守るだけで終わらないディフェンダー──サンプドリアU15トンマーゾ・アドレヴェーノが示す「選ぶ力」と可能性
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守るだけのディフェンダーでいいのか?──トンマーゾ・アドレヴェーノがくれた「選ぶ」という問い

9ゴールを決めるディフェンダーは、何を見ているのか
スコアボードに名前が載るたび、人はその選手を「ストライカー」と呼びたくなる。
けれど今、イタリアのサンプドリアU15でいちばんゴールを決めているのは、前線の選手ではない。
2011年生まれのディフェンダー、トンマーゾ・アドレヴェーノ。
U15全国選手権(セリエA・B)のグループAで、16試合・1232分の出場で9ゴール。
所属チームは13位、勝ち星に恵まれているとは言い難い順位の中で、それでも最終ラインの選手がチーム最多得点を記録している。
この数字だけを見ると、「攻撃的なディフェンダーなんだろうな」と片づけてしまいそうになる。
けれど彼のプレーを説明する言葉として現地で強調されているのは、「攻め上がる勇気」よりも、「選ぶ力」だ。
待つディフェンダーと、選んで出ていくディフェンダー。
トンマーゾは、後者だと紹介されている。
時間を選ぶ。
スペースを選ぶ。
そして、試合の流れを壊す「その一瞬」を選び取る。
9ゴールという結果の裏側には、「行くか、行かないか」を毎回自分で決めている一人の15歳の姿がある。
| 観点 | 守るだけのDF | 選んで出ていくDF(アドレヴェーノ型) | 評価 |
|---|---|---|---|
| 前への出方 | リスクを避けて常に自陣にとどまる | 時間帯・スペース・相手配置を読んで出るか待つかを決める | ◎ 判断ベース |
| 得点への関与 | セットプレーでもエリア外に残る | コーナーキック等でエリアに入り、相手のマークを引きつける | ◎ 戦術的貢献 |
| 自己評価の軸 | 失点しなかったかどうか | 守備の質+チームへの攻撃貢献の両方 | ◎ 多面的評価 |
| ポジションの解釈 | センターバック=守るもの | センターバック=守備の土台を持ちながら可能性を広げる | ◎ 枠を超える |
| リスクの取り方 | 失点が怖くて必要以上に自陣にとどまる | 背後のスペースと味方のカバーを計算してリスクを取る | ○ 責任ある判断 |
| 育成環境での経緯 | プロクラブ直接入団が多い | 地元クラブ→中堅クラブ→プロ下部組織とステップを踏む | ◎ 段階的成長 |
ポジションではなく「自分」を見るということ
ディフェンダーが9ゴール、と聞いて驚く人は多い。
その驚きの正体は何かと言えば、多くの場合、「ポジションのイメージ」で選手を見ているからかもしれない。
センターバックは守るもの。
サイドバックは走るもの。
フォワードは点を取るもの。
どこかで、こういう「役割の枠」に、選手を当てはめて見てしまう癖がある。
けれどトンマーゾの数字は、その枠を静かに揺らしてくる。
守備の選手でも、ゴールを奪える。
前線の選手でなくても、試合を決める存在になれる。
彼自身も「こんなに点を取れるとは思っていなかった」と語っている。
そこには、自分の調子に手応えを感じつつも、自分を過大評価しない、慎重な目線がにじむ。
「ディフェンダーだからこうあるべき」ではなく、「自分は今、何ができるのか」。
そこを見つめ続けた結果としての9ゴールなのかもしれない。
もし、自分がディフェンダーとしてプレーしているとしたらどうだろうか。
「守れればいい」「失点しなければいい」とだけ考えていないだろうか。
逆に、フォワードだからといって「点を取らなきゃ」とだけ自分を追い詰めていないだろうか。
ポジションで自分を縛るのか。
ポジションを土台にしながら、自分なりの可能性を広げていくのか。
トンマーゾの姿は、そんな問いを投げかけてくる。
- DF選手の「出る・待つ」判断を言語化させる — コーナーキックや攻撃参加の場面で「なぜ今前に行ったのか」「なぜ待ったのか」を試合後に問いかける。「なんとなく」で動いているうちは偶然の産物だが、根拠を持って動けるようになると再現性が生まれる。
