最後の一歩で崩れないチームへ――ヘタフェとボルダラスが示した「ボールを持たない勇気」と痛みから学ぶサッカー観
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最後の一歩で追いつかれるチームから、私たちは何を学べるのか ― ヘタフェとボルダラスの「痛みの中の前進」

ロスタイムの失点でうずくまる選手たち
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、ヘタフェの選手たちはその場に崩れ落ちるようにして、しばらく立ち上がれなかったと言われている。
舞台はラ・リーガ第21節、ジローナFC対ヘタフェCF。
会場はジローナのホーム、モンティリビ。
相手はここ2026年に入ってから調子を一気に上げてきたジローナ。
そんな相手に対して、ヘタフェは先にリードを奪い、追いつかれながらも終盤まで勝点3を握りしめていた。
しかし、最後の最後、アディショナルタイムに失点。
勝利目前で指の間からポロリとこぼれおちた勝点2。
試合後、ホセ・ボルダラス監督の表情には、悔しさと、どこか選手への愛情が入り混じったような複雑な影が浮かんでいた。
「痛い結果だ」としながらも、「この戦い方が道だ」と強調した彼の言葉は、単なる愚痴でも言い訳でもなかった。
「ボールを持たない」選択は、本当に守備的なのか
この試合でヘタフェが選んだのは、ジローナにボールを持たせるゲームプランだった。
ポゼッションは譲る。
その代わり、守備の秩序を崩さず、奪った瞬間の一撃で試合を動かす。
スペインでもしばしば議論になるスタイルだ。
「ボールを持つチームこそ主導権を握っているのか」。
「ボールを持たないチームは、受け身なのか」。
この日のボルダラスは、はっきりとした意図を持っていた。
好調のジローナを、守備の整理とカウンターで封じ込める。
実際、ヘタフェはリードを奪い、追いつかれたあとにもボセッリに決定機を作り出した。
監督が「勝利を捨てていなかった」と振り返ったのも、結果だけではなく、選手たちが最後までゴールを目指した姿勢を見ていたからだろう。
日本でも、ポゼッションを大事にする指導者は多い。
育成年代の現場では、
- 「つなぐサッカー」=良いサッカー
- 「ロングボールや守備重視」=古い/消極的
そんなイメージが根強い地域もある。
しかし、ヘタフェのように、
- ボールを持たない時間を覚悟して受け入れる
- 守備のラインと距離感を一つひとつ丁寧に整える
- 少ないチャンスに全力で集中を注ぐ
といったプレーは、決して「何もしていない」わけではない。
そこにも、はっきりとした主導権の奪い方が存在している。
ボールを持っているかどうかより、「自分たちの選択に責任を持っているか」のほうが、ずっと大事なのかもしれない。
3試合連続、終盤の失点という現実
ヘタフェはここ最近、試合終盤の失点に悩まされている。
今回のジローナ戦で、終盤のゴールを許したのは3試合連続になった。
ボルダラスはロッカールームに戻ったときの様子を、「選手たちはとても沈んでいた」と表現している。
当然だ。
90分間、あるいはそれ以上の時間をかけて積み上げたものが、最後のワンプレーで崩れ去る。
数字としては「1失点」に過ぎなくても、心に残る傷はそれ以上に深い。
ここで、私たちは一度立ち止まって考えたくなる。
「終盤に失点するチーム」は、本当にメンタルが弱いのだろうか。
日本のサッカー界でも、同じような場面は数え切れないほど起きている。
ロスタイムに追いつかれる試合。
ラストプレーのCKで逆転されるゲーム。
そのたびに、
- 「集中力が足りない」
- 「走り込みが足りない」
- 「勝ち切るメンタリティがない」
といった言葉が、簡単に並べられる。
しかし、本当にそれだけだろうか。
ラ・リーガのように、一つひとつのクオリティが高いリーグでは、最後の数分も、最初の数分と同じように、いや、それ以上に難度が増す。
相手も、すべてを懸けて攻め込んでくる。
選手は疲れ切った身体で、頭だけはフル回転させなければいけない。
ボルダラスは「リーグ全体のレベルが非常に拮抗しており、とても難しいシーズンだ」と示した。
これは、単なる泣き言ではなく、「どのチームも最後まで何が起きても不思議ではない」という現代サッカーのリアルを語った言葉と受け取ることもできる。
「判定」に怒る前に、自分たちのプレーを振り返る視点

ジローナの同点弾の場面について、ヘタフェのフアン・イグレシアスは、直前のプレーにファウルがあったのではないかと不満を口にしたという。
