レアル・マドリードの危機とエムバペ「4番手問題」から学ぶ、育成年代の選手・保護者・指導者のための「選ぶ力」
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4番手と言われたエースと、ブーイングのスタジアムで問われる「選ぶ力」

キリアン・エムバペがタッチラインに立った瞬間、サンティアゴ・ベルナベウには拍手ではなく、冷たい音が響いた。
ブーイング。
それでも彼は、少し笑ってピッチに入っていった。
この日、レアル・マドリードはオビエドに2−0で勝利している。
スコアだけ見れば、何も問題がない試合にも見える。
しかし、その裏側では、選手と監督、選手同士、クラブとサポーターの関係が大きく揺れていた。
そして、その真ん中に、エムバペという一人のストライカーが立たされていた。
「4番目のFW」と告げられたエース
エムバペはこの試合、ベンチスタートだった。
ピッチに立ったのは後半24分。
交代で送り出されたのは、ゴンサロ・ガルシア。
試合後、エムバペは、アルバロ・アルベロア監督から「君は今、4番目のFWだ」と伝えられていたことを明かしている。
自分はフィジカル的にもメンタル的にも問題なく、先発する準備はできていたとも語っていた。
それでも、監督は別の選択をした。
その理由は、彼自身にも、外から見ている私たちにも、すべては分からない。
ただ一つ分かるのは、「世界的スター」であっても、「4番手」と告げられることがある、ということだ。
もし自分がエムバペの立場なら、どう感じるだろうか。
代表でもクラブでも中心に扱われるのが当たり前のような選手が、いきなり「4番目」と言われる。
納得できるだろうか。
それとも、納得できないまま、表面だけ受け入れるのだろうか。
エムバペは「監督の決断は尊重する。与えられた時間でプレーする」と言葉にしていた。
この「受け入れる」という言葉の裏側には、どんな感情が渦巻いているのか。
悔しさ、怒り、不安、プライド。
それらをすべて抱えたまま、「じゃあ、その中で何を選ぶのか」が問われているように見える。
| 場面 | 選手の選び方 | 周囲(保護者・指導者)の選び方 | 問いの深さ |
|---|---|---|---|
| エースがベンチに回された日 | プライドを優先するか、役割を引き受けるか | 怒りに同調するか、状況を一緒にたどるか | ◎ 継承(普遍テーマ) |
| スタジアム/会場でブーイングを浴びた瞬間 | 個人攻撃と受け取るか、別の不満の表現と捉えるか | 守りすぎるか、揺れごと受け止めるか | ○ 柔軟化 |
| 監督から「優先度は低い」と告げられた直後 | 感情のまま反発するか、根拠を想像するか | 監督批判で終わるか、子どもと一緒に考えるか | ◎ 継承 |
| チームが結果を出せない時期 | 誰かを責める言葉を選ぶか、自分に矢印を向けるか | 陰口の輪に入るか、別の出口を作るか | △ 変化(環境依存) |
| 「4番手」と告げられた立ち位置 | ゴールにするか、出発点にするか | あきらめさせるか、次の一歩を待つか | ◎ |
ブーイングの中でピッチに入るという選択
エムバペに向けられていたのは、監督からの評価だけではない。
ベルナベウのスタンドから響いたのは、多くのブーイングだった。
レアル・マドリードは、ここ2シーズン、大きなタイトルから遠ざかっている。
リーグではバルセロナに優勝を奪われ、チャンピオンズリーグも準々決勝で敗退。
チーム内では、アントニオ・リュディガーとパウ・カレラス、オーレリアン・チュアメニとフェデリコ・バルベルデの間での衝突も報じられた。
ロッカールームの空気も決して穏やかではない。
そこにやって来たのが、期待と批判を同時に背負うビッグネーム、エムバペだった。
期待された結果がすぐに出ないとき、サポーターが不満をぶつける先は分かりやすい。
エースと見なされる選手。
高額な契約を結んだ選手。
象徴的な存在。
その一人が今、エムバペだ。
彼はブーイングについて、「人々が怒っているとき、その感情を変えることはできない」と話している。
「個人攻撃と受け取る必要はない」とも捉えているようだ。
ここにも一つの「選択」がある。
同じ音を、「自分を否定する声」と捉えるのか。
「チームに対する不満の表現」と捉えるのか。
どちらを選ぶかで、次に起こす行動も、おそらく変わってくる。
