出すことがある。あの時期、何かを「選んだ」というより、選ばないまま流されてしまった日の方が、後になって長く残ったのを覚えている。誰かに勧められた進路、空気で決めた居場所、そういうものは、うまくいかなかった瞬間に「あれは本当に自分の選択だったか」と振り返る材料にしかならなかった。

もちろん、皆さんが選んできた道、選ばずに見送ってきた道が、同じだったとは限らない。それでも、今いる場所を自分の名前で選んだと言えるかどうかを、ほんの少しだけ、ボールを置く前に思い浮かべてみてほしい。

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