40歳モドリッチが踏み出した「前への一歩」が教えてくれる、サッカーにおける選択の価値
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40歳モドリッチの一歩目に、何が詰まっていたのか

85分、スコアは1-1。 相手は勢いづき、スタジアムはホームの空気に傾きかけている。 ロングボールを蹴り出して時間を稼ぐこともできるし、 無難に横パスを続けて「負けない」ことを選ぶ道もある。
そのとき、ボールを足元に収めたのは、40歳のルカ・モドリッチだった。
中央で受け、リッチと狭いスペースでパス交換。 一度ボールを預けたあと、迷いなく前へ走る。 最終ラインの隙間を斜めに切り裂くようなランニング。 再びボールを受けた瞬間、右足のアウトサイドで、 相手GKニコラスの届かないコースへ流し込む。
ピサ対ミラン、2-1。 決勝点の形だけを見れば、「さすがモドリッチ」で終わってしまう。 でも、その「さすが」の中身には、 90分間を通して積み上げてきた判断と選択、 そして40年分のサッカーの時間が詰まっている。
試合は「正解」ではなく「選択」の連続
外から見ればシンプル、中にいるときは…
この試合を振り返ると、いくつもの「選択の分かれ目」が出てくる。
39分、モドリッチが起点となり、右サイドのアテカメへ展開。 そこからのクロスにロフタス=チークが頭で合わせ、ミランが先制した。 ここでは、
- モドリッチは、あえて中央でこねず、サイドへはたいた
- アテカメは、ドリブルで仕掛けるのではなく、早いクロスを選んだ
- ロフタス=チークは、エリア外でボールを受けに下りるのではなく、ゴール前に飛び込んだ
どれも、結果だけを切り出せば「正しいプレー」に見える。 だが、もしクロスが少しズレていたら、 もしロフタス=チークが一歩飛び込むのをためらっていたら、 同じ行動は簡単に「もったいない判断」に変わる。
つまり、プレーの価値は、結果だけでは決まらない。 どんな情報を見て、何を優先し、どれだけ迷いなく選べたか。 そこにこそ、その選手の「考える力」と「選ぶ力」が表れてくる。
| 場面 | 保守的な選択 | 挑戦する選択 | 成長への影響 |
|---|---|---|---|
| 終盤の同点場面 | 横パスで時間を使い引き分けを確保する | ワンツーでライン間を抜けペナルティエリアへ前進する | ◎ |
| 監督の交代判断 | リードしている状況で動かず様子を見る | リスクを負って前線の構成を変えさらに支配を狙う | ○ |
| PKキッカーの選択 | コースを確実に決めシンプルに蹴り込む | フェイントを入れてGKの逆を突こうとする | △ |
| 失点後のプレー | ミスを引きずりプレーが慎重になる | 失点に絡んだ後、次のゴール前へ自ら飛び込む | ◎ |
| 退場リスクのある抗議 | 不満を飲み込みプレーに集中する | 判定への怒りを抑えられず退場になる | △ |
ハーフタイムの決断:フュルクルク投入という一手
後半開始と同時に、マッシミリアーノ・アッレグリ監督は動いた。 ニクンクを下げ、フュルクルクを投入。
この交代は、 「点がほしいからストライカーを増やした」 という一言で片付けることもできる。 しかし実際には、もっと多くの要素が絡んでいるはずだ。
- ピサの3バックに対し、空中戦で優位に立てるターゲットを増やしたかったのか
- 前線でボールを収める役割を明確にし、中盤のモドリッチやラビオを前向きにプレーさせたかったのか
- ニクンクの運動量やコンディションを見て、これ以上引っ張ると守備面のリスクが増すと判断したのか
どの理由がどれだけ重かったのか、外から完全には分からない。 ただ一つ言えるのは、 「0-1で勝っているから、このまま様子を見よう」 という保守的な選択肢をあえて取らなかった、ということだ。
もし自分が監督なら、どうするだろう。 リードしている状況で、動かない勇気を選ぶか。 それとも、さらに試合を支配するためにリスクを負うか。
選手としても同じで、交代を告げられたニクンクには、 「なぜ自分なのか」という感情がゼロではなかったはずだ。 それでもベンチに戻りながら、 試合全体を見つめ直し、 次に自分がピッチに戻るときの準備をする。
ベンチに下がったあと、 頭の中で試合をどう整理するか。 そこにもまた、サッカーの「考える時間」がある。
外した者、決めた者、そしてなお続く時間