接触があったのか、なかったのか。
審判はどこまで見えていたのか。
サッカーでは、常についてまわるテーマだ。
それでもボルダラスは、この場面だけを槍玉に挙げることを避けた。
はっきりとした映像を確認できていないこともあり、「選手たちは背中から押されたと言っている」と前置きしつつ、「それもゲームの一部」と話を収めようとしている。
そして、その直後に、「むしろ、あの前に自分たちでプレーを完結させるべきだった」と振り返っている。
ボールを保持したまま時間を使う、外に逃がしてスローインにするなど、いくつかの選択肢があったはずだ、と。
この視点は、日本の選手や指導者にとっても、非常に示唆に富んでいるように思える。
判定に対して感情的になることは簡単だ。
勝点を失った理由を外側に求めることも、気持ちを楽にしてくれるかもしれない。
だが、ボルダラスは「自分たちがコントロールできたはずの部分」にあえて目を向けようとしている。
これは、勝つための分析というより、「次に同じことを繰り返さないための学び」を優先した態度にも見える。
日本のピッチでも、あの一瞬をどう締めくくるかで試合が決まる場面は多い。
ラスト1分を、
- ただ守り切る時間と見るのか
- ボールを保持しながら、意図的に時間を使う時間と見るのか
その違いは、トレーニングの中から育てていかなければならない。
ヘタフェの失点シーンは、日本の選手や指導者にとっても、試合終盤の「ゲームマネジメント」を考え直す素材になるはずだ。
経済的に苦しいクラブが、新加入に託すもの
ヘタフェは今季、経済的に難しい一年を過ごしているとされている。
クラブの財政状況は、移籍市場での動きに大きく影響する。
そんな中で、冬に4人の新戦力を加え、そのうち3人がジローナ戦でスタメンに名を連ねた。
ボルダラスは、彼らのパフォーマンスに満足感を示している。
まだラ・リーガの強度に完全に適応しているわけではない。
それでも、ピッチで見せたエネルギーや姿勢を評価し、「これからチームを大きく助けてくれる」と前向きに語った。
とくに、先制点を叩き込んだルイス・バスケスについては、その貢献をはっきりと認めている。
資金が限られるクラブにとって、新戦力獲得は常に「リスクを伴う賭け」だ。
スター選手を並べることはできない。
だからこそ、
- 「このリーグでどれだけ走れるか」
- 「どれだけ早くチームの約束事を理解できるか」
- 「どれだけ失敗を恐れずにプレーできるか」
といった要素が、より強く求められる。
日本でも、Jクラブの多くは潤沢な資金を持っているわけではない。
若い選手、あるいは海外から来た選手に賭けなければならない場面は多い。
そのとき、
- 「即戦力なのかどうか」
- 「フィジカルは十分か」
だけでなく、「このチームの苦しい時期を一緒にくぐり抜けてくれるか」という視点も、重要になってくるのではないだろうか。
ルイス・バスケスのゴールは、単なる1点ではなく、「苦しいクラブが、新しい仲間に託した希望のかたち」として見ることもできる。
「痛み」の扱い方が、チームを前に進める
この試合後のボルダラスのコメントには、一貫したトーンがあった。
結果は痛い。
選手たちも打ちひしがれている。
しかし、「この戦い方でいい」「この努力を続けるべきだ」と何度も強調している。
もちろん、同じ失点パターンを繰り返していいわけではない。
それでも、「間違っているのは努力そのものではない」というメッセージを、監督は選手たちに届けようとしているように見える。
痛みを無理に消そうとするのではなく、その痛みを「この道で、もう一歩先に進むための感覚」として受け止める姿勢。
敗戦や取りこぼしを経験したあと、チームが崩れていくのか、それとも強くなるのか。
その分かれ道は、「痛みとどう向き合うか」にあるのかもしれない。
日本のサッカーでも、
- 全国大会の決勝での逆転負け
- 昇格争いの終盤での痛恨のドロー
- 代表レベルでの土壇場の失点
そんな記憶は、数多く積み重なってきた。
その都度、「勝ち切れない」「あと一歩が足りない」といった言葉が繰り返されている。
だが、もしかすると、その痛みこそが次の一歩を踏み出す原動力になる。
そのためには、
- 負けを忘れるのではなく、きちんと見つめ直すこと
- 何ができていて、何が足りなかったのかを丁寧に整理すること
- 「努力そのもの」を否定せずに、やり方を微調整し続けること
が必要なのだろう。
日本サッカーが、この試合から受け取れる問い
