プレシーズンの「判断」が秋を変える——ラツィオの逆転劇とヒールパスが教えてくれる、選手と指導者が今問い直すべきこと
Compartilhar esta coluna
かかとの先に宿るもの——プレシーズンの「選択」を読む
かかとでボールを流す。
それは、ほんの一瞬の出来事だ。
相手の重心が傾いた瞬間、体の向きとは逆方向へ、かかとでそっとボールを送り出す。
観客席からは歓声が上がるが、当の選手は表情ひとつ変えずにスプリントを続けている。
2026年夏のプレシーズン。
ラツィオがアスコリ・カルチョとの親善試合で、後半に劇的な逆転を演じたのは、そんな「かかと」が絡んだ場面から動き始めたとも言える。
結果だけを追えば2対1、逆転勝利という数字が残る。
しかしこの試合には、スコア以上に語りかけてくるものがあった。
「試されている」のは選手だけではない
プレシーズンというのは、不思議な時間だ。
公式記録には残らない。
勝敗はスタッツに刻まれない。
それでも選手たちは全力で走り、指導者は細部に目を凝らし続ける。
なぜか。
それは、この時期こそが「どんな選択をするか」が最もむき出しになる瞬間だからではないだろうか。
プレッシャーが少し緩んだ場所で、人は自分の本音に近い動きをする。
フェイエノールトがアタランタに2対1で勝利した一方、アタランタはその試合で力を出しきれなかった。
トリノはイングランドのバーンリーに乗り込み、デンベレのゴールで1対0の白星を手にした。
それぞれの結果に意味を見出そうとする気持ちはわかる。
だがこの時期の試合において、本当に問われているのは「スコア」よりも「判断のプロセス」ではないかと思う。
親善試合が映し出す「選手の内側」
バーンリー対トリノの試合を考えてみると、敵地でのアウェイゲームという環境がひとつの試練になる。
見知らぬスタジアム、異なる気候、整っていないコンディション。
そういう場面でどんな判断を下すか。
デンベレの決勝点が示したのは「結果を残した」ということではなく、「その場面で自分の判断を貫いた」ということだ。
もちろんそれが「正しかった」かどうかは、誰にも断言できない。
違う選択をしていても、もしかしたら同じ結果になったかもしれないし、まったく違う展開になっていたかもしれない。
ただ言えるのは、その瞬間に「自分で選んだ」という事実だけだ。
逆転の構造——ラツィオが問いかけるもの
ラツィオがアスコリ相手に逆転した場面に話を戻したい。
先制されるという状況は、どんな選手にとっても心理的に重い。
「焦らずにいこう」と声をかけ合っても、足が急ぎ始める。
パスがひとつ速くなる。
判断が少しだけ雑になる。
それが人間というものだ。
逆転を演じたラツィオの選手たちが、その時間にどんな思考をしていたか、外からはわからない。
ただ、「かかとで流す」という選択が生まれたとすれば、それは焦りの中で「簡単な道」を選ばなかった瞬間とも言える。
かかとを使うプレーは、リスクが高い。
ミスをすれば批判される。
それでもその選択が生まれたのは、局面を読んだ末の確信があったからではないか。
もしくは、長年の反復の中で体が先に答えを出したのかもしれない。
どちらにせよ、「選んだ」という事実がそこにある。
| 試合 | 状況・環境 | 注目の判断 | 評価 |
|---|---|---|---|
| ラツィオvsアスコリ | 先制された後半 | かかとのキックから逆転へ | ◎ リスクを選んだ |
| トリノvsバーンリー(アウェー) | 見知らぬスタジアム・異環境 | デンベレが判断を貫いて決勝点 | ○ 自分を信じた |
| フェイエノールトvsアタランタ | 互いに可能性を試す場 | フェイエノールトが2対1で勝利 | ○ 主導権を握った |
| カリャーリU-20vsユニオン・ベルリン | 格上・アウェー・初対面の強度 | 3-0の完勝 | ◎ 若い世代の判断 |
| ウディネーゼvsトラブゾンスポル | 格上相手のアウェー | 0対1の敗戦 | △ 課題が表面化した |
結果が出ない時間に何を手放さないか
今回の一連のプレシーズンマッチの中で、うまくいかなかったクラブもある。
ウディネーゼはトラブゾンスポルに0対1で敗れた。
アタランタもフェイエノールトに屈した。
では、それは「失敗」なのだろうか。
準備期間の中で課題が見えたという見方もできる。
苦しい状況で何を選択するかが問われたとも言える。
大事なのは、うまくいかなかった時間に「何を手放してしまうか」だと思う。
自分の強みを手放してしまうのか。
チームとしての約束事を手放してしまうのか。
それとも、苦しい時間でも「これだけは譲らない」という軸を持ち続けられるのか。
プレシーズンは、その軸があるかどうかを確かめるための時間でもある。
日本の育成に引き寄せて考える
これはイタリアやオランダの話だけではない。
日本のグラウンドでも、同じことは毎日起きている。