- ミスの後は責める前に「どんな選択肢があったか」を問いかける — PKミスでも退場でも失点に直結するプレーでも、「あのとき何を見ていたか」「他にどんな選択肢があったと思う」という問いで振り返ることで次の判断力が育つ
- 「うまくいかなかった時間」を抱えた選手の次の一歩を待てる空気をつくる — ミスをした選手が自ら立ち直りゴールを決めるシーンが生まれるためには、チームがその選手の次のチャレンジを支持できる雰囲気が不可欠だ
- 「正解のプレー」をすぐ教えることより、選手自身の言語化を待つ — あえて「どうしてあそこに走ったのか」と問いかけ本人の言葉を引き出す時間が、長期的に「考えるサッカー」を育てる
フュルクルクのPKミスは「失敗」だけか
54分、ロヨラのファウルでミランにPK。 キッカーは、後半から投入されたフュルクルク。 助走の途中でフェイントを入れるが、ボールは左ポストを叩いて外へ。 リードを広げる大きなチャンスは失われた。
このワンシーンだけを切り取れば、 「ひどいPKだった」 「なぜあんな蹴り方をしたのか」 と評価するのは簡単だ。
ただ、PKを蹴る前に、彼の頭の中にはどんな選択肢があっただろうか。
- GKニコラスの過去の傾向を踏まえて、コースを決めていたのか
- 助走のフェイントでGKを動かし、その逆を突こうとしていたのか
- チームの連続無敗という重圧を意識しながら、それでも自分が蹴ると決めたのか
PKスポットにボールを置くまでの10数秒は、 観客には見えない、選択と葛藤の時間でもある。 そこで手を挙げるかどうか。 どんな蹴り方を選ぶか。 そして、ミスした後、どう立ち直るか。
その直後、流れは一気にピサへ傾く。 71分、左サイドからのクロスに対し、パヴロヴィッチのクリアが中途半端になり、 こぼれ球をロヨラが押し込んで1-1。 PKを与えてしまったロヨラが、今度はチームを救うゴールを決めた。
「ミスをした選手が、その後に主人公になる」。 サッカーではよくある光景だが、その裏には、 プレーを引きずらずに、次の一歩を踏み出す心の準備がある。
もし自分がフュルクルクの立場なら、 PKを外したあと、 どんな声をかけられたら、もう一度前を向けるだろう。 また、自分がチームメイトなら、 どんな言葉や態度を選ぶだろうか。
- 試合後にプレーの「なぜ」を言語化する習慣をつける — どのプレーを選び何を怖がっていたか、次に同じ状況が来たら何を変えたいかを言葉にする。振り返りは結果の確認ではなく判断の棚卸しだと意識する
- ミスをした後の「立ち直り方」に着目する — PKを外した後にゴール前へ飛び込む姿勢、失点に絡んだ後にまた守備に走る姿勢、こういった「後」の一歩こそが選手の本質を表す
- 年齢や経験を「できない理由」ではなく「選べること」の積み重ねと捉える — 経験を重ねるほど選択の精度が上がる。「なぜその選択をしたか」を問い続けることが将来の判断力の土台になる
ラビオのゴール取り消しと退場に見える「温度」
後半立ち上がり、ラビオは素晴らしいボレーシュートを決め、 一度はネットを揺らした。 しかし、フュルクルクのハンドがVARで指摘され、得点は取り消し。 歓喜は一瞬で消え、試合は続く。
そして試合終盤、ラビオは二枚目のイエローカードで退場となる。 すでに警告を受けていたにもかかわらず、 判定への激しい抗議が止まらなかった。
ここにもまた、一つの問いが浮かぶ。
- 理不尽に感じた判定に対し、どこまで感情を出していいのか
- チームのために冷静さを保つことと、自分の感情を押し殺すことは、どう違うのか
- 「戦う姿勢」と「コントロールを失うこと」の境界線は、どこにあるのか
選手はロボットではないから、納得いかないことがあれば感情は揺れる。 それでもピッチ上では、その揺れを抱えたまま、次の選択を迫られる。
ラビオの退場を「軽率」とラベル貼りして終えることは簡単だが、 彼がこの試合で背負っていた役割や責任、 取り消されたゴールへの想いまで含めて考えると、 その一言では片づけられない「人間の温度」が見えてくる。
40歳モドリッチが教えてくれる「一歩目」の価値
23試合無敗の中で、なお勝ちにいく姿勢
ミランはこの勝利で、公式戦23試合連続無敗となった。 欧州トップ5リーグの中で、最長の記録だという。 さらに、首位インテルとの差を一時的に5ポイントまで縮めた。