- DFの評価基準に「失点ゼロ以外の価値」を加える — クリアの質・ビルドアップへの参加度・セットプレーでの相手マーク引きつけなどを観察し、フィードバックに含める。「守れた日」だけでなく「チームの攻撃を助けた場面」も積極的に言葉にして伝える。
- ポジション固定ではなく「役割の幅」を考えさせる — 「センターバックはこういうもの」という固定観念を与えすぎず、その選手が今持っている特性・得意を把握し、役割の幅として示す。アドレヴェーノのように、ポジション名に縛られない自己認識が独自の成長を促す。
「行く」と決めるまでの思考──守備の選手がリスクをとるとき
もちろん、ディフェンダーが前に出ていくのは簡単なことではない。
一歩、ラインを飛び出せば、背後には広大なスペースが生まれる。
味方のカバーが間に合わなければ、失点のリスクも高くなる。
攻め上がるたびに、こうした危険を抱え込むことになる。
では、トンマーゾはなぜ、何度も前に出る決断をしているのだろうか。
現地の紹介では、「守れるだけでなく、読むことができる」と表現されている。
ただ勇敢なだけではない。
ボールの位置。
相手の体の向きや、味方の配置。
試合の時間帯や点差。
そういった要素を総合して、「今は行ける」「今は待つ」と自分なりに判断しているのだろう。
たとえばコーナーキックの場面。
自分がエリアに入ることで、相手のマークを一人引きつけられるかもしれない。
味方にとっても、相手にとっても、「想定外の脅威」になることができるかもしれない。
セットプレーからのゴールは、そんな読みと決断の積み重ねの結果だ。
もし、自分が彼の立場だったらどうするだろうか。
・失点が怖くて、必要以上に自陣にとどまるか。
・点を取りたい気持ちが先走り、リスクを無視して飛び出してしまうか。
・それとも、「今この瞬間は、自分が出ていくことでチームにプラスになる」と根拠を持って判断できるか。
同じフィールド、同じルールの中で、選ぶことはいつも自由だ。
自由だからこそ、責任と迷いがついてくる。
そこから逃げずに、ひとつひとつ選び続ける力が、「得点できるディフェンダー」をつくっているのかもしれない。
- 「ポジションで自分を縛らない」という考え方を知る — ディフェンダーだからゴールを狙わなくていい、フォワードだから守備をしなくていい、という思い込みが選手の可能性を狭める。トンマーゾのように「今の自分は何ができるか」を問い続けることが、思わぬ得意分野を引き出す。
- 地元クラブから始めることに焦らない — トンマーゾは5歳で地元のポリスポルティーバからスタートし、10歳でサンプドリアに入った。早い段階でビッグクラブを目指すことより、その年代で必要な経験を積み重ねることが長い目で見たキャリアを支える。「自然な次の一歩はどこか」を対話しながら選ぶことが大切だ。
- スタジアム観戦が育てる「サッカーを見る目」を大切にする — トンマーゾは2歳のとき母親に連れられたスタジアムで、プレーよりサポーターの一体感に心を動かされた。「誰かのために戦う」感覚の原点がそこにあると彼自身が語っている。試合観戦は選手の「なぜサッカーをするのか」を育てる体験になりうる。
幼少期の「体験」が、サッカーを見る目をつくる
トンマーゾの物語は、いきなりプロクラブの下部組織から始まったわけではない。
5歳のときに地元のポリスポルティーバ・ゴルフォ・デル・ティグッリオというクラブでボールを蹴り始め、
そこからラヴァニェーゼというクラブを経て、10歳でサンプドリアのアカデミーに入った。
ステップを飛ばさず、地域のクラブから少しずつ積み上げてきた道のりだ。
ここにも「選ぶ」というテーマが隠れている。
親は、どのタイミングで「もっと上のクラブを目指そう」と決めたのか。
地元のクラブに残り続ける選択も、その年代では十分ありえた。
毎週末、友だちと楽しくプレーし続ける道もある。
一方で、環境を変える決断は、移動時間や生活リズムの変化など、家族にも負担をもたらす。
そこで何を優先するのか。
・今の居心地の良さか。
