レッチェがミラン戦で示した「どこで失うか」を選ぶ勇気と、答えを急がないサッカーの見方
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「ロングボールか、つなぐか」ではなく、「いま、何を守りたいか」

ミランとの一戦で、レッチェのゴールキーパー、ファルコーネは何度も同じ風景を見ていました。
自陣ペナルティエリアの少し前でボールを止める。
前ではミランの前線が一斉に矢印を向けてくる。
センターバック、サイドバックはパスコースを探しながら、でも背中には自陣ゴール。
そのたびに、ファルコーネは最後にこう選ぶ場面が目立ちました。
大きく、右サイドへ蹴り出す。
安全なエリアへ、できるだけ自分のゴールから遠くへ。
「つなぐか」「蹴るか」という単純な二択に見えるこの場面の裏には、監督エウゼビオ・ディ・フランチェスコの考えと、選手たちの迷いと、そして「何を優先するか」というチームとしての選択が、静かに折り重なっていました。
レッチェが選んだ「リスクの置き場所」
ボールを失うなら、どこで失うか
この試合でのレッチェは、4-3-3をベースにしながら、ビルドアップでは二つの顔を見せていました。
一つは、ファルコーネからセンターバック、サイドバックへとつなぐ、落ち着いた構築。
もう一つは、前線やサイドの高い位置へ、縦に速くボールを送り込むダイレクトな攻撃。
ミランの前線からのプレッシングは激しく、しかも整理されていました。
数回、レッチェは下からつなぐ選択をしますが、うまくプレスを外せない。
後ろ向きのパス、横パスが続き、最後は苦し紛れに蹴り出すか、自陣に近い危険な位置でボールを失う。
そこで、レッチェははっきりと一つの方針に寄せていきます。
「ボールを失うなら、できるだけ相手ゴールに近い場所で」
だからこそ、縦へのロングボールが増えていきました。
ただし、それは「つなぐ勇気がない」からではなく、「リスクの置き場所を変える」決断でもありました。
| 観点 | つなぐ(ショートパス) | ロングボール | 評価 |
|---|---|---|---|
| リスクの場所 | 自陣深く | 相手陣地側 | ◎ロング有利 |
| 技術要求 | 高い(パス精度) | 中程度(蹴り分け) | ○状況依存 |
| チームへの信頼感 | ビルドアップ重視を体現 | 実利・生存優先 | △哲学差 |
| 相手プレス回避 | コンビネーション必要 | 1本で脱出可能 | ◎ロング有利 |
| セカンドボール回収 | 近くの味方がいる | 数的不利になりやすい | △ロング不利 |
ロングボールも「逃げ」だけではない
レッチェの守備陣は、技術的にはボールをつなぐ能力を持っています。
センターバックのガスパルは、縦パスやロングキックの精度に特徴がありますし、サイドバックのベイガも足元の技術は悪くない。
にもかかわらず、この試合での選択は「つなぎ続ける」よりも「前へ送る」方向に傾きました。
そこには、相手がミランであるという現実があります。
自陣の深い位置で失えば、一気にゴール前まで迫られる。
だからこそ、ボール保持の美しさよりも、「失ったときにどれだけ守れるか」を優先したとも言えます。
一見シンプルで、時に雑にも見えるロングボール。
しかし、その裏には「何を捨てて、何を守るか」という、チームとしての価値観がにじんでいました。
もし自分がセンターバックで、目の前にミランのプレスが迫っていたらどうするでしょうか。
技術に自信があっても、「このエリアで失ったら終わる」と直感したとき、つなぐ決断を貫けるか。
あるいは、一度は前に蹴る選択をして、そこからまた考え直すか。
動き続ける中盤、止まりがちな選択肢
- リスクの置き場所を設定する — 練習前に「今日はどこでボールを失っていいか」をチームで共有し、判断基準を明確にする
- ロングボール後のセカンドボール回収を設計する — 前に蹴る場面を「逃げ」ではなく「設計」として扱い、誰がどこでセカンドを拾うかを約束事にする
- 「なぜその選択をしたか」を試合後に問いかける — ミスではなく判断プロセスに焦点を当てた振り返りで、選手の自己決定力を育てる
ボールは動いているのに、パスコースが増えない理由
レッチェの中盤、カバ、ラマダニ、クリバリたちは、全員がよく走る選手です。
運動量もあり、ボールを持てば長短のパスも蹴れる。
それでもこの試合、彼らが後ろからのビルドアップの“出口”になる場面は多くありませんでした。
ボールを持ったセンターバックやサイドバックから見ると、前線の選手は動いているようで、パスを通せる場所にはいない。
近くに寄ってはくるけれど、相手の背後や、ライン間で「フリーになれる位置」に顔を出す回数は多くない。
結果として、選択肢はこうなります。
- 横に出す(プレッシングに追い詰められる)
- 後ろに戻す(さらにプレスが来る)
- 前に蹴る(味方が不利な状況でも)
どれも「完璧」ではありません。
でも、誰かが責任を引き受けて、新しいラインを開かなければ、選択肢は増えないままです。
