強いクラブをつくるのは、何を守り何を手放すと決めたときか
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「強いクラブ」とは、誰のどんな選択が積み重なったものなのか

満員のスタジアムでは、クラブの歴史はあまり意識されない。 目の前の90分に心が揺さぶられ、勝敗に一喜一憂する。 けれど、ピッチの外側には、静かに積み重ねられてきた「決断の歴史」がある。
ブラジル南部・クリチバのクラブ、アトレチコ・パラナエンセ(現・Athletico)。 彼らが102年を迎えたというニュースには、スコアや戦術よりも先に、「選ぶ」という行為の重さがにじんでいた。
国際(Internacional)とアメリカ(América)という、当時のクリチバでは一応「エリート」とされていたクラブ同士が、資金難の中で合併を決め、新しいクラブをつくった。 その選択が、のちに南米の舞台で輝くAthleticoの始まりだった。
最初から強いクラブだったわけでもない。 タイトルに飽きていたわけでもない。 むしろ、「このままでは続けられない」という崖っぷちでの選択だった。
もし、彼らが「伝統」にしがみついて、合併という選択肢を拒んでいたらどうなっていただろう。 ひとつのクラブの物語は、そこで終わっていたかもしれない。
合併という決断に潜んでいた「手放す勇気」
残したいものと、捨てなければいけないもの
InternacionalとAméricaが新クラブの創設に踏み切った背景には、経済的な苦しさがあった。 ライバルのコリチバ(Coritiba)やブリタニア(Britânia)らに対抗できず、チームの活動自体が危うい状況だったと伝えられている。
クラブ同士の合併は、紙の上では「合理的な選択」に見える。 しかし、実際には、とても感情的なプロセスを伴う。
長く応援してきたクラブの名前が変わるかもしれない。 ロゴも、色も、歌も、歴史も、「自分たちのもの」ではなくなっていく感覚。 サポーターだけでなく、選手やスタッフにとっても、それは小さくない喪失だったはずだ。
それでも彼らは「続ける」ことを選んだ。 「同じ形で続ける」ことは諦め、「形を変えてでも生き残る」という道を取った。
ここには、二つの選択が重なっているように見える。
- 何を守り続けるのか(フットボールを続けること、街にクラブを残すこと)
- 何を手放すのか(名前、伝統、プライドの一部)
多くの場合、私たちは「守る」ことに意識が向きがちだ。 けれど、ときには「手放す」ことでしか守れないものがある。 Athleticoの始まりは、そんな矛盾を引き受けた決断だったとも言える。
| 時代・局面 | 守ったもの | 手放したもの | 結果の評価 |
|---|---|---|---|
| 創設期・合併(1924年) | ◎ フットボールを続ける意志・街にクラブを残すこと | △ 旧クラブの名前・伝統・プライドの一部 | ○ 新クラブとして存続し基盤が生まれた |
| 資金難時代 | ○ 活動継続・選手・スタッフの雇用 | △ 規模拡大・即戦力補強の優先 | △ 成績では近隣クラブに劣後した時期も |
| 1980年代・経営改革 | ◎ 財務規律・長期視点での組織整備 | ○ 短期的な派手な補強への誘惑 | ◎ タイトル増加・クラブ安定化の土台 |
| 1995年以降・現代化 | ◎ 南米トップクラブへのビジョン | ○ 旧来のやり方・小規模スタジアム維持 | ◎ コパ・スルアメリカーナ2度優勝など実績 |
| 近年・Petraglia会長健康問題 | ○ クラブとしての継続性・ブランド | ◎ 絶対的リーダー依存の体制 | △ 2部降格を経験、再建フェーズ中 |
もし自分がそのクラブの一員だったら
もし、あなたがその時代の選手だったら、どう感じるだろうか。 自分のクラブが無くなり、別のクラブとひとつになると聞かされたとき。
・このまま別々に戦っても、クラブは続かないかもしれない ・でも、合併したら、自分の「居場所」は変わってしまう
どちらにも、失うものと得られるものがある。 そこに「正解」はない。 あるのは、それぞれがその時に「選んだ」という事実だけだ。
サッカーでは、パス一つ、ポジショニング一つに、こうしたジレンマが縮図のように現れる。 「ボールを失いたくない」 「でも、リスクを取らなければゴールに近づけない」 選手もクラブも、同じような問いを、少しずつスケールを変えながら引き受けているのかもしれない。
「小さなスタジアム」のクラブが、どうして南米の頂点を争うまでになったのか
- 指導スタイルの見直しを定期的にスケジュールに入れる — 「うまくいっている」ときこそ、自分の原則が本当に今のチームに合っているか半年に一度問い直す時間を持つ
