ユベントス対ラツィオに見る「正解のない采配」とサッカーを深く味わう視点
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ユベントス対ラツィオ、「24節の一試合」を超えた90分

2月8日、トリノのアリアンツ・スタジアム。 24節の一試合として組まれたユベントス対ラツィオは、スケジュール表の上ではただの「20:45キックオフの試合」にすぎません。 しかし、そのピッチに立つ選手や指揮官にとっては、ずっと別の時間が流れています。
コッパ・イタリアでアタランタに敗れ、カップ戦から姿を消したばかりのユベントス。 一方で、リーグ戦ではパルマに4−1と快勝した直後でもあります。 同じチームなのに、数日の間に「敗退」と「大勝」という、まったく違う感情を行き来している。
対するラツィオは、クラブを取り巻く環境面の問題を抱えながらも、前節はジェノアに3−2で勝利。 ただし、エース格の一人であるザッカーニを欠き、前線の組み立てをやり直さなければならない状況です。
そのなかでモーリツィオ・サッリは、ダニエル・マルディーニを「偽9番」として起用する選択肢を残しつつ、ペドロとラトコフをどう使うかを考えています。 ルチアーノ・スパレッティもまた、ユルマズ・ユルディズの起用を迷い、前線ではジョナサン・デイヴィッドとロイス・オペンダのどちらを先発にするのか、最後の最後まで天秤にかけています。
ここには、結果だけでは見えてこない「考え」と「選択」の積み重ねがあります。
4−1のあとに何を優先するか──スパレッティの迷い方
勝った試合の「正解」をなぞるか、あえて変えるか
パルマに4−1で勝利したあと、ユベントスが次の試合に臨むとしたら、あなたならどう考えるでしょうか。
多くの人がまず思い浮かべるのは、前節の内容を「なぞる」ことかもしれません。 うまくいったメンバーと戦い方を、もう一度そのまま出す。 選手も指導者も、そこには安心感があります。
ところが、スパレッティの前にある現実はもっと複雑です。
- コッパ・イタリアでの敗退という「傷」
- リーグ戦での上位争いを続けるプレッシャー
- ザッカーニ不在のラツィオが、どんな形で出てくるか読みにくいこと
- 自分のチーム内で、ユルディズやボガといった新しい選択肢が育ちつつあること
「前回うまくいったから、また同じでいい」とは、簡単には言い切れない材料が揃っています。 完勝の記憶を信じるのか、敗退の痛みから何かを変えるのか。
スパレッティは結局、4−2−3−1という形で、ディ・グレゴリオ、カリュル、ブレーメル、ケリー、カンビアーゾを並べ、ロカテッリとトゥラムをダブルボランチに据えます。 前線にはコンセイソン、ミレッティ、マッケニーが2列目を組み、その前にデイヴィッド。
ここには、いくつかの「折り合い」が見えます。
- 守備のベースは崩さない(ダブルボランチ、ブレーメル中心の守備)
- 2列目はローテーションしつつ、機動力と連動性を優先する
- 前線はオペンダとの併用ではなく、デイヴィッドを軸に据える
例えば、ここでオペンダとデイヴィッドを同時起用して「超攻撃的」に振り切ることも、理屈としてはあり得ました。 しかしスパレッティは、その「ロマン」よりも、チームのバランスを選んでいます。
指導者は常に二つの声の間で揺れています。 「もっと攻めたい」という衝動と、「負けられない」という現実。 結果だけを見れば選択はたった一つに見えますが、試合前のベンチには、無数の可能性が並んでいます。
もし自分がチームの中心選手なら、そうした揺れのなかで選ばれた「4−2−3−1」に、どう向き合うでしょうか。 「なぜこの並びなのか」を考えながらプレーするか、それとも与えられた役割だけを黙々とこなすのか。
サッリの「偽9番」という選択──不在をどう埋めるか
| 観点 | スパレッティ(ユベントス) | サッリ(ラツィオ) | 評価 |
|---|---|---|---|
| フォーメーション | 4-2-3-1 | 4-3-3(偽9番型) | ◎ 明確な対比 |
| 前線の軸 | デイヴィッドを1トップに固定 | マルディーニを偽9番として起用 | △ 異なるアプローチ |
| エース不在への対応 | オペンダとの2トップを回避・バランス優先 | ザッカーニ不在で偽9番導入・連携重視 | ○ 両者とも安定を選択 |
| 中盤の数的関係 | ロカテッリ+トゥラム2枚で3センターに対応 | テイラー+カタルディ+バシッチで数的優位 | ◎ 構造的ギャップあり |
| 直前試合の影響 | コッパ敗退の痛みと4-1大勝の記憶が同居 | ジェノア3-2勝利の勢いあり | ○ 心理的背景が異なる |
| 選択の根拠 | 「完勝の記憶を信じるか敗退から変えるか」 | 「今いる選手でボールを失わない形を優先」 | △ 判断軸の違い |