中盤の選手が、あえてリスクのあるポケットに顔を出すのか。
それとも、安全な位置に残って、セカンドボール狙いに徹するのか。
走りながら、周囲を見ながら、そのたびに選び直す必要があります。
同じ「よく走る中盤」でも、その走りが「ボールを持っている味方にとって、どんな意味があるか」で、チームの姿は変わっていきます。
- ロングボールを「逃げ」と決めつけない — キーパーや最終ラインが大きく蹴った場面で「なぜそこで蹴ったか」を想像すると、試合の見え方が立体的になる
- パスコースを作る動き出しに注目する — 中盤の選手がライン間や相手の背後に顔を出せているかを観察すると、ビルドアップが機能する理由が見えてくる
- 自分のプレーの「理由」を言葉にする習慣をつける — 試合後に「あのシーン、なぜそう選んだか」を1文で表現する練習が判断力を高める
「約束事」と「その場のひらめき」のあいだで
右サイドでは、ときどき面白い連携が見られました。
カバが外へ流れ、ピエロッティが内側に入る。
サイドバックとのトライアングルで、瞬間的に優位を作り出す。
ただ、それが「いつ」「何のサインで」起こるのかが、まだちぐはぐな場面も多かった。
良い形になりそうで、タイミングがずれ、相手に読まれてしまう。
「形」は見えているのに、「それを使うタイミング」がそろわない。
これは、どのカテゴリーでも起こりうることかもしれません。
練習で決めた約束事をなぞるだけでは、相手のプレッシャーの強さや、試合展開の流れには対応しきれない。
かといって、全てを自由に任せれば、バラバラになってしまう危険もある。
選手一人ひとりが、「今はパターンどおりにやるべきか」「それとも崩して違う選択をすべきか」を、その場で判断していくしかありません。
もし自分がカバの立場ならどう考えるでしょうか。
監督が用意した形を信じて走り続けるか。
それとも、ピエロッティやサイドバックとアイコンタクトを取りながら、「今日のミランには、このやり方は通用しない」と感じたときに、別の動きを提案するのか。
ゴール前で生まれる「一歩」と「ためらい」
打てるのに打てない、その一瞬の迷い
レッチェはミランのエリア付近までは、何度かボールを運ぶことができていました。
ミドルシュートを狙えそうな位置にカバやラマダニが立ち、サイドからモレンテやピエロッティが仕掛ける。
ところが、シュートで終わる場面は多くありません。
スペースがわずかに見えても、ボールをもう一度コントロールしてしまう。
ドリブルで、あるいはパスで、もう一歩、ゴールに近づこうとしてしまう。
その刹那に、ミランの足が伸びてきて、二人目、三人目のプレッシャーが襲いかかる。
「打てるかもしれない」では、ほんの少し遅い。
「打つ」と決めて動き出す、そのわずかな差が、ゴール前では大きく結果に響きます。
選手たちは、ゴールに近づきたい気持ちと、シュートをブロックされる怖さのあいだで、常に揺れていたはずです。
安全にパスをつなぐか。
リスクを承知でシュートを選ぶか。
その決断を「自分で引き受ける」覚悟があるかどうか。
数的不利の中で、何を優先するか
クロスが上がる時、エリア内でしっかりタイミングよく飛び込んでいたのは、ほとんどがセンターフォワードのカマルダでした。
中盤の選手たちも遅れてエリアに顔を出しますが、ワンテンポずつ遅く、常にミランの守備陣に囲まれてしまう。
2人対4人、あるいは2人対5人のような構図が続きます。
そこで、選択肢はいくつも考えられます。
- あえてクロスの回数を減らし、ペナルティエリア外で崩す
- 中盤の一人を、常に「セカンドボール専門」に残す
- サイドで数的優位を作り直し、クロスの質を変える
レッチェは、その中で「とりあえずエリアにボールを入れる」場面が多くなりました。
これは決して雑な選択とは言い切れません。
ただ、相手がミランであり、自分たちの中に「何人エリアに入るのか」「誰がどこに落ちてくるボールを拾うのか」といった共通認識がどれだけあったかを想像すると、そこにはまだ余白があったように感じられます。
自分が中盤の選手なら、どの優先順位を選ぶでしょうか。
「まずエリアに人数をかける」か。
「こぼれ球を拾う役割に徹して、二次攻撃を狙う」か。
チームとして一つだけが正解ではなく、相手や時間帯で変わるかもしれません。
でも、ピッチの中にいる11人が、それぞれどんな考えでその場所に立っているかで、同じクロスでも意味はまるで変わってきます。
守るときに見える「激しさ」と「整わなさ」
前から奪いにいく、その代償
ディ・フランチェスコは、守備でもアグレッシブさを求めています。
ミラン戦でも、カマルダが最初のスイッチとなり、サイドのモレンテやピエロッティが高い位置に飛び出していく場面が何度もありました。
狙いはシンプルです。
相手が後ろからつなぐ段階で、少ないパスでボールを奪い返す。
ただ、この試合では、その「前の激しさ」と「後ろの整い方」がうまく噛み合いませんでした。
前線がスイッチを入れても、中盤や最終ラインの押し上げが一歩遅れる。
ライン間の距離が広がり、パスコースが生まれてしまう。