ジローナ対ヘタフェの一戦は、ラ・リーガの1試合に過ぎない。
しかし、その中には、日本の私たちがサッカーを見直すためのヒントがいくつも埋まっている。
例えば、次のような問いが浮かび上がる。
- ボールを持たない戦い方を、「逃げ」ではなく「戦略」として教えられているか
- 終盤の数分間をどうマネジメントするか、日々の練習で具体的に準備しているか
- 判定や不運のせいにする前に、自分たちが改善できる部分を探す文化があるか
- 経済的に苦しい中で加入した新戦力に、短期的な結果だけでなく、長期的な役割を期待できているか
プロの試合の話だ、と傍観者でいることもできる。
しかし、小学生の試合でも、中学生の大会でも、社会人リーグでも、本質的な部分は大きく変わらない。
残り1分で、どうプレーするか。
ボールを持てない時間に、どう戦うか。
新しい仲間が入ってきたとき、どう受け入れるか。
そして何より、悔しい結果をどう自分の中で意味づけるか。
ボルダラスとヘタフェの選手たちは、きっとまた次のホームゲームに向けて、気持ちを切り替えようとしている。
「清算するのは心だ」と監督が語ったように、彼らはまず頭と心を整理し、同じスタイルで、しかし少しだけ賢くなってピッチに戻ってくるはずだ。
あなたなら、どうこの「引き分け」を説明するだろうか
最後に、あらためて問いかけてみたい。
もし、あなたがヘタフェの一員だったとしたら、この試合をどう言葉にするだろうか。
「もったいない引き分け」なのか。
「成長につながる引き分け」なのか。
あるいは、「自分たちの道を信じるための証拠」なのか。
答えは一つではない。
ただ一つ言えるのは、サッカーが教えてくれるのは、勝ち負けの記録だけではないということだ。
残り数秒で生まれた1点が、チームの未来を変える。
そして、その未来をどう受け取るかを決めるのは、いつだってピッチに立つ人間たち自身だ。
勝点は二つ失ったかもしれない。
しかし、そこから何を学び取るかで、その日の試合は「ただの引き分け」にも、「次の勝利の始まり」にも変わっていく。
サッカーも人生も、最後の一歩で崩れることがある。
それでも歩みを止めない者だけが、その一歩先の景色を見ることができるのだろう。
| 局面 | 起きたこと | 取れた選択肢 | 評価 |
|---|---|---|---|
| ポゼッション戦術 | 意図的にボールを譲り守備秩序を保つ | 相手の好調を守備とカウンターで封じる設計 | ◎ 意図的選択 |
| 先制点獲得 | リードを奪いボセッリに決定機も作った | カウンターが機能した証拠 | ◎ 戦術通り |
| 終盤の失点 | アディショナルタイムに同点弾を許す | ボール保持やスローインで時間を使えたはずと監督が指摘 | △ 課題あり |
| 連続失点傾向 | ここ3試合連続で終盤にゴールを許している | 練習でラスト数分のゲームマネジメントを繰り返す | △ 改善が必要 |
| 新戦力の活用 | 冬加入の3人がスタメン、ルイス・バスケスが先制点を叩き込む | 経済的に厳しい中で即戦力+将来性を獲得 | ○ 成果あり |
- 「ボールを持たない戦い方」を戦略として選手に言語化して伝える — 「守備的」「消極的」ではなく「守備の秩序とカウンターで主導権を取る選択」と定義し、選手が納得できる言葉で説明する
- 試合終盤の数分間をゲームマネジメントとして練習に組み込む — ヘタフェが3試合連続で終盤失点している課題から学び、ラスト2分でボールを保持しながら時間を使う練習を週次で実施する
- 「判定より自分たちのプレーを完結させる」視点を敗戦後の分析に入れる — ボルダラスは判定への不満を最小化し「あの場面で自分たちがプレーを終えられたはずだ」と内省した。同じ視点を選手との振り返りに使う
- ボールを持たないチームが「何もしていない」わけではないことを観戦で確かめる — ヘタフェは意図的にポゼッションを譲り、守備ラインと距離感を整え、少ないチャンスに全集中した。その見えない努力を探して観るとサッカーの見方が変わる
- 終盤の数分で「どうプレーするか」がチームの成熟度を示すことを理解する — 同じ1失点でも「流れで失点」と「ゲームマネジメントが足りなくて失点」では次の試合への学びが異なる。わが子の試合でも終盤に注目する
- 「痛みを感じることが次の一歩の原動力になる」というボルダラスの言葉を持ち帰る — 負けた後、忘れるのではなく丁寧に見つめ直し、やり方を微調整し続けること。これはサッカー以外の場面でも使える姿勢