いない選手を追いかけるか、いる選手を活かすか
ラツィオは、ジェノア戦で3−2と勝利した勢いを持ちながらも、ザッカーニを欠いてこの試合に入ります。 「いたはずの選手がいない」という状況は、チームにとって大きな空白です。
サッリの前には、少なくとも三つの道があったはずです。
- 本職のセンターフォワードを立てて、役割を分かりやすくする
- サイドの選手を中に入れて、流動的に動かす
- はっきりとした「9番」を置かず、偽9番で中盤と前線をつなぐ
そのなかで、マルディーニを偽9番として起用し、イサクセンとペドロを両翼に置く可能性を最後まで残していたという情報は、とても示唆的です。 経験豊富なペドロと、新しいストライカーであるラトコフの間で迷いながら、あえて「誰も本物の9番ではない」形を選ぼうとしている。
実際の先発予想は、プロヴェデルの前にマルシッチ、ギラ、ロマニョーリ、ヌーノ・タヴァレス。 中盤はテイラー、カタルディ、バシッチの3枚。 そして前線がイサクセン、マルディーニ、ペドロ。
ここでのサッリの選択は、「いない選手の代わりを探す」のではなく、「今いる選手で、どんな形が一番ボールを失わずに前進できるか」を優先したものとも考えられます。
偽9番という役割は、一見すると華やかです。 ですが、実際にはものすごく地味な仕事の連続です。
- センターバックの前に顔を出して、足元で受ける
- 中盤との距離を調整して、ボールを失わない角度でパスをつなぐ
- サイドの選手が内側に入るためのスペースを空ける
マルディーニは、「点を取る」よりも、「攻撃のリズムをつくること」を求められているかもしれません。 しかし、スタジアムにいる人も、テレビの前にいる人も、多くはゴールという結果を先に見てしまいます。 シュートが少なければ、「存在感がない」と言われる危険もある。
そんな役割を任されたとき、選手自身はどんな心境でピッチに立つのでしょうか。 自分の数字を追いかけるのか、それともチームの流れを整えることを優先するのか。 「どちらが正しい」とは言い切れない、難しい選択がそこにあります。
システムの数字の裏側にある「小さな選択」
- 采配の「折り合い」を言葉で整理する — スパレッティが「守備のベース・ローテーション・デイヴィッド軸」の3点で折り合ったように、今の布陣の根拠を試合前に箇条書きで整理し選手に伝える準備をする
- エース不在時こそ「今いる選手の形」を設計する — サッリが「ザッカーニの代役を探さず偽9番で全体の連携を重視した」姿勢が示すように、穴を埋めるより今いるメンバーの長所を最大化する布陣を先に考える
- 連勝後も連敗後も「変える理由と変えない理由」を持つ — 大勝のあとに同じ布陣を踏襲する・あえて変える、どちらにも根拠を用意し選手が「なぜこの並びか」を理解した状態で試合に入れるようにする
4−2−3−1と4−3−3は、どこが違いになるのか
この試合、紙の上では「4−2−3−1対4−3−3」という対戦です。 しかし、ピッチに立つ選手から見えるのは、4という数字ではなく、「誰とどこで距離を取るか」という具体的な問題です。
ユベントスのロカテッリとトゥラムの2枚は、ラツィオの3センター(テイラー、カタルディ、バシッチ)に対して、常に数的不利です。 単純に数を比べれば、2対3。
そこでユベントス側は、誰が中盤の数を足しにいくのかを、その都度決めていかなければなりません。
- ミレッティが下りるのか
- マッケニーがインサイドに絞るのか
- あるいはコンセイソンが内側に入ってサポートするのか
一方のラツィオは、3センターで数的優位を取れる一方、ユベントスの2列目3人+デイヴィッドの4枚に対し、4バックだけでは守り切れない場面も出てきます。
マルシッチやヌーノ・タヴァレスがどれだけ高い位置を取るのか、あるいは慎重に構えるのか。 テイラーやバシッチがどの高さでプレスに出ていくのか。 このあたりの「数メートルの違い」が、そのまま試合の流れを変えていきます。
日本の育成年代の試合でも、4−4−2や4−3−3といった数字の並びはよく話題になります。 ですが、実際にピッチに立っている選手にとっては、「このタイミングで1歩前に出るか、出ないか」という迷いのほうがずっとリアルです。
もし自分が、ロカテッリのように2ボランチの一角を任されていたとしたら。 相手の中盤3枚に対して、どこまで前に出てボールを奪いに行き、どこからは後ろをカバーすることを優先するのか。
その判断を、監督に言われた通りにこなすだけで終えるのか。 それとも、相手や味方のコンディションを見ながら、自分の中でも微調整していくのか。 そこに、「考えるサッカー」の入口があるように感じます。
「答えの出ない時間」をどう受け止めるか

- 「4-2-3-1」より「誰がどこで何をするか」を考える — ロカテッリが2ボランチとして相手の3センターにどう対処するかのように、数字ではなく「1歩前に出るか後ろをカバーするか」の判断がリアルなサッカーの単位だと意識する