もし自分なら、サポーターの怒りや失望を、自分一人に向けられたものだと受け止めてしまうかもしれない。
プレーが消極的になったり、ミスを過剰に怖がったり。
逆に、反発するように、無理なプレーを選択してしまうこともあるかもしれない。
ブーイングの中で、笑ってプレーを選ぶ。
それが「正しい」のか「間違い」なのかは分からない。
ただ、その一瞬の表情も、彼なりの「どう受け取るか」の答えの一つなのだろう。
- 序列を伝えるときに理由を一緒に渡す — 「君は今この位置」だけでなく、戦術・コンディション・将来像のうちどれが軸かを言葉にする
- 外した選手とロッカールームの外で短く話す — 不満を聞く場ではなく、次に何を見るかを共有する5分を取る
- 「うまくいかない時期の振る舞い」を評価軸に入れる — 出場時間だけでなく、外されたときの態度・声かけ・準備姿勢を観察対象にする
監督もまた、難しい「優先順位」を突きつけられている
一方で、アルベロア監督も、簡単ではない選択を迫られている。
チームは大きなプレッシャーの中にあり、結果も、クラブの将来像も問われている。
その中で、スター選手をどう扱うか。
どの選手を信じてピッチに送り出すか。
エムバペを「4番手」と告げた判断の背景には、様々な要素が絡んでいるはずだ。
- 戦術的なフィット
- コンディションの評価
- 守備での献身度
- ロッカールームのバランス
- クラブの方針や将来を見据えた起用
外からは、どれがどの程度の比重を占めているかは見えない。
ただ、「スターだから優先的に使う」という単純なロジックでは動いていないことだけは確かだ。
監督の仕事は、「誰を外すか」を決め続ける仕事でもある。
同じポジションに4人の有力なFWがいれば、3人を出して、1人をベンチに置かなければならない。
その1人が、世界でも指折りのストライカーであったとしても。
もし自分が指導者で、チーム内にスター選手と、今まさに伸びてきている若手、そしてチームのために走り続ける選手がいたとしたら、誰を選ぶだろうか。
クラブの方針を優先するのか。
目の前の結果を取りにいくのか。
ロッカールームの空気を安定させることを最優先にするのか。
どこに軸を置くかによって、「ベンチに座るのは誰か」が変わってしまう。
アルベロアの決断が正しかったかどうかを、ここで断定することはできない。
ただ一つ、監督もまた「すべてを満足させることはできない」という現実の中で、選ばざるを得なかったのだろう。
- 「なぜ自分は使われていないのか」を感情と分けて言葉にする — 監督の視点を一度想像してから、自分のプレーを言葉で説明してみる
- 外された日の言葉と行動を、自分で選び直す — 誰かを責める言葉に流されず、次の練習で何を見せるかを一つ決める
- 保護者は「監督が悪い」で会話を閉じない — 「今の環境で子どもは何を学べるか」を一度立ち止まって考えてみる
チームの「危機」は、選手に何を突きつけるのか
このレアル・マドリードの状況は、「チームがうまくいっていないときに、何が起こるのか」を、分かりやすく映し出している。
内部の衝突、選手同士のケンカ、メディアへの情報の流出、サポーターの不満、会長への批判。
その全部が絡み合って、「危機」と呼ばれている。
けれど、危機のときこそ、一人一人の「選び方」が浮かび上がる。
- 感情的な対立をそのままぶつけるのか、それとも、別の形でエネルギーを使うのか
- メディアに自分の不満を漏らすのか、中で向き合おうとするのか
- 誰かを責める言葉を選ぶのか、自分に矢印を向ける言葉を選ぶのか
完璧な人間はいない。
プロの選手たちも、感情を持った一人の人として、揺れながら選択している。
日本の育成年代でも、チームが勝てていないとき、似たようなことは起こりやすい。
- 誰かのミスをきっかけに、責任を押し付ける空気になる
- 監督やコーチの采配への不満が、陰口として広がっていく
- プレーよりも、ポジション争いの感情が前に出てしまう
そんなとき、選手一人一人、保護者、指導者は、どんな言葉を選ぶだろうか。
どんな行動を選ぶだろうか。
「うまくいっていないチームの中で、どうふるまうか」という問いは、戦術よりも、テクニックよりも、難しいテーマなのかもしれない。
日本では、この状況をどう受け取るか
日本のサッカーを見るとき、スター選手がチームの中でどんな扱いを受けるか、という視点はそれほど強くないかもしれない。