・将来の可能性か。
・子ども自身の「やりたい」という声か。
トンマーゾの家庭では、「無理な背伸び」ではなく、「今、この子にとって自然な次の一歩はどこか」を対話しながら選んでいったのだろう。
そしてもうひとつ、彼のサッカー観を語るうえで象徴的なのが、2歳のときに母親に連れられてサンプドリアの本拠地スタジアム、ルイジ・フェッラーリスを訪れた記憶だ。
彼がいちばん心を動かされたのは、プレーそのものよりも「サポーターの存在」だったという。
歌声や一体感に圧倒され、「12人目の選手だ」と感じたというその光景。
プレーより先に、「応援」「一体感」「クラブへの愛情」と出会ったこと。
それは、「自分がただうまくなればいい」のではなく、「誰かのために戦う」感覚を芽生えさせるきっかけになっているのかもしれない。
日本でも、小さな頃にスタジアムへ連れて行く親は多い。
そこで子どもが何を感じるのか。
・華やかなプレーだけを見るのか。
・負けたときの悔しさを一緒に味わうのか。
・応援席の空気を「怖い」と感じるのか、「心強い」と感じるのか。
その一つひとつの体験が、サッカーを見る目をゆっくりと形づくっていく。
「成長」と「結果」をどう並べるのか
サンプドリアU15は、リーグ戦で13位と決して上位にいるわけではない。
そんなチーム状況の中で、トンマーゾは「個人としての手応え」と「チームとしての目標」の両方について話している。
個人としては、自分のパフォーマンスに満足しつつも、浮かれた様子はない。
チームとしては、「グループとして成長すること」を何度も口にし、その先にプレーオフ進出を見ている。
順位表だけを見れば、「今シーズンは厳しい」と評価されるかもしれない。
ただ、彼の言葉の順番は明確だ。
まず「成長」。
その結果として「プレーオフ」を目指す。
日本の育成年代でも、「結果」と「成長」の関係は、いつも揺れるテーマだ。
・勝つ経験をさせたい。
・でも、勝つことだけに縛らせたくない。
・個人の将来を考えれば、無理に早く結果を求めない方がいいのではないか。
・とはいえ、競争のない環境で本当に強くなれるのか。
指導者も保護者も、はっきりした答えを持ちきれずに、その間を揺れながら子どもたちと向き合っている。
トンマーゾのように、「チームとして成長すること」を堂々と口にしながら、同時に「プレーオフに行きたい」という結果も隠さない選手がいるとしたら。
その両方を、どれくらいのバランスで意識しているのか。
「結果なんてどうでもいい」と思っているわけでもなく、「結果さえ出ればいい」とも思っていない。
そのあいだのグラデーションを、自分なりに探し続けているのだろう。
もし、自分が彼と同じチームにいたらどう感じるだろうか。
・チームが負けている中で、自分だけゴールを重ねることへのもどかしさ。
・それでも「個人としては褒められたい」という感情。
・チームメイトからどう見られているか、という不安。
そうした揺れも全部抱えながら、「それでも今、自分にできることをやる」と決めてピッチに立っているのかもしれない。
「誰を好きか」が、自分のプレーをつくる
トンマーゾが憧れの選手として挙げているのは、「メッシ」と、サンプドリアの元エース「ファビオ・クアリアレッラ」だ。
メッシから感じ取っているのは「純粋な才能」。
クアリアレッラから受け取っているのは、「技術」とともに「クラブへの強い愛着」だという。
好きな選手を聞かれて、「世界のスター」と「自分のクラブの象徴」をひとりずつ挙げる。
この組み合わせには、「こういう選手になりたい」という彼なりのイメージが表れている。
・ボールに触るたびに、観る人を驚かせること。
・ひとつのクラブやチームに、長く深く関わること。
・技術だけでなく、背中で示す存在になること。
日本の選手も、「好きな選手は?」と聞かれれば、海外のスターや日本代表選手の名前を挙げることが多い。
でも、そこで終わりにせず、「その選手のどこが好きなのか」を言葉にしてみると、見えてくるものがある。
・ドリブルなのか。
・守備の強さなのか。
・味方を生かすパスなのか。
・味方のミスを責めない姿なのか。