- 偽9番は「地味な仕事の連続」と知っておく — マルディーニに求められるのはゴールより「攻撃リズムをつくること」。自分がシュートを打てない役割を与えられたとき、その意図を理解してプレーできるか問い直してみる
- 采配批判より「自分ならどうするか」を先に考える — 試合後に「監督の采配が悪かった」と言う前に、同じ状況で自分が選んだとしたら何を選ぶかを考えることで観戦が学びに変わる
試合前の不安も、ピッチ上の迷いも、完全には消えない
ユベントスは、コッパでの敗退から数日で、このラツィオ戦を迎えています。 どれだけプロとして切り替えようとしても、「なぜ負けたのか」という問いは、簡単には消えません。
ラツィオもまた、クラブを取り巻く問題を抱えながら、リーグ戦を戦い続けなければならない。 そうした「外側のざわつき」を、ロッカールームのドア一枚で完全に遮断することは、おそらく不可能です。
選手も指導者も、答えの出ない問いを抱えたままピッチに立ちます。
- このシステムで本当に良かったのか
- 自分が選ばれた(あるいは選ばれなかった)理由は何なのか
- 結果が悪かったら、何を変えなければいけないのか
それでも試合は、キックオフの笛とともに始まります。 時間は待ってくれません。
日本の選手や指導者にとっても、この「答えの出ない時間」との付き合い方は、大きなテーマになるのではないでしょうか。 大会の連戦の中で、調子のいい選手を続けて使うのか、それともローテーションをしてチーム全体のコンディションを保つのか。
どちらを選んでも、完全な正解はありません。 だからこそ、「なぜ自分はそう選んだのか」を言葉にしておくことが、次の選択の支えになっていきます。
日本ではどう考えられるか──「自分ならどうする?」という視点
フォーメーションの“マネ”で終わらせないために
セリエAの試合情報は、日本にもたくさん届いています。 ユベントスの4−2−3−1、ラツィオの4−3−3、偽9番、ボランチの組み合わせ。 それらを形だけ真似することは、きっと難しくありません。
ただ、その裏にある「なぜ、いまこの選手を、この役割に置いたのか」という部分に目を向けると、見えてくるものが少し変わってきます。
- コッパで敗退したあとのユベントスが、前線の“夢”より守備のバランスを優先したこと
- エース不在のラツィオが、誰かを無理に「代役」にするのではなく、偽9番を使って全体のつながりを重視しようとしたこと
- どちらのチームも、数字の上ではシンプルなフォーメーションを選びながら、その中身はかなり繊細に組み上げていること
もし自分が、日本のチームで同じような状況になったとき、どうするでしょうか。
- 主力がいないとき、その人に一番近いタイプを無理に探すのか
- それとも、今いるメンバーでまったく違う形を試してみるのか
- 直前の試合で大勝したあと、あえてそこから変化を加える勇気を持てるのか
こうした問いは、プロクラブだけのものではありません。 中学生の大会でも、高校の選手権でも、地域リーグでも、スコアの裏側には同じような悩みや選択が存在します。
そして、そのひとつひとつを、「あの監督は間違えた」「この采配が正解だった」と切り捨ててしまうと、そこで思考は止まってしまいます。
答えを急がないサッカー
90分の中にある「たくさんのもしも」
ユベントス対ラツィオという一戦を、「ユベントスが勝った」「引き分けだった」「ラツィオが勝った」という一行で語ろうと思えば、いくらでも簡単に済ませられます。
しかし、その前後には、スパレッティがユルディズをどう使うか迷った時間があり、サッリがペドロとラトコフの間で悩んだ時間があります。 ロカテッリが「どこまで前に出るか」を判断し続けた90分があり、マルディーニが偽9番として「自分のシュート」と「チームの流れ」を天秤にかけ続けた時間があります。
サッカーを観るとき、あるいは自分がプレーするとき。 その「たくさんのもしも」を想像してみることは、きっと無駄にはなりません。
自分なら、この場面でどんなパスを選ぶだろう。 自分なら、このメンバーならどんな並びで送り出すだろう。 そして、その選択がうまくいかなかったとき、何を変え、何を信じ続けるだろう。
答えはひとつではなく、時期や相手や自分の状態によって、いくらでも変わっていきます。 だからこそ、急いで「正解」を決めつけてしまわずに、試合の裏側にある思考の跡を、少しだけ丁寧にたどってみる。
その繰り返しが、サッカーを少しだけ深く味わうことにつながっていくのかもしれません。
24節の一試合も、人生のある一日も、結果の数字だけでは語り切れないものを抱えています。 その余白に目を向けられるかどうかが、サッカーを続けていく時間を、静かに豊かにしていくのではないでしょうか。