練習試合で負けた後、コーチから「なぜあそこでパスを選んだんだ」と問われた経験を持つ選手は多いだろう。
あるいは逆に、「なんで自分でいかなかったんだ」と言われたこともあるかもしれない。
どちらの問いが正しいかは、場面によって変わる。
大切なのは、その問いに対して「自分はこう考えていた」と言える根拠があるかどうかだ。
ミスをしても、「あの判断はこういう理由でした」と語れる選手と、「なんとなくそうした」としか言えない選手では、成長の速度がまったく違う。
これはプロの話ではなく、育成年代の話でもある。
ラツィオの選手がかかとでボールを送った瞬間と、小学校のグラウンドで初めてヒールパスを試みた少年の瞬間は、本質的には同じ構造を持っている。
「やってみよう」と決断した、その一歩。
- スコアより「選択のプロセス」を観る — 結果ではなく、選手が何を考えて判断したかを問い続ける習慣をこの時期に養う
- リスクある選択を褒める準備をする — ヒールパスが生まれる環境には「失敗しても責めない」という土壌がある。言葉で作る
- 課題が出た試合を「失敗」と見ない — プレシーズンの敗戦は情報。何が見え、秋にどう変えるかを選手と一緒に言語化する
指導者が「答えを言いたがる」理由
もうひとつ考えたいのが、指導者の立場だ。
プレシーズンのような「答えが出づらい時間」に、指導者はどう振る舞うべきか。
結果がないぶん、細かな修正を言い続けたくなる。
「もっとこうしろ」「なぜそこにいる」「そのタイミングじゃない」。
言葉は親切心から出ているとしても、それが選手の思考を止めてしまうことがある。
自分で考える前に答えが来てしまう。
その繰り返しが、「ミスを恐れて判断できない選手」を生み出す土壌になることもある。
フェイエノールトがアタランタに勝てたのは、スコアの話として見ればシンプルだ。
しかし、その中で選手たちがどんな判断をし、指導者がどこまで選手の判断に委ねていたか。
そういう視点でプレシーズンを眺めると、また違う景色が見えてくる。
まだシーズンは始まっていない——だからこそ
公式戦はまだ先だ。
ここで出た結果は、シーズンの行方を決めるものではない。
ただ、「この時期に何を積み上げたか」は、必ず秋の試合に影響してくる。
アタランタが今夏にエル・ビラル・トゥーレをパルマへ放出しようとしている動きがある。
ローマのダイバラ問題も、ガスペリーニが関わる話として浮上してきた。
ユベントスは新しいホームキットを発表した。
クラブというものは、試合の外でも絶えず「選択」を迫られている。
選手の去就、戦術の方向性、チームの文化。
そのひとつひとつが、グラウンドでの判断と地続きになっている。
かかとのパス一本も、移籍交渉の一幕も、源泉にあるのは「どう考えて、何を選ぶか」という問いだ。
- プレッシャーが少ない今こそ「自分がやってみたい選択」を試す絶好の機会。失敗は情報、成功はギフト
- ヒールパスは技術だが、それ以上に「その選択を選んだ判断力」が大切。普段から状況を読む練習を意識的に行う
- 親として子どもに伝えること:「結果じゃなくて、なぜそうしたか」を聞く。答えが出なくても問いを持つことが成長につながる
選手に問いたいこと、保護者に伝えたいこと
もしあなたが選手なら、今のこの時期に自分に問いかけてほしいことがある。
- 今日の練習で、自分の意志で選んだプレーはいくつあったか
- ミスをした場面で、自分はなぜその判断をしたのか説明できるか
- 指示を待たずに動いた瞬間があったか
もしあなたが保護者なら、試合後に「なぜあそこでそうしたの?」と問いかけてみてほしい。
責めるためではなく、純粋に聞く。
「よくわからない」と答えたとしても、それでいい。
大事なのは、「自分の行動を振り返る習慣」を育てることだから。
ラツィオの選手がかかとを使った瞬間には、長い年月の積み重ねがある。
その起点は、きっとどこかのグラウンドで「やってみよう」と思った、名もなき瞬間だったはずだ。
問いだけを、ここに残す
プレシーズンの結果は流れていく。
スコアは記憶に薄く刻まれ、やがて上書きされる。
それでも、そこで選手が下した判断の積み重ねは、体と頭の中に静かに蓄積されていく。
あなたは今日、グラウンドで何を選んだだろうか。
そしてその選択の前に、一秒でも「考えた」という時間があっただろうか。
サッカーが本当に面白くなるのは、答えが出た瞬間ではなく、どう選ぶかを迷っている、その濃密な時間の中にあるのかもしれない。
後に日本代表に選ばれることになる選手たちと、ジュニアユースからユースまでの時期、同じピッチでボールを蹴っていた。その頃から気になっていたのは、「上手い選手」と「判断が速い選手」は、必ずしも同じではないということだ。プレシーズンという、焦らなくていい時間の中でこそ、その違いが表れてくる場面を何度も見た。
皆さんが関わってきた選手たちがそうだったとは限らない。ただ、一度だけ思い浮かべてみてほしい。あなたのそばにいた選手は、「自分で選ぶ」ことができていただろうか。