- 選手に「なぜこうするのか」を言葉で説明できるか確認する — 慣習や伝統で続けている練習メニューを一つ選び、「これを続ける理由」を選手の前で言語化してみる
- 「うまくいかない時期」に全部変えない勇気を持つ — 結果が出ないとき、まず「どこまでを変えてどこからを守るか」の線引きを自分の中で明確にしてから動く
経済的な組み立て直しという「見えにくい判断」
合併から時間が経っても、Athleticoの日々は決して順風満帆ではなかった。 コリチバやフェロヴィアリオ(現・パラナ・クルーベ)のホームスタジアムと比べると、アレーナ・ジョアキン・アメリコ(現:アレーナ・ダ・バイシャーダ)は「3つの中で最も小さい」と表現されることもあった。
スタジアムの規模は、単なる見た目の問題ではない。 観客動員、収入、クラブの存在感にも直結する。 それでも、彼らは「大きくすること」よりも、「続けること」「積み上げること」を優先せざるをえない時期が長く続いた。
そこに現れたのが、Valmor Zimermannを中心とする「Retaguarda Atleticana」と呼ばれるグループだった。 経営面での立て直しを図り、クラブは少しずつ、しかし確実に変わっていった。 1980年代には、経済・財務の面で組織的な改善が進み、タイトルも増えていく。
ピッチ上のひらめきと違って、こうした「裏方の改善」は、すぐには目に見えない。 負けた試合の後、「なぜ補強をしないのか」「なぜもっとお金を使わないのか」と言いたくなることもある。 けれど、本当にクラブを強くするには、「今シーズンの勝ち負け」より、「10年後も生き残れるかどうか」を見据えた判断が必要になる。
選手で言えば、「今の自分をよく見せるプレー」と、「長くやっていくためのプレー」をどうバランスさせるかに近いかもしれない。 今だけを見れば、派手なプレーを続けるほうが評価されやすい。 だが、身体や心の負担、チームへの影響を考えたとき、その選択は本当に正しいのか。 答えはいつも、すぐには見えてこない。
- ベンチやケガの時間を「物語の途中」として捉え直す — うまくいかない今の状態がそのまま結論ではない。Athleticoも2部降格を経て再建中であるように、長い時間軸で見る視点を持つ
- 「なぜこのプレーを選んだのか」を試合後に一言書いてみる — 勝ち負けとは別に、自分がどんな判断をしたかを記録する習慣がキャリアの財産になる
- 移籍・進路選択では「どの道にもリスクと期待がある」を前提にする — 勝てるチームへ移るか出場機会を求めるかは正解がない。自分が後悔しない理由を持っているかが判断基準になる
「クラブをどうしたいか」をめぐる対話
1995年以降、Mario Celso Petragliaのリーダーシップのもとで、Athleticoはさらに大きな変化を遂げる。 トレーニングセンター「CT do Caju」の整備、2つのスタジアム整備、そして現代的なアレーナ・ダ・バイシャーダ。 ブラジル全国リーグの優勝、コパ・ド・ブラジルでの優勝と準優勝、コパ・リベルタドーレスでの2度の準優勝、コパ・スルアメリカーナでの2度の優勝など、実績の上でも「南米屈指のクラブ」と呼ばれるところまで歩みを進めた。
ここまで来るには、「クラブをどうしたいか」という問いに、何度も何度も向き合う必要があったはずだ。
- 育成か補強か
- 短期の成績か、長期の基盤づくりか
- 伝統的なやり方か、新しいやり方か
そのたびに、正解はひとつではなかっただろう。 決断の結果が成功につながったものもあれば、失敗だったと振り返られるものもある。 それでも、決めることをやめなかった。 考えることを放棄しなかった。 そこに、このクラブの「強さの源」があるように感じる。
栄光のあとに訪れた「減速」と、そこから見えるもの
リーダー不在に揺れるクラブ
ニュースでは、ここ数年のAthleticoが「かつての勢いを取り戻そうとしている」と伝えられている。 理由のひとつとして挙げられているのが、長年クラブを牽引してきたPetraglia会長の健康問題だ。
絶対的なリーダーが前に立つことで前進してきたクラブは、その存在が弱まったとき、「次の形」を探さなければならない。 チームで言えば、エースがケガで離脱したとき、誰が役割を引き受けるのか、戦い方をどう変えるのか、という状況に似ている。
2022年のリベルタドーレス決勝でフラメンゴと戦って以降、Athleticoは技術面でもメンタル面でも、対戦相手にうまく優位性を示せない試合が増えたとされる。 クラブ創設100周年の年には、屈辱と表現されるような形でブラジル全国リーグ2部への降格も経験している。
華やかなスタジアム、過去のタイトル、名の知れたOB。 それらがあっても、未来を保証してくれるわけではない。 どれだけ蓄積があっても、「今、何を選ぶのか」が問われるという意味では、102年目のクラブも、今日初めて試合に出る少年チームも、本質的には同じだ。