カバーに出る中盤も、ボールを奪いきった後の「次のプレー」までは整理しきれていない。
セカンドボールを拾っても、またすぐに前に蹴ってしまい、結局はミランにボールを預けてしまう。
「前から奪いに行く」という勇気ある選択をしたからこそ、より一層問われるのは、ボールを奪った後にどうするかという部分です。
もし自分が監督で、「高い位置からのプレッシング」を選んだなら。
その先の2手、3手をどうデザインするでしょうか。
奪った場所、奪った選手によって、どんな共通ルールを作るのか。
ラインを上げるか、下げるか、それとも…
レッチェの守備には、もう一つのジレンマがありました。
ボールを失った瞬間、一度は素早くプレッシャーに行くものの、全体としては中〜低い位置に戻ってブロックを作る意識も強い。
つまり、「すぐ奪い返す」のか「一度下がって守る」のか、その間で揺れているような姿です。
センターバックのガスパルは、対人では力強く、前に出て潰す守備も得意です。
しかし、彼が前に飛び出した背後を誰が埋めるのか。
サイドバックが出ていったスペースを、中盤がどこまでカバーするのか。
一人ひとりの激しさと、四人、五人で守るときの「線」のイメージが、まだ完全には一致していないように見えました。
どのカテゴリーであっても、守備の場面では「足を出す勇気」と「出さない我慢」が同時に求められます。
ボールに行くのか、スペースを消すのか。
自分はどちらのタイプか。
そして、その自分の特性をチームの中でどう活かすのか。
イタリアの一試合から、日本のグラウンドを思い浮かべる

「ロングボール=悪」でも、「つなぐ=正義」でもない
日本の育成年代では、「大きく蹴るな」「つなぎなさい」と指導される場面は少なくありません。
確かに、ボールを保持しながら前進することを学ぶのは、技術や判断を伸ばす上でとても大切です。
一方で、レッチェ対ミランのような試合を見ていると、「ロングボールを選ぶこと」自体を単純に否定できない現実も見えてきます。
相手の強度、自分たちの状態、試合の流れ。
それらを天秤にかけた結果として、「今日はここで失うより、前で失おう」と決める試合もある。
重要なのは、「なぜ、その選択をしたか」を選手自身やチームが説明できるかどうかです。
それが、ただの「苦し紛れ」だったのか。
あるいは、「自分たちが生き残るための、意図ある妥協」だったのか。
日本のグラウンドでも、同じ問いは立ち上がります。
ゴールキーパーが迷った末にロングキックを選んだとき。
センターバックが、ビルドアップよりもクリアを選んだとき。
その選択をどう受け止めるか。
「怖がって蹴った」のか、「チームを守るために蹴った」のか。
次に同じ場面が来たとき、本人が自分で選び直せる余白が残されているか。
「うまくいかなかった試合」から、何を拾うか
この日のレッチェは、多くの場面でうまくいきませんでした。
前からのプレッシングはミランに外され、中盤の動きは活かされきらず、ゴール前ではためらいが目立ちました。
シュート数も少なく、結果だけ見れば、課題ばかりが並ぶ試合です。
ただ、だからこそ見えてくるものもあります。
- プレッシャーの中で、どの選手がどんなリスクを選んだのか
- 決められた形を守ることと、その場で変えることのバランス
- 「もう一歩前へ」踏み出せなかったときの、心の揺れ
うまくいかない試合は、原因を一言で語りたくなります。
「ロングボールが多すぎたから負けた」
「シュートを打たなかったからダメだった」
でも、その一言で片づけてしまうと、そこで選ばれていた細かな判断や、選手たちの葛藤は見えなくなってしまいます。
むしろ、「なぜロングボールが多くなったのか」「なぜシュートを打てなかったのか」と問い直していくことで、次に選べる選択肢が増えていくのかもしれません。
答えを急がないサッカーの見方
自分なら、どこで、何を選ぶか
レッチェとミランの試合を振り返るとき、「どちらが強いか」「どちらの戦い方が正しいか」という議論もできます。
けれど、もう少しだけ視点を変えてみると、別の問いが浮かび上がってきます。
- 自分がファルコーネなら、このプレスの中で何を選ぶか
- 自分がカバなら、右サイドでどんな位置取りを提案するか
- 自分がカマルダなら、数的不利のエリアでどう存在感を出すか
試合を見ながら、あるいは自分がプレーした試合を思い返しながら、「あの場面、他にどんな選択肢があっただろう」と立ち止まってみる。
その時間が、選手にとっても、保護者や指導者にとっても、サッカーを少しだけ違う角度から味わうきっかけになるはずです。
正解を決めつけないまま、でも考えることをやめない。
レッチェの一試合には、そんなサッカーとの付き合い方を問いかけてくる要素が、確かに詰まっていました。
ピッチの上で揺れ動く一つひとつの選択に、すぐに答えを貼りつけてしまわずに、ただ「自分ならどうするか」を静かにたぐり寄せてみる。
その繰り返しが、プレーにも、チーム作りにも、そしてサッカーを楽しむ目線にも、少しずつ深さを与えてくれるのかもしれません。