連続無敗という状況になれば、 「今日は引き分けでも悪くない」 そう考える選択肢も当然出てくる。 とくにアウェイで、終盤に追いつかれて1-1なら、 守備を固めて試合を締める判断も、決しておかしくはない。
それでも85分、モドリッチは前に走った。
- ボールを持ち続けて時間を使うこともできた
- 安全にサイドへ散らし、引き分けをほぼ確実にすることもできた
- 年齢を考えれば、無理なスプリントを避ける選択もあった
それでも彼は、リッチとのワンツーでラインの間を抜け、 ペナルティエリアの中へ思い切って飛び込んだ。
この一歩目は、偶然ではない。
- 自分たちのチームが、いま何を目指しているのか
- 残り時間と相手の疲労度を考えて、どこで勝負すべきか
- 自分の体と頭のコンディションをどう感じていたか
そうした要素を、その瞬間まで積み重ねてきたうえでの「前への選択」だったはずだ。 年齢の話をするなら、モドリッチは40歳と157日。 これは、コスタクルタ、イブラヒモビッチに次いで、 セリエAで3番目に高齢で得点した選手になった瞬間でもある。
年齢を理由に「できない」を増やすのか。 経験を理由に「選べること」を増やしていくのか。 その違いは、こうした一歩目に表れてくるのかもしれない。
日本のピッチで、この物語をどう受け取るか
「うまくいかなかった時間」をどう扱うか
この試合には、 PKを外したフュルクルク、 ファウルからPKを与え、のちに同点弾を決めたロヨラ、 ゴール取り消しと退場を経験したラビオ、 そして決勝点を決めたモドリッチ。
それぞれが、「うまくいかなかった時間」を抱えていた。
日本の育成年代の試合でも、 PKミスやミスパス、失点に直接つながるプレーをした選手は、 どうしても強く記憶に残る。
そのとき、
- チームとして、その選手の次の一歩を待てるか
- 本人が、失敗の理由を言語化し、次の選択につなげられるか
- 指導者や保護者が、結果だけでなくプロセスに目を向けられるか
ここでの姿勢が、その選手の「考えるサッカー」を育てるかどうかを左右する。
PKを外した後、 ミスをした後、 つい怒りでカードを受けてしまった後。
その「後」に何を話し合うか。 どんな問いを投げかけるか。 例えば、
- あの場面で、他にどんな蹴り方・選択肢があったと思う?
- 同じ状況が次に来たとき、何を変えたい?何は変えたくない?
- 判定に不満があったとき、チームのためにできるリアクションは何だろう?
こうした問いを時間をかけて一緒に考えることは、 「ミスを責める時間」を、「次を選べる時間」に変えていく作業でもある。
答えを急がないことのむずかしさ

試合が終わると、 メディアやSNSはどうしても、「誰がヒーローだったか」「誰が戦犯か」という 分かりやすいラベルを求めがちだ。
だが、90分を生きた選手たちにとっては、 そこまでシンプルな白黒では切り取れない。
日本の現場でも、 「正解のプレー」をすぐに教えたくなる瞬間は多い。 指導者として、親として、 子どもや選手が遠回りするのを見ているのは不安だからだ。
それでも、 あえてすぐに答えを与えず、 選手自身が自分のプレーを振り返る時間を待つ。
うまくいかなかった場面ほど、 「どうしてあそこに走ったのか?」 「あのとき、何を見ていたのか?」 そう問いかけて、本人の言葉を引き出す。
モドリッチの決勝点も、 40歳になって急に生まれたわけではない。 これまでのキャリアで、 何度も選択を間違え、何度もやり直し、 それでも前に出るという一歩目を手放さなかった時間の積み重ねだろう。
最後に残る問い
ピサ対ミランの2-1というスコアの裏側には、 数えきれないほどの「なぜ」と「どうして」が隠れている。
なぜ、モドリッチは85分に前へ走ったのか。 なぜ、フュルクルクはあの蹴り方を選んだのか。 なぜ、ロヨラはPKを与えたあとも、ゴール前へ飛び込むことをやめなかったのか。 なぜ、ラビオは退場というリスクを負ってまで抗議してしまったのか。
もし、自分が彼らの立場だったら、 同じ選択をしただろうか。 それとも、違う選び方をしただろうか。
次に自分がピッチに立つとき、 あるいは誰かのプレーをスタンドやテレビの前で見守るとき、 この試合をふと思い出して、 心のどこかで立ち止まってみてもいいのかもしれない。
「自分なら、あの一歩目をどこへ踏み出すだろう」。
その問いを抱えながらボールを蹴る時間こそが、 サッカーを少しだけ深くしてくれるのかもしれない。