うまくいかなくなったとき、何を見るのか

調子が良いとき、クラブも選手も、自分たちの選択を疑わない。 「この道で合っている」と自然に思える。 だが、結果が出なくなった瞬間、「やっぱり間違っていたのではないか」と、一気にすべてを変えたくなる誘惑が生まれる。
そのときに問われるのは、「どこまでを変えて、どこからを守るのか」という線引きだ。 Athleticoの現状に対しても、サポーターやクラブ関係者の間で、さまざまな意見が飛び交っているに違いない。
- 監督を替えるのか、それともクラブ全体の方針を見直すのか
- 若手の起用を続けるのか、即戦力にシフトするのか
- 「南米トップクラブ」という理想を貫くのか、現実的な目標に切り替えるのか
どれも、「間違い」と言い切れるものはない。 大事なのは、なぜその選択をするのかを言葉にできるかどうか、そして、その選択を続ける覚悟があるかどうかだ。
日本のクラブ、そして私たち自身にひきよせて考えてみる
「続ける」ために、何を選ぶのか
日本にも、長い歴史を持つクラブ、新興クラブ、地域密着のクラブ、大企業が支えるクラブなど、さまざまな形がある。 Jリーグのクラブライセンス制度、育成年代の整備、地域との協働など、日々「選択」が積み重なっている。
いま、日本のクラブや育成年代にとっても、「続ける」ことと「変える」ことのバランスは、避けて通れないテーマだ。
- 長年続けてきた指導スタイルを変えるべきかどうか
- 結果を求められる中で、育成をどこまで優先するのか
- クラブのアイデンティティと、時代に合ったビジネスモデルをどう両立させるか
選手個人に置き換えれば、それは進路選択やプレースタイルの選択にもつながってくる。
・勝てるチームに移るか、出場機会を求めて別の環境を選ぶか ・攻撃的なプレーで目立つか、チームのバランスを優先するか ・海外を目指すのか、日本でキャリアを築くのか
どの道にも、「リスク」と「期待」が同時に存在する。 Athleticoのようなクラブの歴史を辿ると、「選ばなかった側の可能性」も、同じくらい重みを持っていたことが見えてくる。
「正解」を探す前に、問いを立てる
サッカーをしていると、「何が正しいのか」を早く知りたくなることがある。 指導者としても、「これが正しい」と子どもたちに示したくなる場面は多い。 しかし、クラブの100年単位の物語を眺めてみると、一つの「正解」がずっと続いたケースのほうが少ない。
合併という決断をしたときも。 スタジアム建設に踏み切ったときも。 育成を強化する方針に舵を切ったときも。 その瞬間には、賛成も反対もあったはずだ。
だからこそ、必要なのは、すぐに「正しい答え」を探すことではなく、問いを立てる力なのかもしれない。
- 自分たちは、何を一番大事にしたいのか
- この選択は、5年後、10年後にどう影響するだろうか
- もしうまくいかなかったとしても、後悔しない理由は何か
こうした問いを、選手も指導者もクラブも、時には保護者も、それぞれの立場で持ち寄ること。 そこから、生きた「考えるサッカー」が始まっていくように思う。
答えを急がないクラブ、答えを急がない選手
「いま」は、長い物語の途中にある
Athleticoは、102年目の今、再び「どんなクラブでありたいのか」という問いに向き合っている。 過去の成功も、現在の迷いも、すべてがこのクラブの物語の一部だ。
同じように、ひとりの選手にとっても、「今の状態」は物語の途中にすぎない。 ベンチにいる時間も。 ケガに苦しむ時間も。 思うようにプレーできない時間も。 そこでどんな問いを自分に投げかけるかによって、その先の物語は少しずつ変わっていく。
シュートを外してうなだれるか。 なぜ外れたのか、自分の中で言葉にしてみるか。
試合に出られない理由を環境のせいにするか。 自分が変えられる部分はどこかを探すか。
クラブの歴史を追うことは、そうした「選手一人ひとりの選択」と地続きの学びになる。 そこには、すぐにマネできる「必勝法」はない。 ただ、「どう考え、どう選び続けたか」という、静かな足跡が残っている。
最後に、ひとつの問いを
102年という時間をかけて積み上がったAthleticoの物語は、成功と失敗、歓喜と屈辱、そのどれか一つだけで語ることはできない。 サッカーのクラブも、ひとりの選手も、ひとつのプレーも、本当は同じなのかもしれない。
もし、今の自分の状況を「物語の途中」として見つめ直すとしたら、あなたはどんな問いを自分に投げかけるだろうか。 そして、その問いに、どんなスピードで、どんなふうに答えを探していくだろうか。
スタジアムの歓声が消えたあとに残るのは、その静かな問いと、そこから続いていく物語なのかもしれない。