どちらかと言えば、「チームの和」「組織としてのまとまり」が重視される文化が強い。
だからこそ、今回のレアル・マドリードのように、スター選手に厳しい声が飛び、内部のケンカが表面化する状況を見ると、少し距離を感じる人もいるかもしれない。
けれど、根っこにあるのは、それほど違わないのではないだろうか。
例えば、日本でもこんなことはないだろうか。
- 「あの子はエースだから、絶対に出る」と思っていた選手が、ベンチに座る
- 監督の評価が、自分のセルフイメージと大きくズレる
- 親として、わが子が試合に出られないことに、納得がいかない
そのとき、どう考えるか。
何を選ぶか。
選手なら、「なぜ使われていないのか」を、ただ感情だけで捉えるのか。
それとも、自分のプレーを言語化しながら、監督の視点も想像しようとするのか。
保護者なら、「監督が悪い」と決めつけるのか。
それとも、「今の環境の中で、子どもは何を学べるだろう」と、一度立ち止まるのか。
指導者なら、「不満を持つ選手は切り捨てる」のか。
それとも、「なぜ彼はそう感じるのか」を聞きとりながら、それでもチームのための決断をするのか。
正解は一つではない。
ただ、「どうして、その言葉を選んだのか」「なぜ、その行動を取ったのか」を、自分で説明できるかどうか。
そこに、サッカーを通じて育つ力があるように思う。
「4番手」から、何を始めるか

話をエムバペに戻す。
世界のトップに立つような選手であっても、「4番目だ」と言われる瞬間がある。
大観衆のブーイングを浴びて、笑いながらピッチに立つしかない夜がある。
そのときに問われるのは、「自分は本当はどうなりたいのか」という、ごくシンプルで、ごまかしのきかない問いかもしれない。
レギュラーに戻りたいのか。
このクラブでタイトルを取りたいのか。
それとも、自分のプライドを守ることが一番なのか。
彼は、「もう一度スタメンを取り戻すためにハードワークする」と示している。
それがどんな形で表れるのかは、まだ誰にも分からない。
けれど、「4番手」と告げられた地点をゴールではなく、出発点にできるかどうか。
そこに選手としての分かれ道があるのかもしれない。
同じように、自分自身のサッカー人生を振り返ってみることもできる。
- スタメンから外された日、自分は何を選んだか
- 監督に厳しい言葉をかけられたとき、その言葉をどう受け取ったか
- チームがうまくいっていないとき、誰に矢印を向けていたか
あの日に戻れるなら、同じ選択をするだろうか。
それとも、別の選び方をしてみたいだろうか。
答えを急がないことから始まるサッカー
レアル・マドリードの危機を、外から見ている私たちは、とかく「誰が悪いのか」を決めたくなる。
監督の起用なのか。
エムバペの振る舞いなのか。
クラブの経営なのか。
けれど、「誰か一人のせい」にしてしまった瞬間、そこで考えることは止まってしまう。
本当は、選手一人一人が、監督が、クラブが、サポーターが、それぞれの立場で難しい選択をしている。
うまくいった選択もあれば、うまくいかなかったものもある。
その積み重ねの結果として、今の「危機」がある。
そう捉えたときに初めて、「じゃあ、自分なら、どんな選択をしてみたいか」を静かに考え始めることができるのではないだろうか。
スタジアムの中でも、地方のグラウンドでも、学校の校庭でも。
サッカーをしている場所には、必ず、誰かの決断と、誰かの迷いと、誰かの悔しさが重なっている。
その一つ一つに、すぐに答えを出そうとせず、「なぜ、そうなったのか」をたどってみる。
その時間こそが、サッカーを少しだけ深くしてくれるのかもしれない。
エムバペに向けられたブーイングも、「4番手」という言葉も、ひとつのドラマの一部にすぎない。
この続きがどんな物語になるのか。
それを見届けながら、自分自身の次の一歩を、ゆっくり選んでいきたい。
後に代表に呼ばれることになる選手たちと、ジュニアユースからユースまでの時期、同じピッチでボールを蹴っていた時期がある。そこで見えていたのは、序列を告げられた日に表情を変えなかった人間ほど、次の練習の最初の10分でボールに対する触り方が静かに変わっていく、という長い時間のなかでしか確かめられない感触だった。
もちろん、皆さんの近くにいる選手や子どもが、同じように整理できる時間を持っているとは限らない。ただ、「あの日、序列を告げられたあと、次にピッチに立ったときに何を最初にしていたか」を、少しだけ思い浮かべてみてほしい。