どんなところに惹かれるのかを掘り下げることで、「自分はこういうサッカーを大事にしたいのかもしれない」と気づける。
トンマーゾがメッシとクアリアレッラに見ているものは、きっと彼自身がピッチに立つときの選択にも、少しずつ影響している。
「普通の家族」だからこそ見える、支える側の選択

トンマーゾの家庭は、特別なサッカー一家というわけではない。
父マッテオ、母バルバラ、2歳下の妹ソフィア。
ごく普通の家族だと紹介されている。
そこが、むしろ大事なポイントなのかもしれない。
特別なトレーニング器具があるわけでも、プロ経験者の親がいるわけでもない。
あるのは、「無理に追い込まないこと」と「支え続けること」のバランスだけだ。
・どのくらいの頻度で試合を見に行くのか。
・負けたあと、どんな言葉をかけるのか。
・頑張りが足りないように見えるとき、どこまで厳しく言うのか。
・勉強との両立に悩むとき、何を優先させるのか。
保護者の一言は、ときに指導者以上に、子どものサッカー観を左右する。
「プレッシャーはかけない、でも支える」という空気が静かに伝わってくる。
サッカー選手としての未来を、「結果」ではなく「成長」として見守る視線。
それは、短期的な勝ち負けよりも、「この子がサッカーを好きでい続けられるかどうか」に軸が置かれている視点だとも言える。
日本の保護者がこのニュースを読んだら、どう感じるだろうか。
・もっと厳しくすべきだと思うだろうか。
・それとも、「うちもこれくらいの距離感でいいのかもしれない」と肩の力が抜けるだろうか。
どちらが正解という話ではない。
ただ、「どう支えるか」をあらためて考えるきっかけにはなりそうだ。
答えを急がず、「自分ならどうするか」を持ち帰る
最後に、トンマーゾ自身の未来への視線に触れておきたい。
彼は、「まずは成長したい」と話しながら、はっきりとしたイメージも持っている。
いつか、フェッラーリスのピッチで、トップチームのユニフォームを着てプレーすること。
できれば、サンプドリアサポーターの聖地である「グラディナータ・スッド」の前でゴールを決めること。
夢をただの「願望」として語るのではなく、「どのスタンドの前で」「どんなシーンで」と、映像が思い浮かぶくらい具体的に描いている。
けれどその一方で、「そのために今何をすべきか」については、まだ全てが言葉になっているわけではないだろう。
・どういう練習を、どれくらい積めばいいのか。
・どんな失敗が自分を強くしてくれるのか。
・もし思うように出場時間が減ったら、何を学ぶべきなのか。
答えがすでに決まっているわけではない。
だからこそ、「選び続けること」が大事になる。
・この場面で前に出るか、出ないか。
・このクラブに残るか、環境を変えるか。
・目の前の結果にこだわるか、長い成長を信じるか。
すぐに「こうするべきだ」と断言してしまえば、迷いは一時的に消えるかもしれない。
けれどサッカーは、迷いながら決めた一歩の重さを、必ずピッチの上で教えてくる競技でもある。
イタリアで、ひとりのディフェンダーが「守るだけではなく、選んで出ていく」プレーで注目を浴びている。
そのニュースを、ただの「海外の逸材の話」として流してしまうこともできる。
でも、もう少し立ち止まって、こう考えてみることもできる。
・自分が彼と同じ年齢だったら、どんなプレーを選ぶだろう。
・自分が彼のチームメイトだったら、どんな声をかけるだろう。
・自分が彼の親だったら、どんな距離感で見守るだろう。
・自分が彼の指導者だったら、どんな自由と制約を渡すだろう。
答えは人の数だけある。
どれかひとつが正解というわけでもない。
ただ、サッカーの面白さは、「ボールを持った選手だけでなく、関わる全ての人が、何かを選び続けている」という事実の中にあるのかもしれない。
守るだけのディフェンダーでいいのか。
それとも、自分なりに「行くべき瞬間」を選べる選手になりたいのか。
ピッチの外からその問いを眺める私たちもまた、日々の暮らしのどこかで、同じような選択を続けている。
答えを急がなくていい。
「自分ならどうするか」を、静かに持ち帰ることから、サッカーも人生も少しずつ変わっていくのかもしれない。
